2006年11月のみことば

火で塩味が付く?

人は皆、火で塩味をつけられる。
         (マルコによる福音書9章49節)


 天高く、馬肥ゆる秋。馬ばかりでなく私が太る秋です。おいしく食べられるのは感謝なことですが、健康を損なうほどに暴食するのは控えましょう。しかし、秋の味覚を楽しむためには、おいしく料理する必要があります。先日、テレビで、きのこの料理をしているのを見ました。シメジ、まいたけを塩でもんでおくと、きのこのうまみが出てくると説明していました。
 塩加減は料理の味付けの基本のようです。適度の塩加減で味付けされた料理は素材の味をひきだし、うまみが伝ってまいります。塩は、味付けばかりでなく、腐敗を防ぐために用いられます。このように塩は食品の鮮度を保ち、おいしく食するためになくてはならないものです。

 聖書の中にはこの「塩」についてのコメントがいくつかあります。
「あなた方は、地の塩である。」(マタイ5:13)
「人は皆、火で塩味をつけられる。」(マルコ9:49)
 聖書では塩はクリスチャンをさしています。塩の効き目のなくなったクリスチャンは役に立たないというのです。そして、マルコによる福音書の9章では塩の味は火によってつけられる、と語っています。では、この「火」とは何をさしているのでしょうか。

 9章42節から語られているのは「これらの小さなものの一人をつまずかせるもの」がつまずきとなるものを取り除くために、からだの一部を切り取って捨てなければならないとしても人をつまずかせるよりもよい、として、つまずかせることの災いを強調しています。
それは、地獄の火になげこまれるほどの重い罪なのだ、(46節)と。
 クリスチャンはキリストを信じることにより、この世のしがらみから救われ、永遠の命さえも与えられたものです。その喜びは、ほかでは代えることの出来ないほど尊いものです。その喜びを何とかして人々に伝えようと日夜、祈りながら励んでいます。しかし、どんなに注意深くしましても、人につまずきを与えないように歩むことは難しいと思わされます。
 塩の味を取り戻す方法があるならばその方法を身につけたいものだ、と思います。

 ここで先ほどの「地獄の火」というものに目をとめましょう。地獄を見た人がいるでしょうか。昔から悪いことをすると地獄でエンマ様に舌を抜かれる、など言って恐れました。
 聖書は旧約の時代からシェオールと言って、悪を行うものが死後行くべきところと考えられていました.イエス・キリストが十字架の上で死なれた後、陰府(よみ)に下り、復活されたのは罪を犯した者が行くべき地獄から救い出すためでありました。
 自分が犯した罪を自覚する時、地獄の火を垣間見る経験をします。しかし、イエス・キリストの十字架を仰いで復活の命に与るものとされるのです。
 火を通される経験、それは自分の罪の当然の報いを知ることであり、キリストの十字架の意味を痛みと共に受け止めることではないでしょうか。

 私は牧師の子供として1943年、横浜に生まれました。戦争中でしたので両親は戦火を逃れて疎開し、父の実家に身を寄せました。伝道者であった父がその後、子供5人を抱えて開拓伝道をはじめました。生活のために人形つくりをしたり、後に保育所を開設して日曜日には説教をするという生活でした。私自身はそのような中、貧しくはありましたが学生生活を送り、大学に進学することもゆるされ、4年間、家を離れて学びの時を過ごしました。
 中学3年生の春、洗礼を受けクリスチャンとなりました。大学生になって、近くの教会に通うようになりましたが聖書もよくわからず、自分の罪の認識もありませんでした。大学2年生になった時、学内のクリスチャンのサークルに入り、聖書研究会に出席するようになりました。講義をしてくださったのは、T・N・キャラウェイというバプテストの宣教師でした。ある集会の時のことです。先生がご自分の証をされました。それは太平洋戦争直後の日本に宣教師として来られたことについてでした。この話を聴いているうちにわたくしの中に不思議な変化が生じたのです。「あなたは何をしているのですか。」という心に語りかける声でした。集会を終えてアパートに帰り、そのまま、祈り続けるうち、私は罪びとである、という意識と、イエス・キリストが私の身代わりとなってくださったという意識がほとんど同時にやってきて、私の心はふしぎな安らぎと喜びに満たされたのです。その時以来、神さまの存在と愛への確信が心を満たすようになりました。

 私は今、埼玉県吉川市にある東京聖書学校の舎監をしながら吉川教会の牧師をさせていただいております。一昨年、34年間共に教会に仕えてきた夫を天に送りました。伴侶を失うという試練も天国への希望を失わせるものではなく、かえって確信を与えるものとなりました。
 塩の味を取り戻したクリスチャンは社会にあって、人を生かし、喜びを与え、平和を造り出すものとなるのです。

東京聖書学校吉川教会  西海満希子牧師
(にしがい まきこ)




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