昭和20年8月末 米海軍偵察機が撮影した調布飛行場南地区




 占領軍は、進駐前にこのような写真偵察を実施して、飛行機の員数と武装解除状況を確認した。この写真には、現在の三鷹市大沢グラウンド一帯が写っている。右下隅に一部見えるのが補助滑走路の端。左上のS字型が天文台道路である。

 右下部分の計13機は第161〜164振武隊の3式戦、掩体の中と左下の計11機が飛行第52戦隊の4式戦。上方右手から舗装エプロンにかけての計18機が飛行第6戦隊の99式襲撃機で、中隊毎に3つに分かれて整列している。左手最も上が10飛師司令部飛行班の双発高練、高練、ユングマン各2機。

 中央やや右の2棟が、みかづき隊ピスト。左手数棟は旧第17飛行団司令部(
)で、円形の防火用水は数年前まで残っていた。木造格納庫2棟を含めた建物は5月25日夜の空襲でかなり焼失しており、不要となった掩体の中が肥溜めとして利用されていることや、多数の蛸壺壕も認められる。

この兵舎は、戦争末期には対空無線隊が使用していた。隣接地(写真では上方)には、かつて第1航空軍司令部(建物は焼失)があった



調布飛行場の沿革に戻る