2005年4月のみことば

金持ちとラザロ

 「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。犬もやって来ては、そのできものをなめた。やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。そして、金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えた。そこで、大声で言った。『父アブラハムよ、わたしを憐れんでください。ラザロをよこして、指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの炎の中でもだえ苦しんでいます。』 しかし、アブラハムは言った。『子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。そればかりか、わたしたちとお前たちの間には大きな淵があって、ここからお前たちの方へ渡ろうとしてもできないし、そこからわたしたちの方に越えて来ることもできない。』金持ちは言った。『父よ、ではお願いです。わたしの父親の家にラザロを遣わしてください。わたしには兄弟が五人います。あの者たちまで、こんな苦しい場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』 しかし、アブラハムは言った。『お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい。』金持ちは言った。『いいえ、父アブラハムよ、もし、死んだ者の中からだれかが兄弟のところに行ってやれば、悔い改めるでしょう。』 アブラハムは言った。『もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう。』」
               (ルカによる福音書16章19節〜31節)
 
 今年のイースターは、3月25日(日)です。ご存知のように、イースターは主イエスが十字架の上での死から3日目に復活された記念すべき勝利の日です。
 即ち、イースターは主イエスが暗闇の地獄から天国に行かれたことを記念する日です。そして、十字架の復活なしでは、すべてが奈落の地獄に落ちます。しかし、十字架の復活があったからこそ、信じ従うすべての者は主イエスによってよみがえります。そして、神のみ国に入ります。ここから見ますと、イースターを通して主イエスが私達に「地獄と天国」があることを示されることが分かります。
 それに因んで、ルカによる福音書16章19節から31節までを通して「金持ちとラザロ」という題について皆様と考えていきたいと思います。

 先日、私はある施設の新年度の新任職員の辞令交付式に出席しました。その施設の理事長から「学校にはテキストがあります。しかし、福祉の現場にはテキストはありません。あるのは職員たちが心を持って利用者の必要に応じて、応えていくことです。」ということを聞きました。とても感銘深い言葉です。考えてみますと、信仰の世界も同じでしょう。
 この世には名前もあげ切れないほどたくさんの宗教があります。そして、各宗教には、それぞれ守るべきテキストがあります。勿論、キリスト教にもテキストがあります。ご存知のように、キリスト教のテキストは聖書です。

 聖書は物語ではありません。聖書に書いてあるすべてのことは皆、真実であり、真理です。問題なのは聖書を読んでいる私達がどう正しく理解していくかです。即ち、実践していくことです。聖書に書いてあることをその通りにすれば祝福が来ます。これが主の約束です。信じる者には、しるしが伴うからです。(マルコによる福音書16:19)
 当時、ファリサイ派の人たちは富によって正義の証明を判断しました。そして、信仰より富を慕い求めました。しかし、今日、学ぶ御言葉によりますと、主イエスは私たちの富を全然見ておられません、主イエスが見ておられるのは私たちの信仰です。

 さて、今日、学ぶ箇所に入って見ましょう。19節に「ある金持ちがいた、いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた」とあります。どうぞ、20節と21節もつづけてご覧ください。「この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、その食卓から落ちるもので腹を満たしたいものだと思っていた。犬もやって来ては、そのできものをなめた」とあります。
 ここから見ますと、この世には確かにお金に恵まれる人と、恵まれない人がいます。そして、弱い人や貧しい人はお金持ちや力がある人からの援助などを得るために、その人達の顔を見、すべての言うことを聞かなければならないこともあると思います。考えて見ますと、この世には、不公平なことが言葉で言えないほどたくさんあります。そして、この世に生きることは本当に辛いことです。それは貧富の差があるからです。その貧富の差によって、私たちはこの世にいる待遇も、天と地との差があります。そして、知らないうちに、精神的に病んだり暗い病いにかかったりします。

 どうぞ、今日、学ぶルカによる福音書16章22節をつづけてご覧ください。「やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた」とあります。
 ここから見ますと、造られた私達はこの世にどんな地位、富、力、名誉があっても、死なない人は一人もいません。そして、今、この世にまだ生きている私達も、やがてみんな死んでいきます。

 第二次世界大戦中から、世界的に有名な宋氏三姉妹の宋美齢さんは台湾の永遠の第一夫人と呼ばれていました。彼女は長生きするために、たくさんのお金をかけて体の健康に注意して来ました。しかし、どんなに体に気をつけていても、時が来ると、この世をどれほど愛していても去らなければなりません。誰もこの世に永遠にいることなどできないのです。宋美齢さんは2003年10月23日にアメリカのニューヨークの自宅で106才でこの世を離れました。今、全世界で注目されているローマ法王もこの世を去りました。愛する皆様、私達がこの世にいる時の値打ちは歳の長さから判断できるものではありません。この世にいる値打ちは私達が死からよみがえられた主イエスを自分たちの救い主として信じ受け入れた後、そのお方によってどのくらい信仰の実を結んだかということなのです。

 今、読みました22節によりますと、貧しいラザロは死んだ後、天使たちに連れられてアブラハムのところへ行きました。信仰の父と呼ばれるアブラハムのいるところは神のみ国、天国を指します。天使たちにアブラハムのところへ連れて行かれたのは、ラザロの肉体ではなく、ラザロの霊です。主イエスを信じる人はみんな霊になって神と交わりをします。ヨハネによる福音書4章24節に「神は霊である」とはっきり書いてあるからです。ここから見ますと、生前、貧しかったラザロは主イエスを信じ受け入れた人であることが分かります。

 主イエスを信じ受け入れる恵みは、ただ、お金持ちや地位のある人、有名な人の特権によるものだけではありません。救いの福音は、主イエスが平等に誰にでも同じ恵みを与えられます。貧しかったラザロと同じ時にいた金持ちはやがて死にました。22節によりますと、死んだ金持ちは、家族によって立派なお葬式が行われました。素敵なお墓に死んだ金持ちの遺体を埋葬しました。

 23節をご覧ください。「そして、金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えた」とあります。死んだ金持ちがいたところは陰府、すなわち、地獄です。ご存知のように、私達人間はみんな神から平等に霊、魂、肉体をもらいます。そして、天国に行かれる人はこの世の金持ちや、力持ち、有名な人ということではありません。天国に行かれる人の資格は主イエスを信じ受け入れられる人だけです。ヨハネによる福音書14章6節に「イエスは言われた『わたしは道であり、真理であり、命である、わたしを通らなければ、誰も父のもとに行くことができない』」とあります。地獄にいた金持ちは、遥かかなたにアブラハムのそばにいたラザロを見ました。そして、大声で、「父アブラハムよ、どうか、私を隣んで下さい、ラザロをよこして指先を水に浸し、私の舌を冷やさせてください、私はこの炎の中でもだえ苦しんでいるからです」とアブラハムに願いました。その父アブラハムは実は神を指します。

 さて、天国と地獄は一体どんなところでしょうか。天国は神がいる明るい世界です。地獄は神がいない暗い世界です。私達の罪による審判の世界です。そこはいつまでも火と硫黄の燃える池です。
 聖書には、天国と地獄に関する事項がたくさん書いてあります。その中から天国と地獄に関する箇所を読んですぐ理解できるのはマタイによる福音書13章36節から50節まで、とヨハネの黙示録20章11節から15節まで、と21章です。皆様は、どうぞ今お話した箇所を時間がある時、ゆっくりお読みください。

 こうして、主イエスを信じ受け入れたかどうかによって、目に見えない2つの世界、天国と地獄が確かにあることが分かります。更に、私達はこの世を去り、神のみ前に立つとき裁判もあるのです。使徒パウロはコリントの使徒への第一の手紙13章12節で、このことは今、分からなくても、時が来ると、分かると教えたことがあります。
 そこで、神は火の池の地獄から「水をほしい、水が飲みたい」と大声で、叫んだ金持ちに「子よ、よく思い出して下さい、生前、あなたは美味しくて、珍しいものをたくさん食べて華麗な服を着て、毎日、ぜいたくに遊び暮らしていました。しかし、ラザロは生前、生きるために精一杯頑張りました。たいへん貧しくて苦しみの中にありました。やっとラザロはこの世の苦しみ、悲しみなどのすべての悪いことから解放され、今、ここで慰められています。けれども、あなたはもだえ苦しみます。そればかりか、私達とお前たちの間には大きな淵があって、ここからお前たちの方へ渡ろうとしてもできないし、そこからわたしたちの方に越えて来ることもできない」と話されました。(ルカ書16:25.26)神は地獄にいた金持ちとの間に大きな淵があって、そこへ渡ることができないとはっきり語られました。その大きな淵は罪です。それゆえに、神はご自分の独り子、主イエスをこの暗い世にお遣わしになられました。そして、主イエスがこの世にこられた目的は私達の罪を赦すことと私達を救うためです。

 この世にこられた主イエスは、ご自分を信じ受け入れない人達によって両手、両足を釘で打ち付けられ、十字架に高くかけられました。主イエスを信じ受け入れない人たちは鞭で主イエスの御体を39回残酷に打ちました。そして、主イエスを十字架につけました。罪なき主イエスは十字架の上で死なれました。イースターは神の子、主イエスが、絶望の死から神への信仰、希望、愛を完全に現す日です。もし、神への信仰がなければ、神にかける希望がなければ、神の愛がなければ、主イエスは十字架を通して神から託された私達人間の罪を赦し、救う使命を果たすことができなかったと思います。

 このようにして、私達人間の勝負は学問、知識、地位、富、名誉、力などによるものではありません。私達人間の勝負は信仰によるのです。このことは信仰を持たないと、理解できないと思います。私達はたとえ、全世界を得ても、生命が救われないならば、同じく空しくなります。後に、暗闇の地獄に行きます。暗闇の地獄に行った人は地獄からあの金持ちと同じように、神にいくら謝っても、悔い改めても、もう遅いのです。地獄に入った人は二度と、そこを出ることができないからです。

 多くの人達は死ぬ直前に牧師を呼んで洗礼を受ければ救われ、天国に入れると、ずるがしこく思っています。ご存知のように、私達は誰でも、明日のことを予測することができません、明日、この世にまだいるかどうかは、皆、神のみ手にあります。すべての物事は私達の勝手な思いや計画によるものではありません。たとえ、自分の思う通りに死ぬ前に洗礼を受けて天国に入ったとしても、天国で、何の報いもありません。

 エレミヤ書17章9節に「人の心は何にもまして、とらえ難く病んでいる。誰がそれを知りえようか。心を探り、そのはらわたを究めるのは主なるわたしである。それぞれの道、業の結ぶ実に従って報いる」とあるからです。どうか、愛する皆様、この世では、ずるがしこく、細かく計算して生きることはしないで下さい。神は私達の行いのすべてを見ておられます。
 コリントの信徒への第二の手紙9章6節と7節に「惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。各自、不承不承ではなく、強制されるでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです」とあります。

 愛する皆様、今日、学んだ金持ちは今、まだ地獄にいます。彼は救われないからです。そこで、金持ちは、「父、アブラハムよ、私の兄弟は5人います。彼らはまだ救われません、どうか彼らを隣んで下さい。私と同じくこのような暗くて苦しい場所に来ないようにどうか、ラザロを私の兄弟のいるところへ救いの福音、救われた証を宣べ伝えに遣わせて下さい」と神に願いました。金持ちは何故兄弟たちの救いを神にこんなに強く願ったのでしょうか。金持ちは地獄の苦しみの体験をしているからです。皆様は、おそらくこのみ言葉を物語として聞いていると思います。どうか、そう思わないで下さい。ヨハネによる福音書20章29節に「わたしを見たから信じたのか、見ないのに信じた人は幸いである」とあります。どうか、このみ言葉をよく吟味して主イエスを真剣に慕い求めて下さい。

 何よりも、この地上のすべての事は、神の責任ではなく、選択する私達にあることを心の中にしっかりと受け留めて下さい。そして、主イエスによって正しい選択ができ、一度しかない人生を悔いのないように送りましょう。

お祈りいたします。
愛する天のお父様 今日のみ言葉に感謝します。今日学んだ金持ちとラザロのことを通して、天国と地獄があることを感謝します。どうか、あなたによって私達はこの世で、信仰の正しい選択ができるようにして下さい。
 今年も、春を歩む新しい季節になりました。どうか、この春の季節から、就職、進学など、新しい人生の道を歩むすべての方々を豊かに導いて祝福して下さい。また、去るイースター礼拝に、この地上のすべての教会で、洗礼を受けてクリスチャンとしての新しい信仰の出発をされた方々を、天のお父様、どうぞ、特別に顧みてお導き下さい。すべてのことをあなたに委ねます。
 主イエス・キリストのみ名によってお祈りいたします。

 
埼玉中国語礼拝伝道所  李秀雲牧師
(り しゅううん)




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