2007年6月のみことば

妻を愛する夫の物語

キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい。妻たちよ、主に仕えるように、自分の夫に仕えなさい。キリストが教会の頭であり、自らその体の救い主であるように、夫は妻の頭だからです。また、教会がキリストに仕えるように、妻もすべての面で夫に仕えるべきです。夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい。キリストがそうなさったのは、言葉を伴う水の洗いによって、教会を清めて聖なるものとし、しみやしわやそのたぐいのものは何一つない、聖なる、汚れのない、栄光に輝く教会を御自分の前に立たせるためでした。そのように夫も、自分の体のように妻を愛さなくてはなりません。妻を愛する人は、自分自身を愛しているのです。わが身を憎んだ者は一人もおらず、かえって、キリストが教会になさったように、わが身を養い、いたわるものです。わたしたちは、キリストの体の一部なのです。「それゆえ、人は父と母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。」この神秘は偉大です。わたしは、キリストと教会について述べているのです。いずれにせよ、あなたがたも、それぞれ、妻を自分のように愛しなさい。妻は夫を敬いなさい。
           (エフェソの信徒への手紙5章21節〜33節)

1.キリスト教会の結婚
 夫に妻を愛しなきいと言われた言葉は、自分の好みで妻を愛する愛と言われた言葉ではありません。キリストがわたしたちの罪を負われ、わたしたちの病を負われた苦難の十字架の愛です。愛はアガペーです。キリストに与えられた愛です。
 高子さんとわたしは、1962年4月22日に松山教会で、イエス・キリストを信じて山下萬里牧師から洗礼を受けました。高子さんは洗礼を受けるときに祈りました。「生涯、教会の礼拝を守れる人と結婚させてください。」
 菊池吉弥牧師が松山教会に来られてキリスト教の結婚を話されました。「キリスト教の結婚は生涯キリストを中心に夫と妻が互いに仕え合うアガペーの愛です。愛する価値を求めるのでなく、愛する価値のない者を愛する愛です。キリストが十字架でわたしたちを愛されたと同じアガペーの愛です。」
 わたしはどもりでした。誰からも愛される価値のない人間失格だと思っていました。わたしは菊池吉弥牧師に聞きました。「先生、僕のようなどもりでも結婚出来るでしょうか。」
 菊池牧師は言いました。「出来ます。」
 高子さんはわたしがどもりながら菊池牧師に質問しているのを聞いて関心しました。
 1970年4月2日に、松山教会で岡本牧師の司式で高子さんとわたしは緒婚しました。

2.砕かれた結婚
 1970年は、東京の亀有教会の伝道師として招聘されました。
 住まいはアパートの四畳半でした。台所と便所がついていました。高子さんは「部屋はこれだけ」と悲しそうに言いました。わたしは台所と便所つきは上等だと思っていました。
 高子さんは言いました。「わたしが送った荷物はどこに入れるのよ。あなたは部屋の図面も言わなかったわ。」
 「イエスさまは伝道に派遣する弟子に何も持つなと言われた。伝道者の妻になったのだから荷物を沢山持って来る方が悪い。」
 高子さんは言いました。「分かりました。わたしは伝道者の妻になるために結婚したのではありません。それでは、わたしは帰らせてもらいます。」
 「帰りたければ帰れ」わたしはここで負けたら男でないと踏ん張りました。
 高子さんは、白いボストンバッグを持って雨の降る夕闇に消えていきました。
 一時間、暗い雨の中を探しても見つかりませんでした。わたしは自分のことばかり考えていました。明日日曜日の亀有教会の礼拝で、「嫁さんに逃げられました。」とわたしは言わなければなりません。高子さんがもしかして、亀有のやくざに捕まらないかと心配になりました。わたしはイエスさまに降伏して祈りました。「イエスさまわたしが悪かったのです。許してください。高子さんにわたしが悪かったと謝ります。イエスさま助けてください。」
 祈っていると、「ただいま。」と言って高子さんが帰ってきました。わたしは言いました。「ごめんなさい。わたしが悪かった。」高子さんが帰ってきたのです。

3.千鳥ヶ淵の桜
 高子さんは、さだまさしの「風に立つライオン」の歌を聞いて言いました。「こんなラブレターが欲しかった。あなたの手紙はいつも聖書のイエスさまのことだけでした。」
 高子さんがあこがれたラブレターの「風に立つライオン」の歌にある千鳥ヶ淵の桜を見たい夢が叶いました。
 2007年4月2日結婚記念日に夫婦で千鳥ヶ淵の桜を見ました。
 1979年から2000年3月までは、津軽の木造教会でした。津軽の雪は地面から降って来ます。高子さんはリュウマチになりました。高子さんが身体障害者になって、歩けなくなった時に、「もうこれ以上あなたについて伝道の旅を続けることはできません。」と悲しんで言いました。
 仲代達也の芝居「命棒にふろう」をテレビで見ました。
 わたしは木造教会の牧師をやめて、高子さんをケアすることをイエスさまに祈りました。高子さんは、リュウマチで2級障害者手帳をもらいました。ある日、高子さんが絶望した叫びを上げて泣き出しました。高子さんは自分で下着の着脱ができませんでした。自分のことが出来なくなってきた障害者の自分を受け入れることが出来ません。
 わたしは高子さんに言いました。「泣いたらいいよ。」わたしが手足になって手助けするから。何でも言いなよ。」
 このごろ、高子さんはお風呂に入って「千の風になって」を3回歌っています。「父さん、わたしが死んだら、千の風になっていつもあなたの側にいるからね」
 キリスト教の結婚は、第一に教会生活をたいせつにすると愛が恵まれます。キリストの礼拝を中心に、互いに仕え合いなさい。第二は、夫は聖書を読み祈ることです。結婚の愛が自分の好みを愛するものから、キリストの愛に聖化されるのです。第三は、結婚はキリストが教会を愛されたように、妻を愛する夫になることです。そうすれば、妻は夫を敬うようになるでしょう。
 わたしはこれからもFEBCキリスト教ラジオ放送で全国のわたしの話を楽しみに聞いてくださっている方々に「妻を愛する夫の物語」をお話します。
 「夫は妻をしなさい」愛はキリストの愛だと知りました。
七里教会  小池与之祐牧師
(こいけ よのすけ)




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