11月25日 曇

 朝5時、起された。しぶしぶ寝不足の目をこすりつゝ起床。空を見れば曇だ。哨戒は出来さうもない。

 新しく特攻隊員となった佐藤准尉殿が早速来て、全員、係留位置に待期。然も自分の愛機は、昨日のペラ貫通も交換して治っている。
 整備兵が寝る目も寝ずに治してくれた。其の間、我は何をしていたか。色々と夢を見つゝも、毛布の中で寝ていたのだ。全く頭が下る。

 1機、2機と、未だ準備の完整しない飛行機あるため、哨戒は、突風、つばくろ隊から出てくれた。
 6時近く、整備も出来て哨戒を命ぜられる。
 ペラ軸から滑油がふいている。まあ、なんとかなると思って離陸したが、大分ふく。やはり、ペラ交換したために上手くいかないらしい。

 約1時間、僚機の板垣伍長は発動機故障のために着陸した。愛機の滑油は以前からふいて、前方視界はきかない。天蓋をしめたが、もう天蓋まで黒くなってしまった。全くよく見えない。しかし、単機となっては、と約40分頑張った。
 漸く着陸となり、着陸し見れば、全く滑油の中に機首を入れた様に頭から真黒になっている。再び整備員が苦労しなければならない。彼らも折角の徹夜の作業も甲斐なきを思ひ、残念がっているであらう。

 午後、情報あり。「八丈島附近8機北進」
 また来た。愛機は整備中で飛べない。自分だけ隼で上ることになった。然し敵は、東京近くして帰ったらしい。
 もう愛機には機関砲もない。全く無装備だ。如何なるとも体当りをせねばならない。

 全員、また一緒に起居する様になった。この室に師団長閣下より、昨日の奮戦に御苦労と、羊羹一本戴いた。
 新聞には3機撃墜と発表してある。情ない戦果だ。地方民に対しても、前線の将兵に対しても申訳ない。
 我が戦隊では、福元伍長の行方不明。きっと太平洋上深く敵を追撃して行ったのであらう。


11月26日 晴

 今日は昨日に比し、天気がいゝ。今日からまた自分が、営内者の増したため、点呼を取らなければならない。
 舎前で整列。宮城遙拝。伊勢神宮、故郷の皆様に遙拝。保健体操。
 愛機の暖機運転。中々
(ママ)、朝の始動が悪るい。滑油が固くなっているためか、発動機の冷過か。
 午後近く、5戦隊に共に転科した秋元軍曹が来た。久し振りの対面だ。色々とつきぬ話。

 情報はまた入ってくる。中野伍長は外出とか云って巻脚半を巻かけた時、「八丈島、敵四発。3機北進」の情報。警戒戦備甲だ。もう出られない。
 警戒警報のサイレンは鳴り出した。秋元も「皆様、元気で頼む」と帰った。早速愛機の側にいったが、待てど我等はがくれ隊には出動がない。
 突風、そよかぜ等は、勇躍離陸して行く。

 あゝ一機、東京に進入するB29。又もや偵察か。3機とも別れ、他方向より進入。航跡白雲を太く引いている。
 残念だ。みすみす下で見ているのも情ない。4時頃、全機大陸
注=着陸

 愛機も全く準備なったので、試験飛行。発動機の調子は良好。未だ幾らかペラ軸から油がもれるか、風防ガラスに滑油が掛かる。
 爆撃された○○○○の屋根に、二ヶ所穴があいているを見る。全く憎き米機よ。敵ながら、又よくもあの高度から正しく爆撃したものだ。
 畜生。またくるだらう。今日の偵察は、またしても新しく爆撃目標をさがさんものであらう。或いは、今度は飛行場爆撃にくるかも知れない。

 愈々以て油断は出来ない。我等の命もまた、日一日と短くなりつゝあるのだ。もう身辺も殆ど整理出来ている。いつ死んでもよい。
 もう一遍、故郷の皆様の顔を見て死にたい。然し、それも今の状況では許されない。


11月27日 曇、小雨

 中野伍長は外出をした。降りさうな天気では敵も来ないだらうと出たが、11時半には非常ベルが鳴り出した。敵は再び来た。

 拡声器は刻々と情報を伝へる。此の曇天では、恐らく爆弾を落さず帰るだらうと思ったが、中々帰らない。然も数梯団となって侵入している。友軍機は、恐らく雲上には出られないであらう。敵は、雲上から盲爆するであらう。
 はがくれ隊には、残念乍ら出動が掛らない。そよかぜ、つばくろ等は、もう着陸する頃だ。

 デーン、デーン、デーンと云ふ音。地面迄がゆらぐようだ。とうとう雲上から爆撃したのだ。
 拡声器は「代々木西方に投弾」を報じた。只、我らは地上に。敵の盲爆に注意しつゝも、切歯扼腕しているのみだ。
 凡そ3回位に渡り、爆撃の音は聞へた。残念乍ら我が荒鷲は雲上に出る事が出来ないのだ。
 敵は気象を利用すると云ふ。全く上手いものだ。然もサイパン方向は晴天なのであらう。これにより雲上を飛来したのだ。
 我らが雲上に出るには、何処迄行って晴天を見ることが出来るか。只、雲下を飛行するのみ。

 どんなにか地方民はうらんでいるだらう。
 中野伍長も僅か4時間位の外出となって、サイレンの音で遂に帰って来た。
 だが我らに出動は下らない。よし又、出たとしても、雲上に行くことが出来ないのだ。飛んでも何にもならない。
 敵は9千附近を以て爆撃したのだ。富士山がなんと云っても彼らには好目標だ。前に3回も帝都に侵入、単機偵察した効果にあらう。
 雲上といへども、富士山の西方より北方に、北方から旋回して東進し、帝都を爆撃するのだ。
 富士山から何粁、或は速度を以て何分か飛行すれば、必ず此々が帝都の何処であるか、地上が見えなくとも判るのだ。然も優秀だ。

 3時過ぎ、解除の警報が鳴った。相当被害もあった様だ。新宿、本所、未だ何ヶ所か。
 漸く室に帰って写真の整理をする。死後を清くしよう。

 夜7時、此の間戦傷死された故片桐中尉の告別式を執行。雨は降り出して止まず、遺族の方も来賓も、雨のためか夜のためか、現在の戦局のためか、来ない。淋しいもの。それでも坊さんは来た。雨は本降りとなった。

 今日の爆撃で家を失った人もあらう。全く我らは、市民にも申訳ない。サイパンを取られたのが、こんなに影響するのだ。


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