キリスト
日本基督教団


日本基督教団とは? / 教団のあゆみ / 信仰告白

日本基督教団とは?

キリスト教は、大きく分けますとカトリック、ギリシャ正教会、プロテスタントなどがあり、プロテスタントも多くの教派に分かれています。日本基督教団は、プロテスタントの30有余の教派がひとつにまとまってできた合同教会です。なお、日本のプロテスタントの中では一番多くの教会と信徒を有するキリスト教団です。

 現在、日本基督教団には全国に約1,700の教会・伝道所があり、信徒総数は約20万人(現住陪餐数は10万人)です。そして、所在地別に17の教区(ブロック)に分かれています。また、教区はいくつかの地区(分区)から成り立っています。

17の教区と地区(分区)

教区名 県名 地区名

北海教区

北海道

道北地区、道東地区、石狩空知地区、
札幌地区、後志地区、苫小牧地区、道南地区

奥羽教区

青森、岩手、秋田

北西地区、北東地区、岩手地区、秋田地区

東北教区

宮城、福島、山形

仙塩地区、仙北地区、仙南地区、福島地区、
郡山地区、相双地区、いわき地区、会津地区
山形県北地区、山形県南地区

関東教区

新潟、群馬、栃木
茨城、埼玉

新潟地区、群馬地区、栃木地区、茨城地区、
埼玉地区

東京教区

東京、千葉

東支区、西南支区、南支区、北支区、
千葉支区

西東京教区

東京

中野・高円寺・阿佐ヶ谷地区、中央線地区
西武沿線地区、中央線西・青梅線地区
井の頭線・京王小田急一部地区
町田・八王子地区

神奈川教区

神奈川

横浜地区、川崎地区、湘北地区、東湘南地区
西湘南地区

東海教区

長野、山梨、静岡

北信分区、南信分区、山梨分区、東静分区
中静分区、西静分区

中部教区

富山、石川、福井
愛知、岐阜、三重

富山地区、石川地区、福井地区、岐阜地区
愛知東地区、愛知西地区、三重地区

京都教区

京都、滋賀

市内地区、府下地区、滋賀地区

大阪教区

大阪、奈良
和歌山

大阪市内中央地区、大阪市内西地区
大阪市内東地区、大阪市内北地区
大阪市内南地区、大阪府下北摂地区
大阪府下豊能地区、大阪府下河北地区
大阪府下東地区、大阪府下河南地区
大阪府下南海地区、奈良地区、和歌山地区

兵庫教区

兵庫

阪神地区、神戸地区、播州地区、但馬地区

東中国教区

岡山、鳥取

岡山県北部地区、岡山県東部地区
岡山県中部地区、岡山県西部地区
鳥取県東部地区、鳥取県西部地区

西中国教区

広島、山口、島根

広島東分区、広島北分区、広島西分区
山口東分区、山口中分区、山口西分区
山陰西分区、山陰東分区

四国教区

香川、愛媛、徳島
高知

香川分区、東予分区、中予分区、南予分区
徳島分区、高知分区

九州教区

福岡、佐賀、長崎
熊本、大分、宮崎
鹿児島

北九州地区、福岡地区、筑後地区、佐賀地区
長崎地区、熊本地区、大分地区、宮崎地区
鹿児島地区、奄美地区

沖縄教区

沖縄




日本基督教団のあゆみ

 1859(安政6)に来日した、ヘボン、ブラウン、フルベッキ等の宣教師は海外における教派の弊をわが国に伝えることを欲せず、無教派的教会の設立に努力した。従って明治初年における教会は、みな「公会」といわれた。しかし、海外から各派の宣教師が多数渡来するようになってからは、この努力もながく維持することができず、各種の教派の教会が全国各地に移植されるようになり、近年に至るまで教派分立時代が続いた。
 1923(大正12)、日本基督教連盟が組織されると教会合同の義が諸方から提唱されるようになり、同連盟主唱のもとに教会合同の研究が熱心に行なわれはじめた。
 しかもこの実現は容易な仕事ではなかったが、1939(昭和14)宗教団体法の実施された頃から、教会合同の必要が切実に感ぜられ、その機運が日とともに熟してきた。1940(昭和15)に入るとキリスト教に対する社会および官憲の圧迫が露骨となり、教会の情勢は日々緊張を加えてきた。同年8月には、各派代表者の間に教会合同の懇談が重ねられるようになり、その結果、同年1017日には、紀元二千六百年奉祝全国基督教信徒大会において、国内全教会合同の決意を表明、その翌日には各教派の代表者による教会合同準備委員会が組織されて、日本基督教団結成の準備が進められた。
 1941(昭和16)62425両日、創立総会が開かれ、30有余の教派を網羅する日本基督教団が成立した。同年1125日の文部大臣の認可により、国家の「公認」する宗教となった。
 新しく成立した教団は、当初伝統の似ている教派を集め、これを部とし、11部が相寄って教団を組織した。1942(昭和17)の第1回総会で部制解消の議が成り、翌年41日からこれを実施した。また、1943(昭和18)には、聖公会の60有余の教会が教団に参加した。
 1945(昭和20)8月、終戦となり、宗教団体法は撤廃された。教団は、教団統理者制を廃止し、新たに教憲、教規を定めた。
 1954(昭和29)1026日、第8回教団総会において「信仰告白」を制定した。1967(昭和42)326(復活日)には「第2次大戦下における日本基督教団の責任についての告白を議長名で公にした。
(キリスト教年鑑より抜粋)




日本基督教団信仰告白

 我らは信じかつ告白す。
 旧新約聖書は、神の霊感によりて成り、キリストを証(あかし)し、福音の真理を示し、教会の拠るべき唯一の正典なり。されば聖書は聖霊によりて、神につき、救いにつきて、全き知識を我らに与ふる神の言(ことば)にして、信仰と生活との誤りなき規範なり。
 主イエス・キリストによりて啓示せられ、聖書において証せらるる唯一の神は、父・子・聖霊なる、三位一体(さんみいったい)の神にていましたまふ。御子(みこ)は我ら罪人(つみびと)の救ひのために人と成り、十字架にかかり、ひとたび己を全き犠牲(いけにえ)として神にささげ、我らの贖(あがな)ひとなりたまへり。
 神は恵みをもて我らを選び、ただキリストを信ずる信仰により、我らの罪を赦して義としたまふ。この変わらざる恵みのうちに、聖霊は我らを潔めて義の果
()を結ばしめ、その御業(みわざ)を成就したまふ。
 教会は主キリストの体にして、恵みにより召されたる者の集ひなり。教会は公の礼拝を守り、福音を正しく宣()べ伝へ、バプテスマと主の晩餐との聖礼典を執り行ひ、愛のわざに励みつつ、主の再び来たりたまふを待ち望む。
 我らはかく信じ、代々(よよ)の聖徒と共に、使徒信条を告白す。

使徒信条

 我は天地の造り主(ぬし)、全能の父なる神を信ず。我はその独り子(ひとりご)、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女(おとめ)マリアより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、全能の父なる神の右に座したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審(さば)きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体(からだ)のよみがへり、永遠(とこしえ)の命を信ず。
アーメン。


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