無貌の月
     〜第三話:人喰い《1》〜



 ここ数日、新聞やワイドショー番組をにぎわせている事件がある。

 若者が数人、失踪した。

 むろん、これだけなら、大した話題にはならない。直接その者に関わり合いのない人達にとっては、よくある、どうでもいい話しだ。

 問題は、そのうち三人程が遺体で発見されたことである。

 そして、それらの遺体には、共通点があった。

 ある雑誌の表現を借りれば、『遺体の鑑別には、家族の肉眼での確認以外の方法が必要とされた』となる。
 もってまわった表現ではあるが、極めて正しい内容だ。

 それらの遺体は、原型を留めないほどに、破壊されていたのだ。
 彼等を鑑別するには、指紋、血液型、歯科治療時のレントゲン写真、そういった方法が用いられた。

 だが、全ての報道において、隠されていた事実がある。

 正確な表現をするならば、犠牲者となった彼等の遺体は皆、原型を留めないほどに”喰い散らかされていた”のだ……。




「初めまして。高草木 雅也です」

 田中に促され、自己紹介をする。

 部屋に集まった面々の反応は、……まあ、いつもの通りだ。

 そんな中で、麻生だけが、にやにやと笑っていやがる。

 火曜の夜、『特別斑』の会議が、市ヶ谷駐屯地の一室で開かれる。

 使用しているのは、三〇人程度が収容できる広さの会議室である。白い壁に、リノリウムの床という、味も素っ気もない部屋。
 そこに、これまた味気のない折り畳みの椅子が並んでいる。肘掛けの部分に、ちょっとしたテーブルがついている類のヤツだ。
 座っているの人数は、二〇人に満たないほど。

 俺は、今回が初出席だ。麻生や田中を除き、たいていの顔とは初対面である。

 なかなかバラエティに富んだ、顔ぶれであった。

 まず、自衛官さん達。……いや、俺達『特別斑』も自衛官な訳だから、この区分けは正確ではない。『制服組』とでも言っておこうか。……が、五人ほど。もちろん、田中もこの中に入る。

 そして、それ以外の人々。こちらが、十数人だろうか。麻生によると、本当はもう少しメンバーがいるようだが、全員が集まるわけではないのだろう。
 男女比は、五対一くらい。年齢は、下は高校生くらいから、上は七十歳くらいの爺さんまでが混じっている。

 俺が腰を下ろすのを待って、いくつかの連絡事項や、議題が始まる。

 組織としての一般的な諸注意、入院中の隊員の回復について、新しく導入される装備の内容等についての報告。
 そしてもちろん一番長かったのは、『魔』についてである。

 現在はどこかの社(やしろ)等に封印されている『魔』の状態について。他の管轄地区で見られた、新しいタイプの『魔』について。先日の、俺が同行した作戦についての報告もあった。

 その中に、このところ新聞やテレビを騒がせている、連続猟奇殺人の話題も出た。

「……というように、被害者の遺体に残っていた牙の痕、現場に残っていた体毛のDNA等より、全ての事件の犯人は、おそらくは同一の『魔』によるものと考えられます。
 
 犠牲者はいずれも一〇代後半から二〇代前半。性別は不定です。
 何故、犠牲者がこの年齢に集中しているかは、現在のところ不明。また、何故この数ヶ月に、急にこの事件が起こり始めたのかも、不明です。

 こうした”捕食活動”を始めたのが、最近であるのか。
 あるいは、以前から行ってはいたが、これまでは注意深く、獲物を隠していたという可能性もあります。

 どちらにせよ、全ての事件が街中で起こっていることや、現場に残された手形・靴の足形から、この『魔』は外観的に『人型』の姿をとっているように思われます。
 ただし、もちろん、何らかの変態能力を持っている可能性も、十分に考えられます。と言うか、手形や、牙の痕を見て判断すると、普段は人間と変わらぬ姿をとっているが、必要に応じて姿を変える、というタイプの可能性が高いと思って下さい」

 部屋の前に置かれた大型のテレビに、この事件に関連する画像が、いくつも映し出される。

 テレビの刑事物等から仕入れた俺のイメージでは、こういう場合、前に置かれたスクリーンに、プロジェクターで画像を映す、というのが一般的なのだが、ここでは違うようだ。
 テレビに直接ノートパソコンをつなぎ、画像を送り出している。
 なんとなく雰囲気が出ない、素っ気ない方法だ。

 画面に映し出されるのは、現場に『魔』が残した痕跡等の写真や、それについてのコメント文等である。
 狭い路地や、どこかの屋内駐車場、狭いトイレの中。血で汚れたそこかしこに、足跡や手形、あるいは壁に付けられた傷などが残されている。

 更に、遺体の写真も出る。どこか、警察の死体安置室かあたりだろうか。金属製の台の上に肉体の破片や、あるいは比較的原型を留めているパーツが並べられている。
 それがもはや、あまり”人間”を感じさせる形をしていないせいだろうか? あるいは鑑識のために、血液等がキレイに洗い流されているせいだろうか。画面に映るそれらは、妙に現実感を欠いて見えた。

「……現在、索敵斑が情報収集に当たっているところです。
 次回の会議にはもっと詳しい報告が、出来るかと思います。」

 ……その後、いくつかの簡単な連絡事項が出て、今回の会合は1時間と少しで終わった。




「お疲れっ」

 会合が終わり、麻生がさっそく声をかけてきた。
 今日の服装は、濃いグレーのパンツスーツである。確かに彼女には、スカートよりもこっちの方が似合っている気はする。

「いつもこんな感じなのかい?」聞いてみる。

「うん、そうだよ。大体、このくらいのな時間に終わるね。
 ただし、大きな作戦行動の前だったりすると、もっとずっと遅くまで掛かるときもあるけど」

「ふうん……」

 なるほど。週に一回、このくらいの拘束時間であの給料がもらえるのならば、確かにいい身分といえよう。
 もちろん、出撃がない、と仮定してではあるが。

 そんなことを考えていたとき、

「みーわちゃぁん」

 麻生に、声が掛かった。
 少し間延びした、舌っ足らずな声である。

 振り返ると、中学生ぐらいだろうか、女の子がこっちを向いて立っていた。
 ちょっと、はっとするくらいに、綺麗な子である。小柄な体つきで、真っ直ぐな、腰までありそうな綺麗な髪を垂らし、全体的にほんわかとした顔の作りをしている。
 ……が、何だろう。僅かな違和感を感じる。

「あ、香奈(かな)ちゃん、こんにちは」

 麻生が右手で少女の小さな頭を撫でながら、笑顔で答える。

「えへへ〜〜……」嬉しげに、笑う。

 その顔を見て、なんとなくピンときた。横目で麻生に目線で確認すると、彼女も頷いてくる。

 そう、何というか、この香奈という娘の表情は、少し普通ではなかった。
 外見の年齢よりもずっと無垢さを感じさせる、幼い表情・言葉で喋る。その綺麗な顔も、白痴美(はくちび)といったら言い過ぎだろうが、それに近いモノがある。

 そこに、

「おやおや、甘えんぼさんだね」

 少しハスキーな、よく通る声でそんなふうに言いながら、一人の女性がこっちにやってきた。

”うわ……っ”

 思わず、心の中で半歩引く。

 その女性は会議前から、とんでもなく圧倒的な存在感を発散していた。実は会議中も、彼女のことが気になって仕方がなかったのだ。

 彼女のイメージを、なんと言ったら一番分かり易いだろうか? アメリカかドイツかどこかの、”肝っ玉母さん”とでも例えればいいのだろうか。
 年齢は40代後半くらいだろうが、とにかく、縦横共にデカイ。

 170cmは越えているだろう、女性にしては高い身長。
 それに、その横幅。恐ろしいほど頼もしい胴回りをしている。しかしそれでいて、ただの肥満には見えないのは、豊満な胸元と腰つき、それに力強さを漂わせている全身的な雰囲気から来るのだろう。子供の二・三人を、両手でヒョイっと抱え上げらあれそうな感じだ。

 その巨体がズイズイと近づいてくるのは、かなり圧巻な眺めであった。

「よかったねえ、香奈。美和子ちゃんに会えて」

 そういって笑ったその丸い顔は、底抜けに明るいと言うのだろうか。ちょっとドキリとするほど魅力的であった。

「あ、こんにちは、晶子(あきこ)さん」

 麻生が、カナちゃんとやらの頭を撫でながら、やはり笑顔で挨拶する。

「ああ、こんにちは、美和子ちゃん。
 今日も、遅刻だったね」

 そう。麻生は会議に遅刻してきた。ちょうど俺が自己紹介をしはじめた頃、後ろからこそこそ部屋に入ってきたのだ。
 しかも、”今日も”というからには、しょっちゅう遅刻しているのだろう。

「え? あ、いやー。ちょっと大学の方の調べ物が、長くなっちゃって……」

 ショートカットの頭を掻きつつ、笑って誤魔化そうとする麻生。そのままちらっとこちらを見て、これ幸いとばかりに、話題を変える。

「あ、そうそう。紹介しますね。
 彼、今度ウチの仲間入りした、高草木 雅也です。

 雅也。こちら狩野 晶子さんと、新堂 香奈ちゃんだよ」

 女性が狩野さん、女の子が新堂さん、っと……。

「初めまして、高草木です」

 さっきの会議でも自己紹介をしたことだし、余分かな? と思いつつも、頭を下げる。

「ああ、初めまして。まあ、そんなにかしこまらなくても、いいよ。
 どうやら美和子ちゃんとはもう仲良しみたいだし、私らにも気楽に相手をしてくれて、いいからね」

 おおらかに、しかし迫力のある声で狩野さんはそう言い、俺の肩を力強く叩いた。
 ……ちょっと、しゃれにならずに痛い。

 その一方で、”どうやら、いい人みたいだ”と少し、ほっとする。

 チームの中にこんな人がいてくれれば、これからもやりやすいだろう。そんな風に思える、頼りになる感じが、この人からは感じられた。
 ……ちょっと、怖くもあるが。

「あ……っと、えっとぉ……」

 その彼女の隣で新堂さん、……いや、やっぱり香奈ちゃんと言った方がしっくりするかもしれない……が、何やらポーっとした、困った顔をしている。

「どうしたの、香奈ちゃん?」

 麻生が訊ねる。

「あ……、えっとね。たか……なにさんだっけ?」

 どうやら、俺の名前が聞き取り辛かったらしい。まあ、たしかに変わった姓ではある。

「タカクサギ、だよ。よろしくね、香奈ちゃん」

 そう右手を差し出して、挨拶する。

 その手をほっそりとした手の平で握り返しつつ、香奈ちゃんはちょっと頬を紅く染めながら、それでもやっぱり困ったような顔をして俺の顔を見ている。

「えっ……とぉ。たか……。
 ……そのぉ、なまえはなにさんですか?」

「マサヤ、だよ、香奈ちゃん。タカクサギ マサヤさん」

 見かねたのだろうか、横から麻生が手助けしてくる。

「たかぁ……、まさ……」

 もごもごと口の中でつぶやいた後、香奈ちゃんは急にパアッと明るい顔になり、俺の顔を見ながら言った。

「じゃあぁ、『タマさん』ですね!」

「……は?」

 今、彼女はなんと言った? 俺には一瞬、理解が出来なかった。
 一応、のつもりで聞き返す。

「えっと、なんだって?」

 それに対して彼女は、やっぱり一点の曇りもない無邪気な笑顔をたたえつつ、元気な声で答えてくれた。

「だからぁ、タカ……なんとかマサさんでしょう?
 だからっ、『タマさん』ですぅ!」

 ……ちらりと、助けを求めるように、狩野さんの方を見てみた。
 が、彼女は片手で顔の下半分を被い、露骨に俺の目線から顔を逸らす。

 ふと、今度は麻生の方を向くが、彼女の姿が見つからない。
 さっきまでは、俺のすぐ隣にいたはずなのに。一体どこに行ったのか?

 ……麻生は、床にしゃがみ込んでいた。

 床にうずくまり、体を丸め、両手は腹の前にと折り込まれている。
 そして、そのやや華奢な両肩は……、細かに、しかしはっきりと震えていた。

 これは……、

”笑ってやがる……”

 そう、彼女は声を漏らさぬ歯を食いしばりつつ、それでもこれ以上ないほどはっきりと、笑っていやがった。

「う……、くぅ! ………た、たた、たっ『タマちゃん』……、くくっっ……ぅ!!」

 俺は右手に香奈ちゃんの手の温かさを感じつつ、思わず天を仰いで嘆息した。



 ……そんな状態で固まっていた俺を助けてくれたのは、意外なことに田中であった。
 もっとも、別に好意からでは無かったが。

「ちょっといいかね、高草木君」

「あ、はい」

 そう答え、声の方を振り向くと、そこには田中ともう一人、もう七〇は越えているのではと思うような老人が立っていた。

「紹介しよう。この人は、『特別斑』の中でもベテランの、甲斐瀬 幹夫(かいせ みきお)さんだ。

 甲斐瀬さんの家系は旧くて、代々「退魔師」の職に就いていてね。
 現在『特別斑』の、まとめ役のようなことをして頂いている。

 少し、君と話しがしたいそうだ」

「はじめまして、甲斐瀬です」

 そう言って彼は、右手を差し出してきた。それに答え、手を握る。その枯れたような外観とは不釣り合いな、以外と温かくしっかりとした感じで、手を握り返してくる。

 歳は取ってはいるが、結構身長が高い。176cmある俺より、少し低い程度だ。真っ直ぐに伸びた背筋も、それを支えている。
 細く、年相応にしなびた感のあるその顔の中に、目だけがやけに優しく光っている。

「君は会議の出席は今回が初めてだし、皆を紹介しよう。
 時間はあるかね?」

「あ、はい。俺は大丈夫ですが」

「そうかね。そうしたら、まずは皆に顔を覚えてもらおう。
 ……と言ったところで、まあ、君の顔を一度見て覚えられないような人は、あまりいないかな?

 ともかく、君に挨拶したがっている人たちもいるし、ちょっとこちらに来てくれないか」

 麻生の方をちらりっと見ると、彼女は頷いて、言った。

「それじゃ、行っておいでよ。
 そんなに時間は掛からないんでしょ? 下の、玄関近くの自販機の前で、香奈ちゃん達と一緒に待ってるから」

「うん。悪いね」

 そう言っておいて、俺は甲斐瀬さんの後ろについて、他のメンバーの処を回り始めた。




 皆への挨拶をすまし約束の場所に行くと、麻生が暇そうに紙コップのコーヒーを啜っていた。
 椅子に腰掛け足を組み、片方の靴を脱いで、その足をぶらぶらとさせている。

「や、お待たせ。
 狩野さんや、香奈ちゃんは?」

「あ、遅いよ」文句を付けてくる。
「二人とも、今日は用事があるって言って、先に帰っちゃった」

「ふん、そっか……。
 それじゃあ、どうする? 飯でも、食いに行くかい?」

「うん!」

 二人して、基地を出る。

「で? どこに食いに行く? 俺は何でもいいんだけど。
 この辺はほとんど来たことないんだ。まかせるよ」

 とりあえず、麻生に任せることにする。
 もっとも、本当は店を知らないからだけではない。どうせ、俺の嗅覚や味覚はこの五年間、全くというほど無くなっているのだ。正直、何を食べても変わらない。ただ、体の活動のためのエネルギーを、義務的に取るだけだ。

「うーん、そうだなあ。いっそ、飲みに行かない?
 私、明日講義は午後からなの。

 雅也は、だいじょうぶ?」

「ああ、じゃあ、そうしよう」

 麻生によると、最近神楽坂の方に良い店があるらしいとのことで、そこまで移動することにした。

「そういえばさあ、」 道すがら、疑問に思っていたことを麻生に訊ねる。

「狩野さんと香奈ちゃんって、どんな関係なの?」

 姓が違うことから、親子ではないだろうし。そのわり、ただの仲良しといった感じではなかった。

「ああ、あの二人はね、一緒に住んでるの」

 あっさりと、答える。

「香奈ちゃん、もう分かったとは思うけど、軽い精神薄弱児でね。
 でも『能力』の方は、凄いの。直接的な戦闘能力としては、ウチでも最強なんじゃないかなあ。

 その分、危険でね。

 本当のご両親は、ホント普通の人達だったみたいだけど、どうしても上手くいかなくなっちゃってね。
 それで、どんなつてがあったのかは知らないけど、狩野さんが引き取ったらしいよ」

「そっか……」

 彼女も、あの真っ白な笑顔の下で、ずいぶんと苦労をしているわけだ。

「それで、狩野さん。彼女は、どんな人なの?」

「あはは、あの人は見ての通り、そのまんま。 ”すっごい”ヒト、よ」

「いや、まあ、それは確かに見れば分かるんだが……」

 全然、答えになってない。

「まあ、頼りになるお母さん、って感じよね。面倒見も、いい人だよ。

 あの人、新宿で占い師をしてるんだけどね。
 失せ物、失せ人が専門らしいよ。

 だから戦闘とかじゃなくて、索敵とか、後方支援を補助してるらしいよ」

 ……そんな話しをしているうちに、目的の店に着いた。
 神楽坂のメインストリートから、少し脇道に入ったところ。見た目は、まあ、普通の居酒屋と言ったところだが、なんでもつまみが安くて美味しいらしい。

 ……まあ、それは俺にとっては、なんの意味も持たないのだが。

「いらっしゃいませ!!」

 店員の威勢のいい挨拶を受けながら、俺達は店内に入った。




 ……三時間後、俺は後悔していた。

 確かに、良い店であった。
 割と落ち着ける雰囲気で、つまみも(俺にとっては見た目が)美味しそうだったし、値段も手頃だった。

 ……が、

「うう〜〜っ……!」

 麻生が、道ばたの電信柱にもたれかかっている。
 その足元には……、まあ、匂いを感じることが出来ないことが、よかったと思えるようなシチュエーションもあるわけだ。

”かんべんしてくれよ……”

 彼女の背中を、さすってやる。

「うっく、うぇ……、ごめんねぇ……」

 ここまでお約束だと、怒る気にもならない。

 今日は火曜日とのこともあって、周囲の店もこの時間にはほとんどが閉まってしまっていて、なんとなく薄暗く、人通りも少なくなっていた。

 ちらりと腕時計を確認する。大丈夫、まだ終電までは、少しありそうだ。

「どうする? どっかで風にでもあたって、酔いを醒ますか?」
 俺も、多少酔っていた。味覚が無いとはいえ、満腹感や酔いはあるし、麻生に付き合っているうちに、結構飲んだ気がする。

コクン、と彼女が頷く。

 確か、そこを脇に入ってすぐのところに、小さな公園があったような気がする。
 変な奴等のたまり場になっていたり、アベックに占領されていたりしなければ、一休みできるだろう。

「ほら、がんばれ」

 麻生に肩を貸して、その方向へと歩く。

 公園で一休みして、落ち着いたら帰ろう。終電には間に合わないかもしれないが、そうしたら、仕方あるまい。タクシーでも捕まえるしかなかろう。

 麻生に貸した左肩が、結構重い。この娘、見た目は結構細いのだが。
 まあ、酒のせいで、脱力しているからかもしれない。”死体は重い”というのと、同じことなのだろう。

 公園に入ると、よかった、先客は見あたらない。
 暗い水銀灯の明かりのみが、公園内を照らしている。ほんの、ビルの谷間に出来た小さな公園で、ベンチがいくつかと、水飲み場とトイレ、多少の木々の植え込み以外なにも無い所だ。

 とりあえず麻生を水飲み場の方へと、運ぶ。

「ほら、とりあえず、うがいしろ」

 力無く頷くと、麻生は蛇口に顔を寄せた。それでもその動作は怪しげで、支えていてやらないと危なっかしい。

 口をゆすぎ終わるのを待って、彼女を開いている木のベンチの一つまで運んだ。
 まず彼女を座らせて、その横に腰を下ろす。やっと一息付けた。

 ポケットから、ここまでの道すがら自販機で買ってきた清涼飲料水のカンを取り出し、プルトップを開けてから、一つを麻生に渡してやる。

「あ、ありがと」
 素直に受け取る。

 自分の分の飲み口を開けて、中身を口にする。喉を通り胃へと流れ込む冷たい液体の感覚が、酔った体に気持ちいい。
 ベンチの背もたれに体を預ける。俺の方も、思ったより酔っていたらしい。どこから吹いてくるのか、心地よい風がありがたい。

 ……と、それまではグッタリとしていた麻生が、ふと顔を上げた。なにやら妙に真剣な顔をして、鼻をひくひくさせている。

「どうした?」彼女に訊ねる。

「うん。ねえ、なんか、変な匂いがしない?」

 俺の顔を見る。

「いや、すまん。言ってなかったかもしれないけど、俺の鼻は、嗅いが全然分からないんだ」

「……この匂い。なんか、血みたいな匂いがするよ」

 ………最近、話題になっている殺人事件…………。

 二人して目を合わせ、立ち上がる。周囲に注意をはらう。

”ガサッ”

 俺達の座っていたのと、反対側のベンチ。その後ろの植え込みの中から、小さな音が聞こえた。

 身構え、そちらの方へと神経を集中する。先週の、あの山での『魔』との遭遇が思い起こされる。

 そして、植え込みの中に、小さな二つの点のような明かりが灯った。

 金色の、小さな二つの点。

 山の中であった『魔』の少女の瞳と、そっくりの光。

 ……俺は、神経を『集中』させた。



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