1.昭和16年、中学を卒業。同年12月、逓信省米子地方航空機乗員養成所入所(第10期操縦生) 2.17年9月、乗養卒業、入営。予備下士7期生(注) 3.その後、宇都宮陸軍飛行学校に勤務、階級は伍長。助教勤務に就いていたものと推定される 4.昭和19年、南方あるいは台湾方面の1式戦の戦隊(飛30戦隊と思われる)に勤務。階級は軍曹 5.20年春、内地帰還。244戦隊配属 | |
注 予備下士は通称で、実際は現役兵。正式には乙種操縦候補生という。10期操縦生は、陸軍では少飛10期と同格と見なした。 戦死当時、飛行時間は1000時間に達するベテランであったと考えられる。 協力 五百森清氏、吾孫子邦生氏 |
故 五百森秀一軍曹。昭和19年夏頃と思われる。 |
米子乗養の99式高練と五百森生徒。本機のオレンジ色塗装は上面だけのようだ。 |
愛機の前の五百森軍曹。この1式戦は、少数機しか存在しないといわれる2型改だが、 本改修の実施は19年5月以降と推定されるので、この写真も19年夏頃ではなかろうか。 |