11月23日 晴

 愈々冬も本格的になり、朝晩毎に身に沁みるほど。航空体操もあまり元気よくやるためか、体の筋肉が痛い。
 11月も終り近く、浅草のお酉様があるのも此の月である。今年は、さすが新聞にも出ていない様だ。

 11月30日は俺の誕生日。12月1日、曹長に進級する。そして、勲七等瑞宝章が授けられるはず。毎日、指折数へる様になった。誰しも嬉しいことであらう。只、それだけだ。望みたいのは戦勝だ。

 13時近く、浜松附近B29偵察の情報。全く、思へば憎い敵だ。
 米英がなかったら、一億は今よりも楽に暮らせたらう。我々が斯うして軍人で暮らさねばならない様になったのも
注=入営前は製薬会社勤務、また、人としてなすべきことの出来なくなったのも、米英あるからだ。我々は必ず、この強敵を倒さねばならないのだ。

  
死ぬる身は 更にをしまず 思ふ事
     とげぬことこそ 恨なりけれ

 到底安楽な生活は望めないのだ。妻子も迎へることは出来ないのだ。
 板垣伍長が○○から、血書に添へて○○○が来た。女のためになやむとは、幸福なやつ。斯くして、彼も必ずや死生を超越した精神にならずば、男、否、軍人ではあるまい。

 俺は残すものがない。惜しいものがない。全く純潔だ。悪いこともしていない。と云ってよいこともない。平凡な人間だ。
 然し、一遍愛機を以て体当りをして、もしやこれが明白であったなら、また、新聞等でも出されたら、「俺は彼奴を知っている」位で終わるであらう。俺はそれでよい。よし又、不明な戦死でもよい。殉職だけはしたくない。

  
橋立の 磯のうもれ木 ときを得て
      やがて都の 人に知られん

   おもひさや 山田のかかし 竹のゆみ
        ひきもはえたで 朽ちはてむとは

 折角操縦に身を投じ、然も戦闘隊操縦者たるからは、たとへ一機とも落して死んでみたい。名はいらない、名誉はいらない。軍人として国のために戦って死にたい。
 人間、畳の上で死するが当然とするも、我々は畳の上では満足出来ないのだ。我らは大空と云ふ清い墓場があるのだ。

 なんと楽しいことだ。幸福だ。斯く云ふ墓場、否、死場所を與へてくれた教官、助教に只、頭を下げる。
 両親にも感謝しなければならない。男に育て、空に散る様に母は育ててくれたのだ。嗚呼、今は亡き母の面影、彷彿として我を呼び起せり。


11月24日 曇

 今日は金曜日で敵さんの厄日だから、今日は来ないだらうと語り合った。
 長い間頼んでおいた写真が出来て来た。案外よく出来ている。一寸わるさをしたために、自分で修してみたが、完全であった。
 突風隊に遊び、11時30分頃

  
武蔵野は いつか咲くらん 山櫻
     今日の嵐に 散らん もののふ

 と詩を書いた。

 八丈島上空、四発8機北進の情報。
 「それ来た!」
 非常ベルは鳴る。大方海軍機であらうと思っていたが、どうやらB29らしく、「大島上空北進」となり、はがくれ隊の出動。

 さっぱり敵の姿見えず、兎角上昇、約1時間、高度1万にて雲中に入れり。遂に上昇出来ず計器飛行。情報あるも敵認めず。
 雲中より降下するや、大地見へるや前方約500米に敵B29 7機。はじめて見る敵の姿。周章して弾薬装填す。然し側方なるために攻撃ならず。追撃す。
 あゝ悠々と飛ぶ敵米機。「畜生ッ」とレバーも回転も最大。然し敵も早い。仲々追付けない。

 東京湾上空にて、どうやら500米、大きな敵機が照準眼鏡に入った。「バリバリ」と5、6発射った。然しもう弾はとどかない。
 情報は次々と入る。銚子沖まで追撃。然し燃料切れる時期なるため断念せり、降下。敵は悠々と東方海上に遁去。

 あゝ見れば我が○口
注=川口附近に黒煙高く昇っている。その出口には火が見える。
 「やりやがったな!」
 一時に激上した。
 東京湾にも猛爆の跡が見える。○口附近の民家が焼けている。○○○○がやられている。「畜生奴」全く残念だ。
 着陸してから、飛行機の所迄、当番は食事を持って来てくれた。然し食事どころではない。

 再び離陸。東京湾上空、雲上を又も東方に飛来する敵機を見る。此奴は残念乍ら不可能だ。
 雲上、雲下を上下しつゝ、又も「小田原上空」の無線。さがせど見当らず。しばし警戒するうち、急に目の前に敵の姿。
 しめた。今度は体当りと思ふも束の間、急激なる操舵のため、失速。千米高度を低下せしめたり。折角の占位もなんにもならず。然も敵の眼の前で失速したとは、畜生ッ、いゝはぢさらし。

 夢中で敵を追撃。東京湾附近から2機編隊の方に向けて射撃。機関砲は気持ちよく出る。まだか、これでもかと射った。敵の僚機がぐらついた。
 しめた!と思った。が、一門の砲なるため弾薬はなし。敵の焼火箸の様な雨が、眼の前に全く早く飛んでくる。畜生、敵も射出しやがってと思って、頭を思はず座席の中に入れた。

 追へども追へども無駄だ。後方を見ると、又も東京上空に大編隊。この次は、と思って機種を向けたが、進行方向が違ふ。
 2千米位離れて単機くるのがある。それをたよりにしていたが、進行方向異なれるために大分後方に近くなる。なんとか近付いて300米位、正しく照準眼鏡の中に入った。
 引鉄を引く。弾のないことを知りつゝも引いて見たかった。惜しい。弾のない時は当る様な気がする。

 遂に成功せず着陸のやむなきに到る。着陸して見れば、よく弾の中を、また弾幕の中を通って来たものだ。幸い敵弾の跡も愛機にはなかった。自分の打った弾でか、プロペラに打痕を造った。

 聞けば撃墜したもの、確認の話。海中深く墜落したと云ふ。残念だった。俺等には運がむいて来なかったのだ。
 中野伍長は、敵弾のため下志○に不時着。飛行機で送って来られた。
 食事も忘れて、はじめて食る。もう3時近い。敵の梯団も、もう来ないらしい。

 1機、またも侵入の報。全く、富士方向より帝都に侵入し来る。1機、2機、攻撃を掛けるを見る。敵も強引だ。攻撃をさるとも悠々飛ぶ。
 誰か「黒煙をはいた」と云ふ。だが一方、「あれは航跡白雲だ」とも云ふ。然し、之も事実であった。これは、後の発表に明白となった。

 敵も遂に来ない。今考へても50機内外、よくもボーイングを揃へたものだ。
 食事後の戦闘要報作製に、また一苦労。何機編隊に、然も何時何処で攻撃したか、判らなくなってしまった。
 戦隊からの発表によれば、撃墜5機、撃破13機の模様。また、我方未帰還8機の発表。しかし、これも後には1機未帰還となった。

 興奮してもう寝られない。色々と隊長以下話し合ひ、いつか眠りに入った。
 拡声器の声に目がさめた。特別攻撃隊云々の発表。そうか…。耳を澄まして聞いた。

 佐藤准尉、小林軍曹、遠藤伍長、中野伍長、又もや我らの仲間がふえた。
 愛機は夜中整備。我等はがくれ隊は、明朝5時30分、哨戒を命令さる。また朝の事を考へ、早く寝ようとしたが寝付かない。如何にして撃墜してやろうか。


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