五百森秀一軍曹について 09.4.7 改訂


 昭和20年6月22日午前、万世飛行場上空におけるF6Fとの戦闘で、長機浅野二郎曹長とともに戦死を遂げた五百森いおもり秀一軍曹については、以下の事実が判明している。

1.昭和16年、中学を卒業。同年12月、逓信省米子地方航空機乗員養成所入所(第10期操縦生)
2.17年9月、乗養卒業、入営。予備下士7期生

3.その後、宇都宮陸軍飛行学校に勤務、階級は伍長。助教勤務に就いていたものと推定される
4.昭和19年、南方あるいは台湾方面の1式戦の戦隊
(飛30戦隊と思われるに勤務。階級は軍曹
5.20年春、内地帰還。244戦隊配属


注 予備下士は通称で、実際は現役兵。正式には乙種操縦候補生という。10期操縦生は、陸軍では少飛10期と同格と見なした。
   戦死当時、飛行時間は1000時間に達するベテランであったと考えられる。

   協力 五百森清氏、吾孫子邦生氏





故 五百森秀一軍曹。昭和19年夏頃と思われる。




米子乗養の99式高練と五百森生徒。本機のオレンジ色塗装は上面だけのようだ。




愛機の前の五百森軍曹。この1式戦は、少数機しか存在しないといわれる2型改だが、
本改修の実施は19年5月以降と推定されるので、この写真も19年夏頃ではなかろうか。



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