仮泊所(かはくじょ)
11.8.10更新


仮泊所とは

 昭和19年夏、調布飛行場最終拡張の際に、飛行場用地に隣接して造られた、244戦隊の主に営外居住操縦者用宿泊・休養施設。仮泊所は調布だけでなく、第10飛行師団隷下各飛行場に設けられた。

 従来、将校および営外居住下士官は、家作を借りるか民家に間借りするのが普通だったが、空襲の本格化によって特に操縦者は飛行場に缶詰状態となり、自宅に帰る機会を失うことに備えて造られた施設である。

 「仮泊」とは船が港外に停泊することだが、仮泊所も軍施設ではあるが兵営とは区別されていたため、食堂には樽酒が置いてあって自由に飲めるなど、規律は緩やかだった。また仮泊所は、飛行場とは水路と道路で隔てられていたため、面会者は営門を通ることなく、直に訪問することができた。

 特攻隊は、20年春までは日本郵船飛田給錬成場に宿泊していたが、20年4月以降は仮泊所を使用することとなり、244戦隊本隊が知覧へ移動した5月中旬以降は、仮泊所が事実上の特攻隊宿舎となった。
 仮泊所に宿泊した特攻隊は、第44、55、56、159、160、161、162、163、164および232振武隊の計10隊、70数名である。
 
   




昭和22年、米軍が撮影した空中写真。赤枠内が仮泊所。兵舎が疎らなのは、20年5月25日の夜間空襲で 多くが焼失したため。
  既に飛行場は遊休化して水耕農場になっており、旧倉敷飛行機の大格納庫には“CHOFU HYDROPONIC FARM DEPOT”の文字が書かれている。






昭和20年7月、仮泊所の庭に於ける第164振武隊。庭といっても時節がら 畑と化している。左遠方に天文台のドームが見える。


井野隆少尉日誌より

陸軍飛行第二四四戦隊(調布)

 思いがけず生死の分からなかった太田、草間、捧、玉置、飯田、羽石がいて驚いた。
 だが、京谷、朝倉、四家達は、昨日、九州都城
に向け進発した後だった。
 数日後には「振武隊、特攻戦死」が報じられることだろう。
 小林照彦戦隊長に転属の申告をして、仮泊所に落ち着く。

五月六日 日  晴
 空輸の疲れで深い眠りに陥っていた。十時近い初夏の太陽が天窓から静かにのぞいている。
 何十ヶ月ぶりに寝る
畳の上であり、布団の感触であろう。
 仮泊所の周りは松林になっていて、すぐ裏に天文台の円型の屋根と鬱蒼とした杜で、かなりの丘陵になっている。
 柵越しに農家が二、三軒。飛行機の隠してある待避壕まで秘密の路が錯綜して松林中を縫っている。

 早い夕食を済ませ、明日当基地を進発する小沢(こざわ)少尉の送別会を、刀根、田中、羽石と自分で渋谷神泉の料亭で催した。
 小沢は先に進発したが、途中愛機故障のため不時着、代わりの機を貰うため、第一航空本部へ行き、明朝出発、九州都城
の基地で待機中の仲間に加わるのだと言う。

「飛行機を貰い下げに行った時、極めて不愉快な気持ちにさせられた。後に続く貴様等には言えないが、俺は、あいつ等のためには死にたくない」と幾度も繰り返した。あいつ等とは参謀達のことである。

 我々も本能的に参謀連中に強い不信と憎悪を抱いていたが、彼等の無能を憎んでも今更仕方なく、桜のように散るべき時にいさぎよく散るのだと決めていた。
「小沢、俺達もすぐ後に続くのだ、飲め」と幾度も杯を勧めたが、彼は余り深酒しなかった。
 我々も後二、三週間か一ヶ月後には、この世にいないのだ。


=機密保持のために敢えて間違った地名を書いたと思われる。




井野少尉が描いた見取り図。図の上方が南になる。 日誌にあるように、居室は畳敷きで付近住民等から提供された絹の布団が用意されていた。
  一室の定員は6名程度なので、最大で約150名ほどが宿泊できたが、特攻隊は優遇されて 一室あたり3名で使用した。





 
昭和50年春、解体直前の仮泊所。各棟の東端(本写真では右奥) には 「談話室」ともいうべき部屋があり、棟と棟の間には塹壕を兼ねた空堀と築山が築かれていた。
  空襲に対しては無防備であるため、特攻隊員の宿泊者は警報発令の度に天文台下の横穴壕まで避難してた。 現長谷川病院の裏である。




仮泊所の玄関。向こう側へ通り抜けられる。




敷地の隅にあった変電室。かつては周りを掩体の土手で囲まれていた。




仮泊所の防火用水。既に土砂で埋められている。直径15メートルほど。




仮泊所用地と飛行場の間にあった遺構。だが、ここは大東亜戦時には空き地であり、 軍の施設ではない。





おそらく飛行場開設以前に当地にあった屋敷の釜戸あるいは暖炉の跡と思われる。右手の 囲いは薪の置き場では?




昭和50年の仮泊所給水塔と水路に架かる橋。

大映映画「最後の帰郷」に登場する、昭和20年6月初め頃の給水塔と後方は倉敷 飛行機調布工場。 格納庫の壁に何か文字が書かれているが、右から「警戒」(敵機警戒)と推察。


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