多磨霊園・浅間山秘匿地区




昭和19年11月、八紘第4隊へ転出する
黒石川伍長(前左から2人目)と松本、山下、
大田、阿部、伊川、八木伍長らの送別記念
写真。

彼らは少飛12と予備下士9期。戦隊には
同時期に配属され一緒に教育されていた。




上写真の約半世紀後、同じ多磨霊園名誉霊域内シンボル塔(噴水)で撮影
したもの。
塔の右手には東郷、山本、古賀各海軍元帥の墓所があり、244戦隊の隊員
には墓参が奨励されていた。
昭和20年には、この周囲が飛行機秘匿場所となり、翼が当たるために道路
沿いの墓石は全てなぎ倒された。




20年10月頃、調布飛行場北西端の掩体で写された244戦隊の5式戦。
占領軍によって破壊されている。本機は、調布に待機していた数機のうちの
1機であろう。
左手後方が西武鉄道多磨墓地前駅。このホームからは飛行場が一望できたが、
翌年には調布水耕農場が建設されたため、この辺の風景は瞬く間に一変して
しまった。



浅間山
(せんげんやま)秘匿地区


20年5〜6月頃、調布飛行場から遠く離れた浅間山の秘匿場所へ運ばれる
独飛17中隊の100式司偵。これほど多数の人員で曳いているのは、ここが
長い上り坂だから。
後方の丘は多磨霊園の一部(当時はまだ畑)。浅間山には当時、府中陸軍
燃料廠の秘匿燃料タンクが設置され、大規模な地下壕も掘られていた。




上の写真とほぼ同じ場所の今日。この道路が飛行機誘導路の名残。
この場所は現府中市若松町5丁目、明治大学グラウンドの南側。




一見ただの窪地のようだが、浅間山山中に残る府中燃料廠の秘匿タンク跡地。
当時は深く掘り下げてあり、のり面は下写真のような石垣だった。
09.11.2追加





秘匿タンク跡地に残る、のり面の石垣。おそらく大半が埋没して、上部だけが露出している
ものと思われる。
09.11.2追加




空中写真に写る5基の秘匿燃料タンク。画面左下に延びるのが、燃料廠に通ずる道路。
横穴壕の入口も多数開いている様子。
09.11.2追加



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