2007年2月のみことば

安心した生活をするために

 「さて、イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた。そして40日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。『神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。』イエスはお答えになった。『人はパンだけで生きるのものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」
             (マタイによる福音書4章1〜4節)


 私の知り合いに、次のような人がいます。長いこと、銀行勤めをしていた人が、魔がさしたというか、ほんの少しのお金を使い込みしてしまいました。そのことが分かってしまい、すぐ退職せざるを得なくなりました。家族6人、路頭に迷ってしまったのです。その人は誠実な人で、決してそのような悪いことをするような人ではありません。
 人間は弱い者で、本当に困っていると誘惑に負けてしまうのです。これは、金銭的な問題だけではなく、人それぞれ、“弱い部分”を持っています。ある人にとっては、男女問題であったり、また、ある人にとっては、権力であったり、地位であったりします。
 「悪魔」は目に見えませんが、巧妙な策略をもって、その人の弱い部分をめがけて係わってきます。悪魔は、「この人には、これを持って係わると、確実に倒れてしまう」ということを知っているのです。悪魔の別名は、「散らす」とか「試みる者」とか「誘惑する者」であります。人間関係をバラバラに散らしてしまうのが悪魔の働きであります。

 パウロという伝道者は、「わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。」(エフェソ6章12節)と言いました。要するに、私たち人間の戦わなければならない相手は、人間ではない。人間を支配している悪魔と戦わなければならないと言ったのです。
 本当にその通りです。
 神様は、人間を創造された時、「良い人」として、また、「神様のご自慢の人」として創造されたはずなのに、いつの間にか、人間は罪の誘惑に負けてしまい、罪人となってしまいました。しかし、神様は、人間を創造したが故に愛してくださり、そのために、イエス・キリストをこの地上におつかわしになりました。これがクリスマスの出来事であります。
 主イエスが、人間を救うために、神の国を宣べ伝える神の務め(公生涯)に就くためには、まずしなければならないことは「悪魔に勝利」することでした。人間を「どん底」に突き落としてしまう、罪の根っ子にある、悪魔の働きに勝利しなければなりませんでした。

 悪魔の働きは、何と巧妙なのでしょうか。
 主イエスは、40日間断食をし、祈りに専念しました。悪魔は、今、主イエスが一番欲しているのは食べ物であろうと思い、「あなたが神の子なら、この石をパンになるように命じたらどうだ」とつめよりました。
 しかし、主の答えは、きっぱりと、「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」と言ったのです。
 主イエスは悪魔と対決するのに、旧約聖書申命記8章3節の御言葉を用いられたのです。

 パウロは言いました。「悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。」(エフェソ6章11節)
 その通りです。主イエス様が一番の手本であります。私たち人間は、巧妙な悪魔の力に勝利するためには、神の武具である聖書の御言葉、祈り、また聖霊の力、等を用いないと打ち勝つことができません。そのためにも、ご一緒に教会で礼拝を捧げましょう。

 教会は、主イエス様を信じている人たちの温かい友だちがたくさんおります。どうぞ、教会にいらしてください。お待ちいたしております。私たちは、常に、昨日のこと、今日のこと、明日のこと、と三重の荷物を背負いつつ苦しみ悩みつつ生活をしています。そういう所にも、悪魔が働きます。だからこそ、聖書の神の言葉をご一緒に聞きながら、共に祈り合い、励まし合って、神様から解決の導きをいただきつつ、悪魔の力に勝利した歩みをしてまいりましょう。
  大宮教会の礼拝 日曜日 午前10時15分  主日朝礼拝
                   午後 7時30分  主日夕礼拝
                   午後 2時      賛美礼拝(2月25日)

大宮教会  疋田勝子牧師
(ひきた かつこ)




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