2003年5月のみことば

「べてるの家」を知っていますか?

 こんにちは。
私は奥武蔵の小京都(!?)、小川町の日本キリスト教団小川教会の牧師、長尾邦弘です。どうぞよろしく。
 さて、桜が終わって新緑の季節となり、私の家からほど近い仙元山も色とりどりの芽吹きで本当に美しい姿を見せています。おおかたの人にとって一番過ごしやすい、楽しい季節かもしれません。ところが、私にとっては毎年なかなかツライ時期です。
 春愁という言葉どおり、なぜかこの時期、私は気分が重くなってしまいがちなのです。それは、私の持病とも言うべきものなのですが、過去には何度かうつ症状で入院せざるを得ないこともありました。そんな私を、支えてくれるのは家族と、教会なのですが、もうひとつ、おおきな励ましを与えてくれるグループがありますので、ここにご紹介したいと思います。
 
 「ベてるの家」という団体のことをお聞きになったことがあるでしょうか。「ベてる」とは旧約聖書に出てくる地名で「神の家」という意味です。ここ数年の間にたびたび、テレビで紹介されましたし、去年は関係の本が何冊も出版されました。また、埼玉県にもメンバーが時々講演会に来たりしているようですね。
 私が初めて北海道の浦河という町にある、「ベてるの家」に伺ってから10年ほど経ちました。ちょうど厳寒の時期でもあり、八戸港(当時青森県に住んでいました)から深夜のフェリーに乗っての旅は結構、悲壮感あふれた出発だったかもしれません。実際ひどい風邪をひいて帰ってきましたが…。
 「ベてるの家」は、おもに精神障がいを負った方々が、地域で活動するための小規模授産所、共同作業所と共同住宅さらに有限会社からできています。
 20年前古い教会堂を借り受けて数名の共同住居として始まった「ベてるの家」は、地元の日高コンブの販売を手がかりに成長し、現在は全国から集まった約150名が生活しています。さらに年間2000人近い見学者が訪れ、そこで暮らしている人たちのユニークで生き生きとした暮らしにふれて多くの励ましを受けています。
 
 そんな「ベてるの家」ですが、実はこれは彼らのいわゆる「努力」や「頑張り」の結果ではないのです。
 私たちの多くは、自分の今を肯定することを良しとしないで、「もっと○○にならなければならない」という固定観念に縛られている気がします。たとえ表面的にでも、目標を持って努力しないとダメな人になってしまうかもしれない…というような。それが現代の社会ではあたりまえなのかもしれません。ことに精神障がいを負った人たちに対しては、できるだけ一般社会に適応できるように努力することが求められ、逆に苦しい思いをされている方も少なくないと思います。
 しかし、「ベてるの家」が始まった時、過疎の町浦河にあって、長い病気との闘いの末、社会とすっかりうまく行かなくなっていた人たちにとって「もっと」は意味がありませんでした。そういった人たちの相談にのっていた、ソーシャルワーカーの向谷地さん自身もそのころ八方塞のような状態だったとお聞きしています。当時のことなどは、出版された本をお読みになったほうがよいでしょうが、万策つき、どん底というような人に向かって「もっと○○に」という言葉は本当に空しいものです。
 彼らは苦しいけれど逃げる場所すらなかった。やぶれかぶれのありのままの姿をお互いに受け入れざるを得ない状況だったというべきでしょうか。しかし、そのときにあたらしい何かが芽生えたのだと思います。それからの歩みも平坦ではなかったでしょうが、この原点ともいえるようなあり方が今日も「ベてるの家」を支える力になっているのです。
 
 「べてるの家」のひとたちは自己紹介をする時、名前のついでのように自分の病名を言ってしまいます。それは病気を自分の個性の一つとして受け入れていればこそできることだと思います。なんと幻聴や妄想をおおぜいの人の前で発表する機会もあるそうです。
 そんな「ベてるの家」では、問題やトラブルは日常茶飯事。できるだけ問題が起きないように神経をすり減らすのとは反対のやり方です。問題が起こってあたりまえという構え方。器用でない人ばかりだもの、苦労や問題があってこそ順調、順調、というのです。
 仕事場に行くともちろん一生懸命働いている人もいるけれど、今日は2時間だけといって帰る人もいる。ぶらぶら煙草を吸って一日過ごす人もいる。でもそのままでいい。ありのままを受け入れる。だれかに迷惑をかけたら、本人に責任をとらせる(障がいがあるからといって責任をとりあげてはいけません)。問題があったら時間をいとわず納得行くまでとことんミーティングをする。(これを三度の飯よりミーティングと言う)つまり、自分の弱さを受け入れ、お互いのありのままを認め合うというということそのものが「べてるの家」の暮らしなのではないかと私は思っています。
 そんな「ベてるの家」のこころに触れた時、私を含めた多くの人たちがほかのグループにない暖かさと明るさ、自由を感じさせられ、そして励まされるのです。

 昨12月、わが小川町に「ベてるの家」のメンバーが来て講演会をして下さいました。その時のこと、夜の集会中に一人のメンバーが何気なく受付のところに出てきて、ソファーでゴロリと寝てしまいました。長旅で疲れたのでしょうが、一緒の人たちもそんな彼を起こすわけでも、逆に気遣うでもなく、なんでもないこととして一人欠けたまま、講演会を進めていました。しばらくして目覚めた彼も何事もなかったかのよう。見ていた私たちは、「ベてるの家」の人は本当に自由でいいなぁと思った次第です。


イエス・キリストは 
「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。」
(ルカによる福音書6章20節)と言われました。
この言葉は、自分の力だけでは生きて行けないことを知っている人こそが神に祝福され、心豊かに生きることができるとわたしたちに教えています。
 立派な人だけが幸せになれるわけではありません。わたしたちはみな弱さを抱えたありのままの姿で神に愛されているのですから。
 「ベてるの家」にはこのキリストのこころが生きている、と私は感じます。

 現代の競争社会の中で、行き詰まりや、生きにくさを感じている方はどうぞ教会をお尋ね下さい。なぜなら、教会は新しい生き方を提案しているところだからです。その新しい生き方は、まずありのままの自分をうけいれることから始まります。



具体的に「ベてるの家」の事業や、活動をお知りになりたい方は下記へお問い合わせになると良いでしょう。
 
浦河ベてるの家  〒057-0024 北海道浦河郡浦河町築地3-5-2-1
         TEL:01462-2-5612
         FAX:01462-2-4707
         http://www.tokeidai.co.jp/beterunoie

「ベてるの家」について、現在8冊ほどの本が出版されていますがお勧めは
 「ベてるの家の『非援助論』」 ベてるの家著  医学書院
 「悩む力」―ベてるの家の人々― 斉藤道雄著 みすず書房
 です。

来る9月27日(土)には、埼玉和光教会に「ベてるの家」のメンバーが来てお話をしてくださることになっています。当埼玉地区「アーモンドの会」(障がいを負う人々とともに生きる教会をめざす懇談会)の主催です。
 また、つづく28日(日)には小川教会の礼拝でお話をしていただきます。
 どちらの会もどなたでも参加できます。
 詳しくは夏以降、このホームページの集会案内、お知らせ等の欄をご覧になってください。

 
小川教会  長尾邦弘牧師
(ながお くにひろ)




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