3式戦1型甲〜丙の胴体内燃料タンクは撤廃されていない
07.12.21

 『飛燕戦闘機隊』に掲載した菊池氏の写真の中で、3式戦のハードウェアという観点で捉えたとき、あるいは最も意味を持つかもしれないのが、61頁のそよかぜ隊10号機(1型甲)の写真ではないだろうか。

 菊池氏の一連の写真に、給油シーンあるいは飛行機と燃料車の組み合わせが多いのは、東方社の企画者が描いていたシナリオに添った絵作りがなされたからだと考えられ、給油シーン自体は作為的なものである可能性が高いのだが、だとしても、作業手順そのものは戦隊が日常実施していた内容を再現していると思われる(勿論、実際に給油が実施されいる可能性も大)。

 図示したように、本機では風防後方に跨った整備兵が胴体内燃料タンク注入口の蓋を外し、もう一人がここへ燃料を入れようとホースを延ばしている様子が認められる。よって、本機に胴体内タンクが装備されている蓋然性はきわめて高く、また43号機(1型丙)の一連の写真にも胴体内タンクへの給油を窺わせるカットが存在する。

 ただ、ここで一つの疑問は、主翼中央部タンク(第2タンク)の注入口はどこにあったのか?…ということ。私を含めて、生きた実物を見たことも触ったこともない者が書いているのだから無理もないのだが、手元にある複数の出版物には、最近のものを含めてこの点が一切触れられていない。

 操縦席の真下という第2タンクの位置関係からして、酸素ボンベや無線機器を収める胴体後部点検口の内部操縦席側に注入口があったのではないかと想像するが、ここにはバッテリーも装備されているはずで、バッテリーのすぐ傍でガソリンを入れるものか?…やや釈然としないものを感じる。


 さて、3式戦に纏わる出版物には、初期生産型である1型甲に装備されていた200リットルの胴体内燃料タンク(第3タンク)は、武装強化型である乙の14機目(514号機)から撤廃され、航空本部は更に
昭和18年9月11日付で既存機、つまり甲からも同タンクの撤去を指示した…と書かれている。

 その直接の理由については、244戦隊における水平の背面錐揉み事故を受けての対策であったと断定する記述もあるが、背面錐揉みだったとされる山岡勉少尉の殉職事故は18年12月5日のことであり、更に原因特定に繋がった高石正男軍曹の事故(生還)は翌19年3月である。

 したがって本説は、時系列を無視して244戦隊の計3件の事故が18年9月11日以前に発生したことにし、強引に辻褄合わせをしているに他ならない。また、244戦隊に3式戦の配備が開始されたのは18年7月なのだから、僅か2ヶ月弱の間に珍しい水平の背面錐揉み事故が、他の1件も含めて244戦隊だけで3件も発生していたとすること自体に無理がある。

 元244戦隊先任飛行隊長村岡英夫氏の手記『特攻隼戦闘隊』によれば、高石軍曹機は、宙返り反転
(の頂点で正常姿勢に戻そうと機体を横転させようとしたところで失速し、舵が全く効かないまま水平の背面錐揉みに陥って落下したものであった。

 調布町下布田の畑に背面状態で墜落した機体の調査では、空になっているはずの胴体内タンクに半分程度まで燃料が溜まっていることが判明した。このために重心が大幅に後退して失速を起こしやすくなっていたのだ。
 胴体内タンクに燃料が入っていると失速に繋がり易いため、特殊飛行時(戦闘時)には空にしておく必要があったが、逆流阻止バルブの不良から徐々に燃料が流入して、空のはずが知らず知らずのうちに溜まっていたのである。

 村岡手記によると、244戦隊の事故調査報告書には、
1.燃料系統のバルブの品質を向上し、ガソリンの漏れ、逆流をなくすこと
2.空中戦闘、特殊飛行のときは、胴体内タンクは常に空にしておくこと。
3.将来的には胴体内タンクを取りはずすか、容量の小さい(50リットル)タンクに変更する
との再発防止策が列挙された。
 これを航空本部へ意見具申し、戦隊と航空本部間で繰り返し討議の結果、胴体内タンクは撤廃ではなく50リットルの小型に変更することで決着したという。

244戦隊に3式戦配備開始
18年7月
航空本部が胴体内タンク撤去を指示?
18年9月11日
山岡少尉殉職事故
18年12月5日
3式戦1型丁(胴体内タンク装備)生産開始
19年2月頃
高石軍曹生還事故
19年3月→その後原因探求→防止対策具申


 『飛燕戦闘機隊』キャプション執筆の際、前述の撤廃説が念頭にあった私は、この写真を見て疑念を抱いた。通説通りならば存在するはずのない胴体内タンクに給油しようとしているからである。
 そこで、昭和19年〜20年にかけて在隊していた諸氏に、改めて胴体内タンクについてお尋ねすることにしたのである。しかし、中には胴体内タンクと第2タンクを混同した証言も混じっており、解明は容易ではなかったが、操縦・整備計十数名の記憶を総合すると、次のような結論が得られた。

 「
胴体内タンクは撤廃されずに装備されており(但し、廃止予定と聞かされていたとの証言は複数存在する)、飛行中切り替えて使用していたが、戦闘時には使ってはならないと指示されていた

 この一枚の写真を端緒として、3式戦1型甲〜丙の胴体内燃料タンクは、通説に反して撤廃されてはいなかったことが明確になったと考える。

 宙返り反転は、宙返りの半径に相当する高度を一挙に獲得したり、低空から敵の後下方に潜り込む手段としても有効だったが、操作は難しかったという。特に宙返りの頂点で機体を反転(横転)し正常姿勢に戻す操作は、背面錐揉みに入れる操作とほぼ同じであり、意図せずに水平背面錐揉みに入ってしまう危険があった。
 水平の背面錐揉みに陥ると速度がないために回復は困難で、また操縦者は脱出に成功しても飛行機と同方向へ落下することになり、非常な危険に晒される。


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