2001年5月のみことば

 

 

「私を愛しているか」

 

「二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた。

(ヨハネによる福音書21章16節〜19節)

 

ある若いお母さんが、3才になったばかりの女の子にたずねたそうです。「お母さんのこと好き?」その子は目を輝かせて答えました。「お母さんだーいすき」。お母さんは気を良くして、さらにたずねました「それではお父さんとお母さんとどっちが好き?」。女の子は困ってしまって、もじもじし始めましたが、お母さんはもう一度たずねました「おこらないから、本当のことを言ってごらん!お父さんとお母さんとどっちが好き?」。「お父さん!」と答えたわが子の声に、その子のお母さんは一瞬耳を疑いショックを受けたそうです。でもこの母と子は、何事もなかったかのように毎日とても幸せに暮らしています。

「わたしのこと好き?」「わたしを愛している?」という質問は、互いに愛し合い、信頼し合っている間柄においてのみ問い合うことのできる問いではないでしょうか。万が一、相手から拒絶されるようなことがあっても、それでも変わらずに相手を受け入れ、愛し続けることが出来る者にのみ、問い得る問いではないかと思うのです。

 十字架の上で死なれ、復活されたキリストが、12弟子の1人シモン・ペトロに現
れて、まず問われた問いは「あなたはわたしを愛しているか」でした。しかもキリ
ストは、この問いをたて続けに3度も問われたのです。これは、主がどれほどペト
ロのことを愛していたかということを意味します。このような愛の問いかけ(ラブ
コール)を受けて、ペトロはたじろぎながら答えます。「わたしがあなたを愛して
いることは、あなたがご存じです」と。実に煮えきらない返事です。3度問われて
3度とも同じ答えです。これが恋人同志なら、相手に誤解を与え、ふられてしまい
そうな優柔不断さです。
 なぜもっと素直に「愛しています!」と答えられなかったのでしょう。ペトロの
心には深い悲しみと痛みがありました。かつて彼は、「たとえご一緒に死なねばな
らなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と主イエス
に誓ったのですが、その数時間後に、「その人を知らない」と3度も否んでしまっ
たのです。主イエスが捕らえられて大祭司の官邸で審問をうけた夜のことです。中
庭で様子を伺っていた彼は、女中たちの問いに答えて、はからずも愛する主を3度
も否んでしまい、おもわず彼は外に飛び出して激しく泣いたのです。主を裏切って
しまったことに対する痛恨の涙です。彼は自分の弱さに絶望し、弟子としてはもち
ろん、人間としても失格者だと打ちひしがれていました。そんな時に、復活された
キリストが彼に現れて、「わたしを愛しているか」と問われたのです。彼はひしひ
しと主の愛を感じました。しかしまた、その愛を受けるにふさわしくない自分を恥
じ入り、深い痛みを感じつつ、やっとの思いで「…あなたがご存じです」と答えた
のです。
 「愛しているか」という主の3度の問いかけは、ペトロの3度の否認と深く関
わっています。主イエス・キリストはペトロの口から語られた偽りの告白を取り除
き、その同じ口から真実な愛の告白を語らせるために、あえて3度同じ問いを問い
かけたと見ることができます。失格者ペトロの名誉回復のためであり、主との関係
を正して、弟子としての使命を全うさせるためでした。3度の問いにつづいて、
「わたしの子羊を飼いなさい」、「わたしの羊の世話をしなさい」…と3度、彼の
負うべき務めが語られているのはそのためです。主は挫折したペトロ、主の愛を裏
切った彼のすべてを赦して、新たに弟子として起用されたのです。
 私たちも、ペトロと同じようにさまざまな挫折を経験し、毎日のように失敗や過
ちを繰り返しているような者です。自分の弱さだけを見つめていたら立ち上がれな
いような者です。けれども十字架と復活の主イエス・キリストはそのような私たち
を、見捨てることも見放すこともなさいません。私たちに近寄り、やさしくそっと
声をかけてくださるのです。「わたしを愛しているか?」と。今も。

 

                    浦和東教会 最上光宏牧師

 

 

 

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