2006年8月のみことば


共に苦しみ、共に喜ぶ

一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。
        (コリントの信徒への手紙T 12章26節)




 聖書のこの有名な言葉は、パウロという伝道者が語ったものですが、後世に大きな影響を与えました。特に17世紀のヨーロッパの階層的序列社会において、人々は「何故、神はこのような社会をお認めになるのだろうか」と問題を抱えながら、神のみ心を尋ね求めていました。さまざまな解釈が試みられるなかで、あるひとりの弁護士が次のように考えました。

 「神の最も神聖な、かつまた賢明な神慮を持っておられる全能なる神は、人間の状態を非常に良く定められていて、すなわちいつの時代においても、ある者は富んでおり、他の者は貧しく、権力と名誉に優る者もおれば、服従する者もいるのである。」


 この言葉は、この社会状況は神が定めておられるのであるから、これでいいのだと達観しているように受け取ることができると思います。しかし、この言葉には深い意味が込められていたのでした。これは、新大陸アメリカに移住し政治指導者となったジョン・ウインスロップ(1588-1649)の言葉でした。彼はこの階層社会に悩み、苦しんだ結果、深い意味を見出します。その当時の不平等は社会経済の現実であったけれども、それはすべての人がお互いを必要とするために、神は異なった人間を創られたのである。と解釈したのです。そして人は兄弟愛の絆にしっかりと組み合わされるべきであり、同じ部分が苦しめばすべての部分も苦しむのである故に、才能は本来備わっている優劣の反映ではなく、神からの贈与であるから、クリスチャンは相互に神からいただいた愛をもってこの社会で共に生活しなければならない、と教えたのでした。そしてすべての人は等しく、神のみ前ではたとえ貴族であろうとも、市民であろうとも、罪人であると考えていたのでした。ウインスロップはこの理念をもって新大陸アメリカに渡り、総督としてマサチューセッツ湾植民地を築いてゆくのですが、みずからこの理念を実施し、道で行きずりの人を介抱し、自宅に連れ帰って世話をしたと伝えられています。彼は幼少時から、教会の礼拝に出席し、聖書を学び祈りました。湾植民地を統括するにあたって何が一番重要であるかを考えたとき、冒頭に上げたパウロの言葉にヒントを与えられたのでした。

 このパウロの言葉はウインスロップのみでなく、すべての国々においても指標となるべき言葉ではないでしょうか。「共に生きる社会」、ノーマライゼーションの社会は健康な人も病いをもっておられる方も、みな、同じように基本的な人権を尊重し、共にふつうに生きる社会を築いてゆこうとする社会です。このノーマライゼーションという言葉は、50年ほど前からデンマークで言われ始め、世界中に広がりました。病いの人も孤独なご老人も、みな出来るだけその人の人権を尊重し、元気な者も一緒にノーマルに生活してゆくことが社会の目標です。当然、税金は高くなりますが、それを実践している国がデンマークであり、その国の人々は老後の生活や介護、病気の医療費、教育の充実性等において、高い福祉レベルに満足しているということです。

 また、会社や企業においても、パウロの精神は生かされます。愛知県にユニークな精密部品製造会社があります。この会社の社員は応募の先着順で採用されるのです。口べたのために他社の試験に落ちた若者がここでは採用され、持っていたコンピュータの知識が活かされて、いい仕事をしていたり、高校時代は元番長だったけれど、入社して、世界最小の100万分の1グラムという歯車を開発したり、数学が不得意だったが機械にデータを入力するうちに微分積分をマスターした女性社員がいたり、などが紹介されています。
 会社は誰のものかというと、「株主のものではなく、社員と経営者の共同所有である」と、その社長は語っています。さらに、定年制は持たないので、76歳の社員も社内を走って働いているのです。会社に尽くす人には定年はいらないというのです。30代や40代の社員も安心して働くことができ、技術開発に長く打ち込むことが出来るので互いを大切にすることになるのです。(毎日新聞7月25日版より引用)
 この社長は、パウロの共に喜び、共に苦しみ、共に尊ぶという精神をもって会社経営にあたっているといえるのではないでしょうか。聖書のみ言葉は単に教会の中だけに留まらず、世界に向けて、神のご意志を発信し続けているように思われます。

 このホームページをご覧になっている方、どうぞお近くの教会に行かれて、是非聖書を学んでくださればと思います。
七里教会副牧師  佐々木佐余子牧師
(ささき さよこ)




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