12月11日 薄曇

 9時から特別攻撃隊(注=振武隊第1および第2飛行隊との連合演習ありしも、外出を願いて故郷に向ひり。
 不用品は悉く
(ことごとく)家に持参。然し、途中の車中は警報が心配。池袋附近にて、それに似た音にびっくり。

 無事大宮に着いて姉宅に行くも、急遽家の方に私物を置く。12時近く、全く警報の心配に心落ち付かず。食事も急いでせり。
 折角出たのに家に満足に居られず。思へば米英のためよ。

 再び父姉にも別れて大宮に帰りて待つ。なんと不思議に警報鳴らず。
 子供等は姉宅の門口に立ちて、我を見せ物の如く見物せり。めずらしいのか。
 わざわざ英子は義兄を工場に迎ひり。時立たづ、義兄来たりて暫し、15時近く、帰途につく。

 兄また、英子、わか、我を送り、大宮駅にて兄と別れ、英子、わか、赤羽迄送ってくれる。
 別れたれど、たヾ懐しく思へり。たヾ彼女等の幸福を祈るのみ。我には我の進むべき途あり。只一途に本分を尽すのだ。

 帰営するも警報鳴らず。寝就してより23時頃、警報鳴り、然しとっぷう隊出動す。然し我、編組
(へんそ)にあらず。
 敵も又、白浜近くにて侵入せず、帰りたり。


12月12日 薄曇

 昨夜、離陸直後に於て、何のためか出口中尉殿(注=航士56期、出口泰郎中尉戦死せり。残念なり。敵米機一機をも落さずして死するとは、又、我等には尊き教訓となりて、とこしへに伝えり。
 隊長殿
(注=竹田五郎大尉以下、松戸に不時着。隊長殿、又高射砲に射撃せらる。

 今朝も特攻隊との連合演習。戦隊長
(注=小林照彦大尉僚機として飛ぶ。大島まで護衛。

 故出口中尉殿の納棺式を医務室に於て行ふ。顔は包帯にて見えず。手を合わせて寝る。人生の終り、つくづくと、我、納棺せらるゝを思ふ。
 15時40分、棺前式を行ひて、火葬場に一同涙して送れり。静々と進む自動車。数名の兵隊に護られ永久に還らず。
 全く我等の前には死のみ。なにもなし。

 不思議にも飛ぶ夜、寝ながらに
今度の正月はどこでするかな
と内藤少尉殿
(注=内藤健伍少尉。20.1.19横浜にて戦死問へば、出口中尉殿
なーに、冥土でするさ
と答へて警報にて出動。全く其の言葉の如く逝きたり。

 夜、警報ありて、またも侵入し来たれり。
 隊長殿も昨夜の不時着にて傷ついている。全く編組も戦力も衰へたる如し。我らが若さを以て之を補わん。


12月13日 晴

 昨夜も又、敵機来襲してか警報。全く絶えず鳴りて、夜の睡眠も充分ならず。市民も又、我々以上に苦しんでいるであらう。

 朝起きれば真白な雪である。今年の12月は去年に比し、幾分寒いかも知れない。12月に雪の降るのは、また例年にない。全くめづらしい。10時近く迄には、きれいに晴れている。

 13時頃、「敵編隊の北上中」の情報にて出動。
 とっぷう隊の出動は仲々なく、もう厚木上空との情報に接しつゝも出動命令なく、只、切歯して空を見るばかり。漸く敵去りたる頃に出動。

 ○○工場には真黒な煙が覆っている。爆弾か!
 さっぱり敵機も、もとめずして着陸。きけば、○○工場は煙幕を張ったとの事。これには安心した。
 又、敵機は二、三機を以て我々を東京上空に牽制して、名古屋方面を爆撃したのであらう。全く以て憎い奴ッ。

 中野伍長のB29体当り体験談をラヂオにて放送。全員聴きたるも中野伍長は逃げたり。
 夜、また敵侵入し来たれり。


12月15日 晴

 3時、非常ベルが鳴ると、とっぷう隊出動と云ふ命令。
 これもかすかな睡りからさめて、胸が高鳴る。畜生、寝
(ママ)いのに又起しやがって、と思ふと癪に障る。

 分隊長として上らなければならない。天気は悪し。また出口中尉殿の様になるのではないか心配したが、突風隊出動取止めとなる。まあよかった。

 隊長殿は、いろいろと注意してくれる。もう包帯もとれているが、まだ眼の所には「ばんそうこう」がはってある。
 13日の空襲に出動の時は、自分が上がることが出来ず、口惜しいのであったらう。
 「墜して来いよ。俺の分まで落してくれよ」と、涙ぐみつゝ云ったことが、隊長殿の姿を見ると又、暖い注意を聞いていると、我乍ら涙が出る。

 一部の出動した部隊であらう、我等が頭上から西方に飛んで行く。また地点が判らなくなったのであらう。
 遂に敵機は焼夷弾を落した。東京の空は明るい。照空燈は雲があるので上空迄はとヾかない。
 残念乍ら敵は又、悠々と帰ったことであらう。凡そ二機位か。○○方向にも赤々と見えていた。間もなく解除となった。


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