2006年12月のみことば |
「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」 (ルカによる福音書2章10~11節) |
クリスマスおめでとうございます。 埼玉に住むこどもの皆さん、そしてこどものそばにいる大人の皆さんに、聖書のメッセージをお届けしたいと思います。 今、いじめが引き金になって自分の命を絶つ人のことが、毎日のようにニュースで報道されています。一人ひとり違うけれど、みな自分の人生を精一杯生きて、お父さんやお母さん、家族の人達、友達や親戚の人達、ご近所の人達、そして幼稚園や保育園の先生、学校の先生、名前も知らない多くの人達と接してきました。決してひとりで生きてきたわけではありません。でも、死にたいと思うほどの悩みをかかえたとき、なかなか人に話すことはできません。親の愛情や友達の友情はわかるけど、心配かけたくないから。また、どのくらい自分を理解してくれるかわからないから、それを考えると本当のことが言えないのです。私はそうでした。 ![]() その後、心臓も弱いことがわかり、小学校卒業までの三年間は、体育は見学、水泳も禁止で、あれほど身体を動かす遊びが大好きだった私が、本の好きな子になっていました。授業中もわかっていても手をあげられないし、新しく赴任して来た先生は私が病気で長期欠席をしていたからか、決して当てることはありませんでした。私のまわりにいた友達はだんだん遠ざかり、日曜日にみんなで遊ぶいろいろなアイデアを提案しても、いざ実行となるといつの間にか輪の外に放り出されている感がありました。 ある時、クラスの女子の靴が紛失する事件があり、犯人探しが始まりました。自分では親友と思っていた子から「あなたじゃない。証拠あるの。」と言われてしまい、ものすごくショックを受けました。靴が出てきて犯人探しはうやむやになりましたが、私の心の傷は癒えませんでした。その頃からクラスの三、四人の男の子から、休み時間や掃除の時間に何かとからかわれるようになりました。私が無視していると、髪の毛をむしってきたり、すねを蹴ってきたりするようになりました。「止めて!」大きい声をあげると、始めは助けてくれていた女子たちも、何度も繰り返すとまたかと振り向きもしなくなりました。意を決して、ホームルームの時間に訴えたことも、担任の先生に相談したこともありました。しかし、「あなたの思い過ごしでしょう。知らん振りしていたら、そのうち止めるよ。」と笑って済まされただけでした。私は悔しくて毎夜泣き明かしました。暴力を振るう子たちの名前や自分がどんな目にあったか、先生が真剣に話を聞いて本気でいじめをなくす努力をしてくれなかったことを遺書に書いて死のうかと考えました。自分が悪くないのに、なぜ死ななければならないか、死ぬときは男の子たちも道連れだ。だけど、死んでしばらくは同情が集まってもあの子は変わっていたとか、親や家の者が悪く言われるだけだろう。それでは死に損、私の正義は証しできない。そんなことを一生懸命考えました。そして私が決めたことは、嵐が過ぎ去るのをじっと待つことでした。卒業式は必ず来る、そしたら新しい中学校生活が開ける、私はこのままでは終わらない。今は自分の力が試されている時なんだ。よし勉強で勝負しよう。 ![]() その頃、私が心の中で頼りにしていたのは、用務員のMおばちゃんでした。おばちゃんはいつも笑顔でだれに対しても親切で優しく、子どもの言うことを真剣に「ふん、ふん」と聞き、一緒に考えてくれました。「おばちゃんは力になりたいけど、それは先生に言った方がいいよ」と、出来ることと出来ないことをごまかさないで言ってくれました。悪いときは叱ってくれました。おばちゃんは他人が見ていても見ていなくても、一所懸命働く人でした。おばちゃんの手伝いをちょっとすると、「ありがとう。助かるわ」と顔にシワを作って喜び、間違いに気がつくと「ごめんねぇ」と心から詫びてくれました。おばちゃんは子どもをとても愛してくれる気がしました。先生じゃないし、有名でもないけど、こんな立派な大人もいると、私はおばちゃんを心の拠り所にしていました。私が中学生になってからも、通りがかりにおばちゃんに、「いつもご苦労様です。ありがとうございます。」と言うと、ちゃんと私の名前を覚えていてくれて、「おばちゃんに声をかけてくれるなんて、まあうれしい。この仕事していて良かったわ~。」と喜んでくれました。 そのあと、私がどうなったか知りたいでしょう?私は中学生になって身体もすこぶる元気になり、体育の時間も走る、跳ぶ、打つにめきめき力をつけ、授業中も積極的に手を挙げ、勉強にも自信がわき、クラスの中でもどんどん意見を出し、気がつくとみんなが寄ってくる存在になっていました。小学校時代のクラスメートやその親たちも私の変わり様に驚いて「あなたみたいになりたい」と言って来た子もいました。私の母に「娘さん、小学校の時は出来なかったのに、中学生になってすごいんですってねぇ」とあからさまに言って来た人もいたそうです。うちの子は昔も今もちっとも変わってないのに、失礼な・・・母はそう思ったと私に言ってくれました。 中学一年の時、それぞれの小学六年の時の担任を招いて同窓会がありました。先生は「中学校生活はどうですか。何か困っていることや悩んでいることがあったら、正直に打ち明けてください。」と言いました。私の順番がまわって来たとき、私は言いました。「小学生の時は悩みが多かったし、聞いてもらいたいことが山ほどありました。でも中学生活は何もかもが新しく、楽しくて仕方ありません。(こんな日が来るなんて思ってもみなかったけれど、死ななくて良かった。)」先生はえっという顔をしました。愉快でした。私にあやまりに来る子はいませんでしたが、何か吹っ切れた感じがしました。新生した自分がいたから、過去はもうどうでもよくなっていたのです。自分とまわりの変化に一番驚いたのは私自身でした。 ・・・さて聖書に戻らなくては。 この言葉は、野宿をして夜通し羊の群れの番をする仕事についていた羊飼いたちに、天使を通して告げられた神様からのニュースでした。神様のみ子イエス様が、今夜、赤ちゃんとなって来られた。世界にとってこれほどビッグなニュースはないのに、神様は立派な学者達に伝えたのでもなく、人々から尊敬される社会的地位の高い人に伝えたのでもありません。貧しく、社会の片隅に追いやられ、その存在が価値のない者のように扱われている人々に、一番先に告げられたのでした。これは一体何事だろう、何か罰でも当てられるのか、彼らは非常に恐れました。しかし驚くべきことに、「あなたがたのために救い主が生れた。」「この方こそ主メシアである。」という、大きな喜びの知らせだったのです。ここでいう「救い主」とは、人間を罪から救い出し、解放し、癒し、自由を与えるキリストという意味です。羊飼いたちはこの知らせを心の中で何度も繰り返したに違いありません。まさか、どうして。でも、確かに聞いたぞ。俺たちのために、って言っていたぞ。みんなに与えられるとも言っていた…そして、彼らは牧場にじっとしてとどまることが出来なくなったのです。「さあ、ベツレヘムヘ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見よう。」と、立ち上がり、急いで出かけて行ったのです。聖書には羊飼いたちが天使の話通りに赤ちゃんイエスに出会ったのです。そして神様を心からたたえる者に変えられたことが記されています。 ![]() 神様は、ただ言葉で言ったのではありません。この世の中で、立派そうなことを言う人ほどあやしいのです。口先だけ、その場限りの甘い言葉にだまされてはいけません。皆さんだって経験あるでしょう?しかし、神様の言葉は告げられた通りの出来事になったのです。事は起こるのです。 今、この時代にも神様の知らせを聞いて、その言葉からもう一度やり直そうと立ち上がるなら、あなたの上にも神の救いがやって来るのです。二千年前に羊飼いたちに告げられたクリスマスの喜びは、今日、神さまのみ言葉を聞いた人々に実現するのです。どうか心配しないで、勇気を出して、あなたの近くの教会をお尋ねください。 神様の呼びかけを今こそ聞いてください。教会はあなたの祝福を祈っています。 |
和戸教会 三羽敦子牧師 (みわ あつこ) |
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