2005年9月のみことば

置かれたところで咲く

主よ、わたしは知っています、人の道は自身によるのではなく、歩む人が、その歩みを自分で決めることのできないことを。
                        (エレミヤ10章23節)


 私の人生に大きな影響を与えたひとつに「置かれたところで咲く」という詩があります。
 その詩に出会うまでは、分派、分裂、差別といったものは、自分とは関係のないものだと思っていました。私は自分にとってよいもの、よい感化を与えてくれるものを熱心に求めていました。それが私の信仰熱心のしるしだと任じていました。そしてそうしながら、自分と異質なものや異質な人々を排除していました。

 そんなときにこの詩に出会ったのです。主はここから私に語られました。「私がおまえをそこに置いたのだ。おまえは私の前にしっかり立ち、私との関係を確かなものにしなさい。どこにいようと、環境や周りの人は関係ない。私との関係だけだ。お前のしているそのことは、分派であり、分裂であり、差別ではないか。ただ置かれたところで咲きなさい!」
 自分の中に、分派があり、分裂があり、差別がある!はっと気がつきました。自分がどんなに周りの人に不機嫌な姿をさらし、ふりまいてきたことか!

 詩「置かれたところで咲く」

 
神が置いてくださったところで咲きなさい。
 しかたがないと諦めてでなく
 「咲く」のです。
 「咲く」ということは
 自分が幸せに生き
 他人も幸せにするということです。

 「咲く」ということは
 周囲の人々に あなたの笑顔が
 私は幸せなのだということを
 示して生きるということなのです。
  “神が私をここに置いてくださった
   それはすばらしいことであり
   ありがたいことだ”
 あなたのすべてが
 語っていることなのです。

 「咲く」ということは
 他の人の求めに喜んで応じ
 自分にとって ありがたくない人にも
 決していやな顔 退屈気な態度を
 見せないで生きるということなのです。
               (作者不明)


 「神が私をここに置いてくださった。それは素晴らしいことであり、有り難いことだと、あなたのすべてが語っている…」
 ありがたがるどころか、神にああしろこうしろと指図している自分に気づきました。自分の道は自分で選ぶと考える、そこから起こる間違いでした。私はただ神が置いてくださった、その場で静かに咲いておればよいものを。すべてを知られる主が、私を一番適切なふさわしいところに置きなさるのです。そして私はそこで咲くのです。そのときに、「自分にとってありがたくない人にも、決していやな顔、退屈気な態度を見せないで…自分が幸せに生き、他人を幸せにして生きる」ことができるのです。

 「置かれたところで咲く」この言葉はもっとほかに良い居場所をと、探し回っていた時に、ある牧師が私にくださった言葉でもあります。私は、「神に置かれたその場で咲こう!」と決心させていただいたことでした。 
越生教会  絵鳩アツエ牧師
(えばと あつえ)




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