2009年11月のみことば

何を頼りに生きるのか

 さて、一人の男がイエスに近寄って来て言った。「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」イエスは言われた。「なぜ、善いことについて、わたしに尋ねるのか。善い方はおひとりである。もし命を得たいのなら、掟を守りなさい。」男が「どの掟ですか」と尋ねると、イエスは言われた。「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、父母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい。』」そこで、この青年は言った。「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか。」イエスは言われた。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。イエスは弟子たちに言われた。「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」弟子たちはこれを聞いて非常に驚き、「それでは、だれが救われるのだろうか」と言った。イエスは彼らを見つめて、「それは人間にできることではないが、神は何でもできる」と言われた。すると、ペトロがイエスに言った。「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました。では、わたしたちは何をいただけるのでしょうか。」イエスは一同に言われた。「はっきり言っておく。新しい世界になり、人の子が栄光の座に座るとき、あなたがたも、わたしに従って来たのだから、十二の座に座ってイスラエルの十二部族を治めることになる。わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子供、畑を捨てた者は皆、その百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ。しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。」
               (マタイによる福音書19章16節〜30節)



 主イエスの前に出てきた青年は、「永遠の命を得るには、どんな善いことをすればいいでしょうか」と、永遠の命を得るための秘訣でもあるかのように問いました。主はモーセの律法の最も大事な箇条を告げられました。これに対して彼は、「それらはすべて守っています」と、完璧に律法を守ってきた自分に自信をもって答えました。

 彼はこれまでにやるべきこと、言われたことは守ってきました。それで評価もされ、尊敬も得てきましたから、同じように永遠の命も、何かの方法で獲得できると考えたのでしょう。あたかも「指示待ち人間」のように、言われたことはきっちりしますが、自分で考えて神の御心を探ることはなかったのです。

 そんな青年に突然、主イエスは「持っているものをすべて売り払い、わたしに従ってきなさい」と言われました。主は彼の最も痛いところを突かれました。彼は、表面的には律法を守っていましたが、深いところでは自分の財産を拠り所にして生きていたのでした。青年は、神に対して全幅の信頼を持って生きていなかったのです。捨てきれない大きな財産の処分を告げられて、「天に宝を積めない」自分、主イエスに従えない自分に悲しみ、青年はその場を去りました。

    

 そこで主イエスは、「金持ちが神の国に入るのは難しい」といわれました。それは、わたしたちが生きていく上での拠り所を鋭く問う言葉です。金持ちだけでなく、この世の親兄弟の血縁や、持ち物などに固執する時、それらが生きる拠り所になってしまいます。それらを捨てて、主に従うように言われました。「わたしたちにとって必要なものはひとつしかない」(ルカ10:42)。主の前でこれが分からない時、世の事に固執してしまうのです。

 この世で持てるすべての物は、獲得したものではなく、神によって与えられたものです。そこに神に対する感謝が生まれます。富める青年にはこの感謝がなかったのです。感謝のできる者は、生きる拠り所が神にあることを知っており、主に従う者、捧げる者にされるのです。
和戸教会 三羽善次牧師
(みわ ぜんじ)




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