また殺したんだな・・・


(うるさい・・・)


 何人殺せば気が済むんだ?


(黙れと言っている)


 黙れ? 解っているんだろう。お前が僕から逃れられないことくらい


(・・・・・・っ)


 幾ら僕を拒もうと、血で罪を拭おうとしようと、お前は逃れられない


 僕は、絶対にお前を許さない


 だって・・・


 あの人を殺したのはお前なんだから・・・






リニアの日記

第二章 彷徨いの迷い子
〜discovery〜



 ジェチナという街は一部を除いて、夜は全く機能しない街である。そこに住む者は知っているのだ。如何に闇という空間が危険であるのかを。

 そして同時にジェチナには掟が生まれた。夜の静寂を乱す者は裁かれると。思えばそれがジェチナで生まれた最初の掟であった。

 だが夜に機能しないということは、必然的に活動時間が早まることを意味する。眠るのが早くなれば、起きるのも早くなる。極自然な理論だ。しかしそれが外から流れて来た人間にとっては、あまり慣れない習慣らしく、ジェチナ生まれと、外の街の生まれの違いはこれで解るのだという。

「それにしても、ルークが寝坊なんて珍しいわよね〜」

 そんな事を愚痴りながらジェシカはルークが滞在している宿の階段を上がっていく。ルークはこの弧扇亭に滞在する代わりに、毎朝、宿の食料の買い出しを頼まれているのだ。

 いつもならば定刻10分前には降りてきているのだが、今日に限っては彼は定刻を過ぎても降りてこなかった。

「ま、昨日は妙なのと戦ったし、疲れたんでしょ。ルークも人の子ってことよね〜」

 ジェシカはそう一人で納得しながら、ルークの部屋の前で立ち止まる。何となくルークが人であることを確認したようで、悪い気はしない。

 なにせ昨日、バルクという男と戦った時のルークは尋常ではなかった。ジェシカはあの時初めて死神としてのルークを見たのだ。躊躇いもなく人の生命を断つことの出来る魂の狩人、少なくともジェシカにはそう思えた。

(あれが死神ルーク・・・)

 今思い出しても寒気がする。ジェチナの人間は、元が混沌に満ちた街に住んでいたために殺意や敵意にひどく敏感だ。だからそういった負の感覚というにはいくらかの耐性がある。だがルークにはそれがなかった。

 人は未知なるものを恐怖する。殺意どころか意志が感じられないルークを、ジェシカは恐れたのだ。

(あんなの、ルークじゃない・・・)

 彼女の知るルークは、無愛想ではあったが、無感情ではなかった。掴み所が無かったことは確かだが、彼からは優しさを感じていた。それも確かなことだったのだ。

 少し戸惑いながらも、ジェシカはゆっくりと目の前のドアを開けた。そしてジェシカはそこで見てはいけないものを見てしまったのだ。

「・・・・・・ぁ」

 ジェシカは絶句した。恐れていた事態の一つではあったのだ。予測は出来た事態であった。だが・・・、本当にそれが事実であるということは信じたくなかったのである。

「ルーク・・・」

 よろけそうになる身体を何とか支え、半ば諦めるようにそう呻くと、彼女は廊下の壁に掛けてあった小さめの角材を手にする。それは確か宿屋の女将さんがテーブルの脚を作るために持ってきた角材なのだが、それはどうでもいいことだ。

 ジェシカはそれを両手でしっかりと握りしめ、ゆっくりとその部屋に入っていくと、その角材を大きく振りかぶった。そして心に溜まっていく理不尽な怒りを、その対象に向けて躊躇いもなく思い切りぶつけた。

「このぉ、げどおぉぉぉぉぉぉぉぉっ」

 ジェシカはそう叫ぶと、振り上げた角材を躊躇いもなく思い切り振り下ろす。その進行方向にある物は、他の何でもない。ベッドの上で安らかな顔で寝ているルークだった。

 彼は完全に熟睡していた。彼の寝顔すら初めて見るジェシカには、それは意外なものだったが、それよりも今問題にすべきはそんなことではなかった。彼の横には可愛い寝息をたてて寝ている少女の姿があったからだ。しかも、シーツからはみ出ている二人の手は、まるで恋人のようにしっかりと握られていたのだ。

「ん?」

 ジェシカの怒涛の声に、ルークは瞬時に目を覚ます。彼女が放っている強い殺気のせいもあるのだろう。大陸に生きる人間は感情に敏感だ。

 とにかく危険を悟ったルークは、迫り来るその危険から身をかわそうとする。が、ルークの動きは彼の服の裾を掴んでいた、横で寝ている少女のもう片方の手によって遮られたのだ。

 ドゴォという鈍い音が部屋の中に伝わる。

 直撃だった。ジェシカの持っていた角材は、確実にルークの脳天を直撃したのだ。如何に絶大な守備力を誇る闘気使いといえど、闘気を発動させる前にそれを喰らえば、ただの常人と変わらない。

 ルークは頭を襲った鈍い痛みに、余っていた右手で痛みが走る箇所を押さえる。

「ってぇ。ジェシカ、一体何の真似だっ!」

 よくよく考えてみればルークが怒鳴るのは初めてのような気がする。だがジェシカは全く怯むことなく彼に対峙する。

「いちおー知らない仲じゃないから、信じてはいてあげたのに・・・。まさか本当にリニアを傷物にするなんてっ!!」

「は?」

 ルークは意味が解らず間抜けな声をあげる。ジェシカはそんな彼に構わず話を続けた。

「とぼけるつもりっ。あんたがベッドに寝ていること、それにとりあっているその手が何よりの証拠じゃない!」

 言われてようやく思い出したのか、ルークは自分の左手を見る。そこではリニアの小さな左手が、ルークの手をしっかりと握っていたのだ。

(この状況はっ)

 見方によっては、ひどく誤解を生む状況であることをルークは瞬時に悟った。珍しく、止め通りのない焦りを覚えながらルークは余っている右手を前に差し出す。

「ま、待て、ジェシカ。取りあえず人の話を聞けっ」

 とルークは彼女を制そうとするが・・・。

「んんっ」

 さすがにこの騒ぎに寝苦しさを感じたのだろう。リニアは突然むくっと身体を起した。そして寝ぼけた様子で辺りをきょろきょろと見回した後に、まるで探していたものを見つけたような様子でルークの顔を見る。

「えへへ、ルーク・・・」

 彼女は甘い声でそう呟くと、にっこりとこれまた甘い笑顔を浮かべる。そしてトドメとばかりに、リニアはルークにむかってしっかりと抱きついてきたのだ。

 彼はおそるおそるゆっくりと視線を元の位置に戻した。

「話は、聞く必要ないみたいね」

 ジェシカは笑っていた。だが心がそれと同様でないことをルークは気付いている。さぁぁっと血の気が引いていくのを、ルークは感じていた。思えば、他人に抱く恐怖、というのはこれが初めてかもしれない。彼女の持つ角材に、疑似闘気である魔導闘気が込められていくのが、ルークには解った。

 とにかく彼はリニアを巻き添えにはすまいと、取りあえず寝ぼけている彼女を引き離し、ジェシカの怒りに備えた。

(確か、ジェイクが医療術の一環として魔導闘気法を教えてあるって言ってたっけ?)

 と何故か訳の解らない思考だけが冴えるのを疑問に思いつつ、ルークは朝っぱらから地獄を見ることになるのだった。

***

「だ、だから謝ってるでしょ」

 宿屋、弧扇亭の食堂では遅めの朝食を取っているルーク達の姿があった。所々に生傷を作っている彼に、おそるおそるそう話しかけているのは、先程までルークを角材で叩きまくっていたジェシカだった。

「53発・・・」

 ルークはぼそっとそんな数字を呟く。それはジェシカがルークを角材で殴りつけた打撃の回数だ。

「そ、そんなの一々数えないでよっ。陰険ねっ」

「ほぅ、それをお前が言うのか? 相手が闘気法を学んだ人間だったから、この程度ですんだんだぞ・・・。普通なら今頃殺人者かぁ。医者がねぇ」

「ううっ」

 じりじりと、いたぶるように紡ぎ出るルークの言葉に、さすがのジェシカも言葉を返せないでいた。そしてその傍らでは笑い転げているカイラスの姿と、気まずそうにその光景を見守っているリニアの姿があった。

 しかしそれで黙っている程ジェシカは可愛い性格ではない。ジェシカは何とか言葉を返そうと、何か無いかと頭の中を通常の3倍の速さで回転させる。

「あ、でもさ、ルーク、何で避けなかったの? それに、あたし程度の魔導闘気で傷作るなんて・・・。あんた、本当はもしかして弱い?」

 ようやく見つけたジェシカの言葉に、バキっという音をたてて、ルークは握っていた木のスプーンの持ち手の部分を握力にまかせて折った。

「シーツにくるまった状態で逃げれるわけないだろう。それに、後々お前も患者を持つだろうから、先に一つだけ言っておく。俺が弱いんじゃなくて、お前が化け物じみているだけだっ」

 幸いだったのは、途中でリニアが目を覚まし、ジェシカを制してくれたことだろう。それがなければルークとてどうなっていたか解ったものではない。

 そう言った後に、ルークはおかしそうに机を叩いているカイラスを睨み付ける。

「さっきから鬱陶しい。大体お前が発端だろう」

「いや、ジェシカの傷物の方が先だろ〜。でもよ〜、お前がそんな風にきれるなんて・・・。ひぃひっひっ」

 よっぽど今のルークの様子が物珍しかったのだろう。未だカイラスは腹を抱えて奇妙な笑い声で笑っていた。

「だけど、柄にもなく添い寝なんてしてやるお前も悪いんじゃないか? 幾ら不安がっているからっていって、それを機に自分の趣味に引き込もうなんて・・・」

 と言いかけた所で、カイラスの言葉は止まった。というよりも止められたと言った方が正しいだろう。ルークの殺気めいた視線に、さすがに身の危険を感じたのである。

(へぇ、そんな顔も出来るんだ)

 殺気の籠もったルークの瞳、というのはジェシカは初めて見るような気がする。考えてみると、まだ一週間もたっていないが、確かにリニアが来てルークはいろんな表情を見せるようになっていた。

(やっぱり、幼女趣味?)

 しつこくそう思うジェシカをルークが一瞥する。

「何か、よからぬ事を考えていなかったか?」

「べ、別に」

 突然の視線に、ジェシカは慌てて首を横に振る。ルークは「そうか」とだけ言うと、折れたスプーンを器用に使って、残ったスープを飲みはじめた。

(スプーン、変えればいいのに・・・)

 おそらく頭に血が上ってそんな事すら思いつかないのであろう。何となくまぬけな気がする。

(私の知らないルーク、か。でもあんな怖いルークよりは、こっちの方がいいよね)

 ジェシカはふっと小さく笑うと、彼女もまた朝食の残りを食べ始めた。





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