2004年5月のみことば

神は愛である

 「天から降って来た者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない。そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。」
                (ヨハネによる福音書3章13節〜17節)


 本日はキリスト教とはどんなものであるかについて、簡単にお話しさせていただきたいと思います。

 (1)まず、キリスト教とは、イエス・キリストを救い主と信じて礼拝する宗教のことであります。仏教なら仏様を、神道ならその神社に祭られている神様を信じて拝むことであります。神道の一派では菅原道真を天神様と呼んで神様として拝んでいます。キリスト教は、父なる神からこの世に遣わされた、神の子イエス・キリストを救い主として信じ拝んでいる宗教です。キリストを唯一の救い主として信じているということが、キリスト教の一番大切なことです。

 (2)それでは、イエス・キリストとはどんなお方でしょうか。彼は神の独り子であったのに、神からこの世に遣わされて来たのです。それはこの世を救うためでした。この世の人々が本当の神を信じず、神様に背き、悪を行い、滅んでいくことを忍ぶことができず、愛するひとり子をこの世に派遣されたのでした。キリストは神様の力、聖霊の働きによって、母マリアの胎によって、人間の子として生まれ、人間の姿をとって活動されました。神様のひとり子であるのに。

 (3)どんな方法で人間を滅びから救われたのでしょうか。生まれながらの人間は、みんな神様に従わず、自分勝手に生きてきたのですから、そのままでは滅ぼされなければなりません。その罰を、全人類の身代わりにとしてキリストが背負ってくださいました。何の罪も犯されなかったキリストが十字架にかかって死んでくださったのです。
 民数記21章4節〜9節に、エジプトにおいて奴隷のような状態にあったイスラエルの民が、指導者モーセに導かれてエジプトを脱出して荒野を旅していたとき、民が不平を言ってモーセを困らせたので、神様は毒蛇を彼らに送って裁かれたという故事があります。民の大勢が死んだので、彼らは神に赦しを乞い、神様のお示しによって、青銅のヘビを旗竿の上に掲げ、民はそれを仰ぐことによって裁きから救われました。それと同じように、わたしたちは十字架にかけられ死なれたキリストが私たちの身代わりとして死んでくださったと信じ、そのキリストを仰ぎ望むことによって救われるのです。

 (最後に)キリストを世に遣わし、この世に生きている人類を救おうとされた神様はどんなお方であるのでしょうか。冒頭の聖書の箇所をお読みください。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。(ヨハネ3:16)」この聖句は宗教改革者マルチン・ルターが「小福音書」と読んで大切にしていた句です。聖書66巻を縮めたらこの句になるというのです。父なる神様はこの世の人々を本当に愛してくださったというのです。だから最愛のひとり子をこの世に送って、この世の人々、つまり、他ならぬわたしたちを救ってくださったのです。3章17節には「神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。」とあります。この世に生きているわたしたちに対する神様の深い愛を覚えて、大きな感謝をもって、その愛に応えて生きていきたいと思います。

岩槻教会  山添順二牧師
(やまぞえ じゅんじ)




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