その他




大格前エプロンから営門方向。左にかつての防総飛行班事務室と防火用水が見える。この
用水では鯉が飼われていた。防衛総司令官東久邇宮殿下も年に数回、ここにお見えになった。




飛行場内道路。左手に大格、ロータリー。右手に水路と給水塔がある。写真の建物は皆、
米軍時代のもの。この道路も滑走路と同規格のコンクリート舗装だった。




営門からの眺め(昭和37年)
左写真とは反対方向の眺め(昭和45年)



昭和50年頃の営門。かつては門柱の上に丸い門灯が乗っていた。鉄製のアーチは米軍時代に
部隊名の看板を掛けており、戦時にはなかった。ここを右にそれて直進すると、仮泊所に出た。




調布飛行場南地区の第17飛行団司令部玄関前にあった防火用水。




昭和16年に造られた調布飛行場北端の外周水路。右手が飛行場。




昭和18年に拡張された西地区の場周水路。上写真の初期完成部分よりも施工が簡略化
されている。遠方右手は米軍関東村住宅地区のアメリカンスクール。




調布飛行場の特長の一つは、多くの排水溝(暗渠)が縦横に走っていることで、これは
米軍水耕農場の時代にもそのまま利用された。
この写真は、飛行場北端の立川航空廠調布出張所付近の排水溝。蓋は失われているが、
敗戦直後のこの写真の左隅に写っているのと同じ場所。
09.10.24追加




上写真の反対方向。後方が飛行場。09.10.24追加




滑走路を渡った飛行場北西からの眺め。まだ戦時と大差はない。




多くの特攻機が旅立った同じ滑走路からレジャー用軽飛行機が飛び立つ。奇しくもこのパイパー
チェロキー(JA3351)は、この後間もなくロッキード事件の児玉被告邸に「特攻機」として突入した。




早朝、大格から晩秋の富士を望む。 昭和18年正月、ほぼ同じ場所からの眺め



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