空中線の不思議


 大戦末期の米軍戦闘機には、現在の方式と同じVHF−AMの無線通信機が搭載されており、これによって、極めて安定した近距離通信が可能であった。

 それに対して我が方では、VHF航空無線通信をついに実用化できず、3式までの戦闘機に搭載された99式飛
(とび)3号無線機 注1も、操縦者たちには、通じないとの定評があった。しかし、常識の如く言われる「通じない無線」は、便利な言い訳として多用されたきらいもあり、相当に割り引いて受け取る必要がある。

 悪評の原因は、無線機本体の問題よりも、むしろ発動機点火系から発する火花雑音の電磁遮蔽不良や機体各部間のボンディング(アース)不完全など、機体側に起因する部分が大きかった。だが当然、これに対する改善策も講じられており、昭和19年後半には、実用上十分なまでに状況は改善されていた。飛行第47戦隊幹部であった故刈谷正意氏が、「
無線は防空戦隊の命だから、よく整備して、うちの戦隊では完璧に通じていたよ」と胸を張っておられたことを思い出す。

 244戦隊整備隊本部小隊長をされた故鈴木茂氏も、かつて雑誌
(航空ファン1978年4月号)の中で
無線は、性能が悪かったというより、生の言葉のやり取りだから、どうしても不明瞭になる部分があったということではないか。特に問題はなかったと思う」と語っている。

 筆者自身もこれに同感だが、聞き書き経験の中では、一般に、操縦者は「通じなかった」果ては「一度も使ったことがない」「俺たちの飛行機には無線なんか積んでなかったんじゃないか?」とまで言い、一方、地上勤務者の多くは「ちゃんと通じていた」と記憶している。

 両者のこの極端な印象の違いは、結局、空と地上の環境の差であろう。戦闘に臨む操縦者は、極度の緊張と極寒、低酸素など酷な環境に置かれ、心理的余裕を失っていたのに対し、地上勤務者は、客観的立場から冷静にやり取りを傍受していたことに起因するものと思われる。

244戦隊機の空中線展張法



 ここに図示したように、244戦隊の3式戦は空中線の張り方が通常と異なり、支柱付近から枝分かれした電線が右水平安定板先端
注2にかけても張られている。つまり空中線は、ほぼ2倍に延長されているのである。
 これは明らかな無線性能向上策と思えるが、一方、邀撃戦華やかなりし頃には、これと逆行するが如き空中線支柱の撤去と空中線長の短縮が、244戦隊機の一部に実施されている。
 高々度性能向上のための軽量化が至上命題であったことは分かるが、情報入手および伝達が不可欠な戦隊長機にまでこれが実施されたことには、大いに疑問を抱かざるを得ない。

 私はかつて、この件を故三谷整備隊長にお尋ねしたことがある。三谷氏は
情報が重要な防空戦隊で無線は命。だから、敢えてその能力を落とすようなことをするはずがないのだが…」と、写真を見ながら首を傾げておられた。
 結局、疑問は解けなかったのだが、戦隊長機までが空中線支柱を撤去した事実は、通話性能が実際にはそれほど落ちなかったことを意味しているとも考えられる。

 もし、元々性能に劣る99式飛3号のままで、重要な空中線性能を低下させてしまえば、通信能力は実用に耐えないほど悪化していたかもしれない…。だとすれば、244戦隊では無線機自体を高性能のものに交換していたのではないか…という推理が成り立つ。

 実は、244戦隊機に見られる空中線展張法は、4式戦のそれと全く同じである。無線機本体と空中線は通常、セットになっているはずで、もし無線機が新型に換装されていれば、空中線も専用のものに交換された可能性が高いのである。

 小林戦隊長機から無線をそっくり降ろす作業に従事した整備隊員もいる。当人は機関工手なので理由は知らず、軽量化のために降ろすのだと思い込んだようだが、戦隊長機が無線を積まずに飛ぶことはあり得ないので、あるいは、これが新型無線機に載せ換えるための作業だったかもしれない。通常の整備であれば、セット全てを降ろすことはないはずである。

 4式戦に搭載された4式飛3号無線機
注3は、出力が20ワットに増大、また送受ともに水晶制御(99式は手動プリセット受信)になって安定した通信を可能とし、空中線整合器(アンテナカプラーまたはアンテナチューナーとも言う)も装備したものである。
 空中線整合器があれば空中線長が増減しても同調が可能となるので、もし244戦隊機の無線機が4式に換装されていたとすれば、支柱撤去(空中線長短縮)にも合点のいくところなのだが…。

注1=飛3号は機上近距離通信用を示し、実用通信距離は30〜50qとされた。空中線電力10ワット。97戦も本来装備は96式飛3号だが、244戦隊では18年春頃、99式飛3号に換装している。
注2=大半は右だが、水平安定板にかけて張ったものも一部あった。
注3=4式戦も生産当初は99式飛3号を搭載していた。


補足
 以下は「横浜旧軍無線通信資料館」土居氏から、送話器と通信距離についてのお尋ねがあった際、奇しくも244戦隊会の前日だったため、当日コピーを持参して、出席の操縦者、複数に質問をした結果をまとめたものである。
 なお、空対空に関しては、「通じなかったという印象が強い」との意見もあったが、これは、たまたま危急の際に通じなかった…など、各人の体験の違いに起因する要素が強いように思われる。

送話器(マイク)について
 おおよそ3000メートル以下の低高度では、ゴム製マスク型のマイクを使用した。それ以上の高々度に上がる場合(邀撃では、これが常態)は酸素マスクを装着したが、マイクはマスクの中に仕込まれていた。しかし、酸素マスクは顔を大きく覆っているため、声を出すと息がこもって飛行眼鏡まで曇ってしまうことがあり、これには困った。

 咽喉マイクは多数の在庫があったが、実際には19年11月頃、震天隊で1〜2度使用しただけだった。その後は一度も使わなかったが、理由は分からない。

通信距離について
 内地防空部隊では、情報入手に不可欠な無線機の整備には完璧を期しており、作業にも優秀な人材をあてていた。不具合が発生した場合でも、メーカーから迅速に技術者が派遣され、対策が講じられる態勢をとっていたので、問題は生じなかった。

 空地の通話は何の支障もなく、1万メートル付近まで高度をとった場合には、
ほぼ日本全土をカバーできた。実際の邀撃戦でも、東京を中心とする関東一円の作戦運用に問題はなかった。
 空対空の通話も可能だったが、具体的な距離は測ったわけではないので明確なことは言えない。少なくとも、10Km以上であったことは確か。

 ただし、これはあくまで内地防空戦隊の話。末期の比島戦線などでは、空地ともに整備状態が悪く、無線を入れても聞こえるのは敵方の交信ばかり…という状況だった。役に立たないので、次第に電源を入れなくなってしまったのが現実だった。(ここまで聞き書き)

 なお、高木俊朗著『陸軍特別攻撃隊』には、八紘第4隊を調布から台湾まで誘導した双発高練乗員の手記からの引用として、宮崎県新田原までは調布の対空無線と交信しつつ向かった、と受け取れる記述がある。中型機なので、搭載無線機は飛2号と思われる。


20年3月 小林戦隊長と4424号機

 20年3月下旬の小林戦隊長と4424号機。支柱付近から右水平安定板に向けて
斜めに走る空中線に注目。この空中線が、はっきり写っている写真は少ない。



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