↑ 昭和16年7月初旬、竣工間もない調布飛行場。同月中には陸軍の管理下に入り、第17飛行団司令部、飛行第144戦隊、独立飛行第101中隊、第14航空通信隊が配置された。
A=調布飛行場建設事務所。建物は、翌17年拡張された南格納庫地区に残り、第17飛行団司令部の施設として利用された。のどかな時代で、職員が現場に出払ってしまうと、所長の未だ小学生の息子が電話番をさせられていた。 |
↑ 調布飛行場計画平面図
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■ 調布飛行場建設予定地斜め空撮写真(押立山谷から大沢にかけて写っている) ■ 調布飛行場建設計画説明書 ■ 調布飛行場照明器具其他配置配線図 (東京都公文書館蔵・古橋研一氏提供) ■ 上記配置配線図中のT型風向指示灯写真 ■ 調布飛行場竣工式を伝える東京日日新聞府下版(横川裕一氏提供) 19.2.14 ■ われらの調布空港(同上)19.8.15 NEW |
↑ 米空軍第21爆撃機兵団が高々度偵察によって作った地図。日本を空襲した米機のパイロツトはこれを携帯していた。電球のような丸いマークと数字は高射砲を示す。 右上の注意書きでは、深大寺高射陣地にレーダー式照準装置の存在を指摘している。 ■ 調布飛行場施設配置図へ |
↑ 昭和32年当時の調布飛行場。左手の長方形部分が水耕農場。滑走路周囲に走るいくつものラインは飛行場本来の排水溝と道路、それに西武線からの引き込み線路。 |