12月3日 晴
情報は次から次と入って、遂に我らの出動となった。13時35分。
愛機はもう全く疲れたのか力がなく、編隊も満足に付けず、単機行動となる。
高度8千にてB29 7機、我らが側方を通過。残念にも高度は彼らの方が高くて、手が着かず。
爆撃点はと見れば、我等が古巣の近く、焼夷弾であらう白煙点々と昇っている。又も○○をねらっているのだ。
またも8機、今度は右側方を通過。高度9千。何とか接敵して、あと100米位。全く近く来たが、機関砲一門とてなく、無装備なるため射撃も出来ず。
敵の焼火箸の様に光る弾丸を左右にピューピューと飛んでくる。あゝ残念。体当りは出来なくとも弾丸さえあったなら、もう一寸で撃墜出来るものを、と思へば思ふ程残念である。
またも7機。皆、富士山方向より進入してくる。東京市内には、今日は投弾しない。一箇所のみ。
次に11機。殆ど我よりも遠く、側方を通過するため、戦果を挙げられず。
高射砲の弾幕は、墨を飛ばした如く、無数に敵機近く炸裂する。他機が盛んに攻撃したと思ふと、2機黒煙をはいて九十九里濱方向に遁去する。決してサイパン迄は着けないであらう。
数分間、東京湾上空に高度を取りつゝ待期。○○方向に新しい爆撃の煙を見る。翼を傾け見れば、我機の直下に直進して来る5機。
全く好条件。既に此の時、愈々俺も人生終りと思ひたり。
急反転、背面突進を以て敵4番機に向ひ突進(注=直上方攻撃)。直上、敵の火網は熾烈だ。主翼上面の米機のマークが、ちらりと見えた。後は判らない。
どーんと機に動揺を感じて直降下。敵の尾部銃座からは、射撃のために煙が出ている。相当打っている。
此の突進から今迄は、全く数秒間、敵機に当ったと思ひきや、当らず失敗。
敵マークを見た瞬間に目をつむる。やはり、当る時が恐ろしいのか。遠藤軍曹も着陸後、我と同じ様な事を言へり。
全く惜しかった。時間なので着陸す。
小学校は紅の火だ。彼方の畑、此方の民家に爆弾は落ちて、重要な所からは皆はづれている。
「ざまーみろ。下手糞ッ!」と、思はずつぶやいた。
着陸後、補給を待つ飛行場上空を数機、またも来る。
高射砲の弾幕、また5分もして数十機。あゝものすごい編隊。地上から見る空中戦。盛んに攻撃している。
そのうち、単機不時着の態にて降りてくる一機。
あっ、片翼は半分ない。
我らが特別攻撃隊の飛行機だ。転倒するかと思ひきや、全く上手く着陸。見れば我らが隊長、四宮中尉殿だ。
尾部、主翼等に数箇所の敵弾痕。主翼の半分ないのは、体当りに依り、なくなったのだ。人員に異常ないのが、なによりの事だ。
それに引かへ、自分は完全に失敗した。情ない。
数十機の後、一機。戦果確認機であらう、来たが、もう敵も来なくなった。
中野伍長、遂に未帰還。どうしたのか。
行方不明、未だ其の明白判らず。
遂に我らの一人を失へたる如く、残念なり。
総合戦果も撃墜16機、撃破○○と云ふ戦果。あゝ、落せるものは幸福よ。自分は、未だ一機も撃破、撃墜もないのだ。男として特別攻撃隊として、こんな恥ずかしいことはない。
着陸後も戦闘詳報作製に忙しい。
畜生ッ、今度こそは。
故郷に便りを書く。いま迄全く便りも忘れていた。そのうちに運も廻ってくるであらう。
12月4日 晴
師団長閣下来隊し、激励せらる。新聞社の方は、体当りせるものの写真を撮るとか忙しさうである。
昨夜、板垣伍長帰還。無事なるを喜ぶ。彼も落下傘降下により生還す。敢全(ママ)体当り。
我等が不運よ。只、中野伍長の生死のみを心配せるも、12時近く、不時着せるの報に接し、只々、我らが隊員の無事なるを心より喜んだ。
仲々睡れぬ夜であった。板垣も体当りから隊に到着するまでの状況を話す。
午後、非常ベルが鳴り、一部出動せるも、なにごともなし。全く自分の不運を嘆くばかり。
夜、慰問映画ありて、この時の拡声器、また呼べり。
「四宮中尉体当り。見事着陸」
「板垣伍長体当り。落下傘降下により生還」
「中野伍長体当り。不時着」
「いづれも各一機撃墜」
満場の中、全員手を叩いて喜ぶ。
全く自分は穴にも入りたきありさま。中野も落下傘を持って還ってきている。
なんと情けないことよ。あの時、もう一歩で敵に体当り出来得たのであったが、残念にて、故郷の人も必ず不甲斐なく思ふことであらう。准尉殿も流石に残念さうである。