11月19日 晴

 晴れた日も大分続いているが、さっぱり敵さんもやってこない。第三回目の皇土侵入に、敵も幾分打撃を受けたらしい。サイパンの飛行場も爆撃されて、彼等も相当の痛手。
 11時近く、情報も入って、食後には○○戦隊の出動があった。

 整備班の片野曹長のところに面会人ありて、部屋もないので我らの部屋に来て話していたが、やはり若いきれいな御婦人二人、明日をも定めぬ我らの身には、やはり目に入ると毒だ。
 我らは、やはり男性同志の方がいいのだ。どうしてきれいな人を見ては、死というものがいやになる。生きていたら自分のものではなくても、知らない人の顔でも見られると考へる。人間たる以上、欲心がある。

 ○戦隊の出動に我らも準備したために、面会の人も帰へり出した。折角、食べなさいと出したリンゴも食べず、どうして女と云ふものは遠慮するか。食べる所を見られるのがいやなのか。二人でひそひそ話しをしている。謂ゆる「ざっくばらん」といふやつが、なんとも云へない親しみがあるものだが。

 情報もどうやら○○と確定して、高々度対爆戦闘訓練だ。
 俺の僚機は阿部伍長。迫力ある攻撃。高々度に於ける特性の把握。夙く
(はやく)主演練事項に基き「編隊離陸」。
 長い間○○戦には乗っていないので、また此の間覚えたのが隼であったために、座席の具合からして少し感じが変である。
 この○○から○○に、○○地点にて西に変針。高度を逐次上げる。故郷も早や小さくなって見えず。只、○○市は見える。

 高度9千で実施。飛行機の後には航跡白雲が出ている。阿部機も白く尾を引いて飛んでいる。
 僚機を解散せしめ、目標進入。阿部機の突進又すごく、全く我が機に体当りせんが如き攻撃。思はず、直下に来るときには操縦桿を引いてしまふ。

 俺が攻撃する頃には呼吸苦しくなって来たが、酸素は出ているはずであったが、三撃目には、もう阿部機が二つに見える様になり、頭が非常に痛くなってきた。
 酸素の欠乏だ。これ以上頑張っていたら失神してしまふ。翼を振って降下。全く呼吸苦しい。阿部機に着陸せよと、長門
注=調布作戦室に連絡し着陸す。然し無線の連絡するうちに、いつの間にか先に阿部も着陸していた。

 耳も痛し、頭も痛い。部屋に帰って酸素を吸っても、頭痛は治らない。もう二、三撃まで頑張っていたら、今頃は無意味な殉職をしてしまったろう。早く気がついたからよいが、気分もよくなって失神してはたまらない。結局、寝るまで頭は痛かった。


11月20日 晴

 巻雲が少し出て、その下を哨戒の飛行機が○○上空に航跡白雲を作って、それも市を包囲する如くまるく描いている。
 誰も地方の人が見たら、あゝまた出た、と云ふであらう。飛行機の通った後は、もう白い雲となっている。その雲を先に尋ねると、尖端の方に小さく、ほんとうに目の中の塵みたいに飛行機が見える。彼方此方と雲が出てくる。今日も何処の隊で高々度をやっているのであらう。

 ○○時頃から、四宮中尉殿、板垣伍長の高々度対爆戦闘。上っていったが、もう雲も大分増して見えない。でも所々に航跡白雲が見える。先に出来た円形の白雲は、形も判らなくなって普通の雲の様になっている。
 12時近くに着陸。また情報が入っている。だが、実際来たことがない。

 「そよかぜ隊」の石岡伍長に面会。我らの部屋に来ている。人には全くよく面会人があるが、恐らく、手紙と面会人のないのは俺位のものだ。全く情けない。
 然し、これだけ俺は信用がなかったのだ。また、田舎では度々は出てこられないのだ。彼らには叔父と従妹とか云ってくるが、俺の方は幾らでもいるが、さっぱりこない。

 まあ、他人には親のないものと思はれ、また自分が信頼されない人間と見られているだけだ。待っていろ。俺一人で今後の敵は引受けてやる。
 笹木曹長退院帰り、僅かの話し。又、田舎に帰り、療養二ヶ月と云ふ。出ていった。


11月21日 曇

 小雨がぽつりぽつり降り出しては止み、また降りしている。
 早くも情報は我らの耳朶を打つ。清南上空、東北進するB29あり。確に九州を空襲せんとする目的であらう。
 10時近く、九州方面は空襲警報発令。期待した荒鷲らも此の時とばかり羽搏いたことであらう。
 早くも体当り敢行により、1機撃墜の報あり。ひたすら彼等の武運を祈った。此方には、さっぱり配給が廻って来ない
注=敵機が来ないの意
 
 12時30分近く、母島より北上する不明機あり。幸ひ、我らが丁度今日は○○。14時出動。雀躍して離陸。機付もこれが最後と思ふか、それとも成功を祈るか、皆手を振ってくれる。

 雲は低い。然し幾分晴れ間あり。雲上は快晴。急遽高度を獲得。長門
注=調布作戦室からは盛んに高度を報せ、と無線がある。
 漸く1万米。「荒鷲大陸」
注=出動機着陸せよとの事。また、一ぱいくはされたかと高度を低下。然し関東一対(ママ)は雲。下は全く見えない。東京湾以東は晴。

 熊谷の飛行場は漸く見えた。雲の切間目当に降下。相当近いと思った雲も案外低く、雲下に出んと入りたるも水平視度悪く、全く民家も見えない状況。然も高度は100内外。何処に長い煙突があるかも知れない。夢中で雲上に出た。

 さあしまった、と心に思ふ。見渡すも我一人。皆、彼等は如何にして帰ったか。東京湾のあいているを思ひ、東京湾から雲下に入らんとするも、100米位、波は目の前にちらついている。
 燃料はもう時間に対している。もし此々で燃料がなくなったら此の海の中だ。俺の命も愈々これで終かも知れない。前方を見れば、僅かに埋立地の線が見えるのみ。煙突もなにも見えない。

 目の前に波止場の燈台が急に見えた。その時の恐ろしさ。船を漕ぐ人までが、あまりにも大きく見えた。夢中で雲のない所まで出た。
 もう時間も経過するばかり。幸ひ、つばくろ隊の4機が、無線で雲の切間を聞いている。パッと見えた。まあよかった。やはり俺の同僚もいると思ひ、一緒に行動す。

 「荒川の北に行け」或は「姉ヶ崎に行け」とか無線があるが、さっぱり晴れ間なく、中央線上空は断雲になっている。
 下がはっきり見えたが、入らうと思っても見た。然し、もし雲が低かった場合は、煙突が、民家に突当ってしまふであらう。
 これも止めて、燃料を切換へて回転数を減じ、吸入圧力を25位にして、燃料の食はぬ様、加減桿も薄にし(二分量
→ママ)て飛んだ。然しもう○○分もしたら、燃料のなくなることは明らかだ。

 木更津の○○へも行かうかと思ったが、一人降りるより、つばくろ隊と共に降りようと待っていたが、印旛の飛行場が晴れている。「つばくろ」も印旛に着陸するを報告した。
 然し此の時、彼方此方も飛行場を基
(ママ)めてか、無線が忙しい。と云ふか、二重放送になるのである。俺が報告した時も、「混線、混線、更に、更に」の報告。然し、その応答時間待つ間ももどかしく、狭い飛行場に降りた。

 早速、此々にいる同期生の立木軍曹がきた。色々と話しをする。白石曹長もきた。やはり同期生は懐かしいもの。
 聞けば、阿部伍長行方不明とのこと。皆の心配、いくばくか。小松大尉殿(小松侯爵の二男
→ママ)も相当心配していた。
 我らが隊にいた倉橋中尉殿、また整備兵らもいた。我らの不時着に、懐しさの餘りか喜んでいた。
 此々
注=23Fの操縦者の人等は、准尉、曹長が多い。基本学校に居た中山准尉殿も、実習戦隊の曹長殿もいた。やはり懐しい。色々と戦友の戦死の状況等も話し合った。

 夜、此々の宿に泊る。小松大尉殿以下○名、楽しく語り合ふ。立木軍曹は、ブドー酒と高空耐寒食を持ってくる。皆、食べる。
 雨は遂に激しく降り出した。


11月22日 晴

 激しく降った雨もからりと晴れて、此々の○○が哨戒を終へて悠々と帰ってくる。床の中から硝子ごしに見る。誰話すとなく、一人々々床の中から首を出して話し合ふ。

 始動転把の合ふのがないとの事で、脇軍曹が襲撃機で持って来てくれた。
 朝の始動が一番最後で、しかもなかなか始動せず、離陸は遅れた。立木、白石の両氏に敬礼した。さようなら、また会はう。

 無事全機、古巣に着陸。機付等も相当心配した由。阿部も「坂戸」に不時着と云ふ。12時近く、彼も帰って来た。
 この頃、○○戦隊の出動があった。情報も休なし。板垣伍長は、もう準備して待っている。
 然し、これもこない。いくらか此方が神経質になっているのか。でもこれくらい厳重にしなければ、撃墜できないのだ。

 我々がやるのだ。決して長生をして楽しく暮らさうとは思ふまい。只、此れからの大和民族を楽にしてやるのだ。我々は東亜の礎石となる様に生れているのだ。

   
生きるとも 死したるが如し葉隠の
        希望一つは靖国の道
     愚作


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