2002年12月のみことば

主イエスは貴方の家に来られる

 イエスはエリコに入り、町を通っておられた。そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった。イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」
 ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。これを見た人たちは皆つぶやいた。「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」
 しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」
 イエスは言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」
                (ルカによる福音書19章1節−10節)

 主イエスがエリコの街に来られた時のことでした。この街の人たちは、主イエスの一行が通られる道の端に立って見ていたというのです。この街に、ザアカイという人がいました。この人は主イエスを知りませんでした。知らないどころか一度だって見たこともなかったのでした。

 さて、エリコの街に主イエスが来られました。なぜ来られたのか、ザアカイもまたエリコの街の人たちも知りませんでした。だから、この街の人たちは道の端に立って見て居たというのです。ザアカイは、主イエスがエリコの街に来られたということを知りませんでした。そのことを教えてくれる人も、一緒に見に行こうと誘ってくれる友達も彼にはいませんでした。そんな彼でも、家の外の騒ぎがただならぬものを感じたのでしょう。外に出て見ると、主イエスの一行が今、そこを通られるというので、すごい人だかりです。彼は背が低かったので、背を伸ばしても見えません。問題は、体格だけではありませんでした。席を譲ってくれたり、居場所を提供してくれたりする友達が彼には誰ひとりいなかったのです。エリコの街に作られたのは、まさに人の垣根です。その中に入れもしなければ出れもしません。もし、そこに知り合いや友達が仮にいたとしても、何処かに隠れてしまっているかも……。友達がいないって寂しいことです。

 ザアカイは走り出しました。逃げだしたのではありません。イエスを見ることができそうな所を探して、一行が進む道の前方に向かって走ったのです。そして、そこに見つけた一本のいちじく桑の木に登ったのです。それはザアカイが計算したのでも、主イエスの一行が計算したのでもありません。ちょうど主イエスの一行が今、そこを通られるところであったというのです。

 主イエスはその木の下で立ち止まり、ザアカイを見上げながら語りかけました。
「ザアカイ、ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日、あなたの家に客が来た。」
知り合いも友達も来ようとしなかったザアカイの所に客が来たというのです。主イエスはザアカイに会いに、そう会うためにエリコの街に来たと言うのです。古人は<朋(とも)、遠方より来たる。亦、楽しからずや>と語りました。主イエスは友達がいない者の真の友となられるために、捜し求めて訪ねて行かれる。

 ザアカイは木より急いで降りて来て、主イエスを喜んで迎えました。私たち、一人ひとりを捜し求め、捜し当てて、私たち一人ひとりの名を呼び、選び、立て、用いてくださる神に私たちはこのお方を通して出会えるのです。

 ザアカイはその当時、イスラエルの国を統治していたローマ帝国のために税を取り立てるという仕事をしていたのです。貧しい人たちには金利を取って貸付をして払わせ、裕福な者からは水増しをして、取れるだけ取ろうとした、支配者の威を借りて威張る税金譜負方の仕事だったようです。

 彼は自分から進んで、不当な利益を得るために過酷に徴税していた償いをしたいと言いだしたのです。ザアカイは主イエスから言われたからそうしようと言い出したのではありません。主イエスを客として迎えて、ザアカイは変わったのです。いや、変わりたくなったのです。

 主イエスはザアカイに言いました『今日、救いがこの家に来た』と。彼をして主イエスに言わしめたものは、一体何だったのでしょうか。ザアカイは主イエスに出会う事を通して、神と、そして人と出会う道を見つける事ができたのです。人と共に生きて行くということは簡単なようで、なかなかそうではありません。クリスマスは神の御子、イエス・キリストの御降誕を祝うものですが、世界中の人たちが何故、これを祝うのか知っていますか。

 それは、荒野で羊の番をしながら野宿していた羊飼いたちに、天使が語った言葉がその事を伝えてくれています。『今日、すべての人たちに与えられる大きな喜びを伝える』と。主イエスを客として迎え入れることによって、ザアカイはその「大きな喜び」をいただいたのです。その生き方を変えようとするまでの力も一緒に。

 訪れてくださる主イエスを迎えるときに、ザアカイに起こったことは私にも起こり、すべての人にも起こるのです。今日、主イエスはこの御言葉に触れた貴方を探し求め、貴方の家の戸口を叩き、貴方の家の客となってくださるように、このクリスマスに神に向けて祈ります。


本庄旭教会  齋藤康彦牧師
(さいとう やすひこ)




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