戦友の遺骨を胸に 菊地 誠少尉 07.11.29

 この写真は以前から気になっていました。3式戦ですから調布から出た可能性も高く、いったい誰なのだろうと思っていたのです。
 この操縦者が、調布で編成され昭和20年5月25日に知覧を出撃した第55振武隊の菊地誠少尉(特操2期)であり、彼の胸に抱かれているのは、同期の三根耕造少尉(第56振武隊、5月17日試飛行中殉職)の遺骨であると、つい最近知りました。

 三根少尉の分骨を4人の同期生が抱いて出撃したエピソードは、出撃翌日の新聞でも報じられましたが、これはラジオでも放送され、調布の同期生たちにも感動を呼びました。まるで実況中継のような臨場感であったそうですから、おそらくニュースではなくドラマ仕立てになっていたのだと思われます。

 菊地誠少尉は東京の出身。昼間は逓信省で働きながら中学も夜間部へ通い、大学まで進んだ苦学生でした。

 20年4月中旬から調布飛行場で錬成を続けていた菊地少尉は、5月初頭、常磐線南千住駅ホームで両親、弟と今生の別れを交わし、一度も後ろを振り向かずに上野行きの国電に乗り込んで行きました。
 その翌日、彼は愛機飛燕を駆って南千住の自宅上空へ飛来し、父が打ち振る日の丸の上を何度も旋回して去って行きました。
 彼は、「
自分が数日後には必ず死ぬ、ということが何としても理解できない」と語っていたそうです。

   かへらじと 思ふこころの ひとすじに
      玉と砕けて 御国まもらん

5月25日早朝、知覧を出撃直前の菊地少尉。この日244戦隊も
初めて特攻掩護を実施した。
 この写真は終戦直前のアサヒグラフに掲載されたものだという。
                         
出典 『背振の雲』

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