菊池氏写真と16号機


菊池俊吉氏の写真について

 故菊池俊吉氏が調布で撮影した写真の中に、機体下面を黒く塗ったように見えるものがある。これは、霜解けでぬかった泥がプロペラ後流で跳ね上がり付着したもので塗装ではない。この泥は尾輪に溜まって飛行機を立ち往生させたり、ラジエターを詰まらせる厄介物だった。

 彼の写真集『陸軍航空隊の記録』の解説は、素晴らしい写真とは裏腹にお粗末なものだ。
 解説の中で
前田 滋少尉とされている人物が、実は松枝友信伍長であると生野氏(飛行隊長)から指摘され、筆者がご遺族にお伝えしたところが、本に掲載された写真を前田氏本人と信じて疑わず毎日手を合わせていたご遺族からは、かえって不興を買ってしまい、後味の悪い思いをしたことがある。
 遺族と言っても、生身の前田少尉本人を鮮明に記憶している人が既にいなかったために生じた誤解ではあるが、
無責任な文章は罪作りである。そのご遺族も既に他界されてしまった。

 前田少尉の戦果に関する情報は現在まで得られていない。また、松枝伍長以外に写真に写っている人物は、本多一夫軍曹松本順二伍長
(両者とも20.6.3戦死、階級は撮影時点)、それに藤井 正伍長であり、将校は入っていない。

 菊池氏の撮影について同書の解説者は、単なる報道取材と捉えているふしがあるが、これらの写真は皆、周到な演出の上で撮影された、今で言う「
やらせ」であり、この認識は誤りである。現実を知る隊員諸氏が見ると、「あり得ない光景」が多いという。

 菊池氏の写真は、大本営の意図に基づいた戦憮工作用に撮影されたもので、被写体となった部隊は大本営から命令に近い指示を受けていたと思われる。だからこそ、彼の思い通りのシーンが作れたのである。当人の認識は知らないが、彼の仕事は軍任務そのものであったと言える。



16号は誰の乗機か

はじめに
 菊池氏撮影による写真群の中で、いかにも演出という雰囲気の写真が、松枝伍長が戦友と談笑しながら愛機に3個目の撃墜マークを描き入れている…という構図のもの別掲写真1であり、私もこの写真から、本機が松枝機ではないかと思ってきた。また、この写真の人物(松枝)を、何も知らない書き手が「前田少尉」と、誤った説明文を付したことによる顛末は前述の通りだが、では本機は、本当に松枝伍長の乗機であったのだろうか。

当該機は16号
 実は最近、昭和20年1月末〜2月はじめ頃、浜松三方ヶ原飛行場で当該機の全体像を写した写真が見つかった写真1。これによって、当該機は16号であり、本ページに掲載した各写真の検証からも、菊池氏撮影(2月23〜24日と推定)の以前から撃墜マークは既に記入されていたことが、確実となった。
 つまり、別掲写真1は全くの演出で、松枝伍長がマークを実際に描いているわけでも、また、本機が彼の乗機だと証明するものでもないのである。

松枝機は代々木に
 松枝伍長は20年2月19日、都内でB29 1機を撃墜し、2月10日に続いて2機目(単独は初)の撃墜戦果を記録しているが、当日、代々木練兵場に不時着した松枝機は、その後もしばらくの間、代々木に放置されていた姿が、当地を遊び場としていた地元小学生らによって目撃されているのである。本機はマウザー砲装備の1型丙であったという。
 よってこの機体は、菊池氏撮影時点ではまだ調布に戻っておらず、16号とは別機である。

20年1月3日
 では、16号は誰の乗機であったのだろうか。
 おそらく、本機の日付入りマークは撃墜を、日付のないマークは撃破を示しているのであろが、マークの1つに「20.1.31」の日付があることは重要な手がかりになる。

 20年1月3日に撃墜戦果を記録したのは、白井、鈴木、大田、生野、竹田、小川、田中、梅原の8名であり、このうち「そよかぜ」の所属は生野と小川。小川少尉機に、「20.1.3」の日付入りマーク1個が描かれていたことは、別掲写真2で確認できるが、本機は1型丁(16号は乙または丙)であり、迷彩の違いからも16号ではない。

16号は生野大尉機ではないか
 では、残る生野大尉はどうか。彼もまた、別掲写真3のように16号以外の機体にマークを記入する姿が記録されている。しかし、隊長機は2機用意されているのが常套である。生野大尉は、別掲写真3の機体と16号とを、2月中旬頃まで併用していたのではないか…。そして菊池氏撮影の20年2月下旬には、16号と88号という組み合わせになっていたのではあるまいか。

 菊池氏撮影の88号に撃墜マークがないのは、本機が隊長乗機となってまだ日が浅いことの証か、あるいは、16号が本来、主で、88号が従の位置づけであったことを示唆しているのかもしれない。




写真1 昭和20年1月末〜2月はじめ頃、浜松三方ヶ原飛行場で撮影された16号機。
 しゃがみ込んで何かを書いている小川清少尉の傍らに塗料缶が置いてあるので、撃墜マークを描く準備をしているようだ。この際、
別掲写真1に見られる撃墜1、撃破2を示す3個のマークが描かれたと思われる。また、別掲を除くこのページの以下の写真は皆、写真1と同時に撮影されたと考えられる。



16号にスコアマークを描くポーズの前田少尉
写真2

この写真に、『世界の傑作機No.17 飛燕』は

…3個目のスコアマークを描き入れる飛行第244戦隊
第1中隊の前田滋少尉。(中略)B29 2機撃墜、3機
撃破の戦果を記録していた…
という事実無根の説明を付けている。

 この人物は前田少尉に違いないが、本機は上記の
ように前田少尉機ではなく、この写真は
演出である。


16号の前に立つ前田少尉
写真3

 同じく、浜松で撮影された16号機と
前田少尉。本機は胴体下面にまで迷彩
が施されている。

 この角度でもマウザーの砲身が確認
できないので、本機は1型乙の可能性
が高いかもしれない。


16号と小川清少尉
写真4

 同じく、16号機と小川清少尉。


16号と藤井正伍長

写真5 同じく、16号機と藤井正伍長。



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