11月15日 晴

 朝からからりと晴れて霜もどうやら本格的。どうも敵の来襲するような天気だ。
 昨夜来た八紘特別攻撃隊
注=八紘第4隊→護国隊の飛行機は、格納庫の前に○機。敵撃滅の意志高く悠然としている。我が戦隊に、然も我らと起居を共にした小川少尉、黒石川伍長も居る。嗚呼、何たる光栄。羨しく思ふ。

 今はまたにっこりと笑っているが、その中に自己も故郷も忘れ、只啻
(ただただ)、米英撃滅のため身を以て国家に尽す心、やがては洋上遙か敵機動部隊をもとめ、完然体当りをする崇高なる精神。之れ畏くも大元帥陛下に対し奉り、絶体随順なる姿なり。
 近く、皇土の新聞紙上に多大の戦果を修める日もあるであらう。あゝ待ちたるか祈るか、彼らの成功。

 午後、昼食後けたたましく非常ベルが鳴り渡る。出動準備。
 ○○戦隊帝都上空敵機発見。然しこれも友軍機らしく出動せず。市民も、こうした一日も愉安を許されない我らの行動を、誰一人知る人もないであらう。

 八紘隊は明日の出発に備へてか、試験飛行であらう。落下タンクを付けて離陸して行く。あの姿もやがては、一端飛立ち帰らざる人となるのだ。彼の神風隊、萬朶隊、皆同じ。
 本部の前には、ニュースにも発表するか撮影機備えあり。新聞記者も見えている。
 黒石川伍長は、白煙を引いて着陸して来た。滑油がプロペラの附近から出たのか、胴体まで油だらけになっている。
 やがて、侍従武官、参謀総長閣下も来るであらう。

 それに引かへて我ら、まだやさしいもの。果して、一端離陸して帰らざる人と云えようか。運悪く敵に遭遇することが出来ないなら、また折角見つけても、誰か他の者に先に撃墜された場合には、再び戻らなければならないのだ。張合いのない特別攻撃隊だ。
 然し乍ら、多数機をもって来た場合にはなんとかなるであらうが、空中を飛ぶものの合手には確実なることも断言出来ず、八紘隊の様な捨身とは異なり、案外にやり甲斐がない。唯、時節を待つのみ。

 3時頃に板垣伍長に面会人来た。二十歳位の娘さん。斯く我らは若い婦人を見ることが全くよくないのである。世には何の名残もないのであったが、一度目に止まれば、またも未練が残るもの。
 あゝ死にたくない。誰もが持つ欲望だ。出来得るならば長く世にありて時世を楽しみたいものだ。幸ひと云うか、我に未練残るものなく、さっぱりとして喜んで死に付くことが出来るのだ。あゝ願はくば長世せんとする諸氏よ、楽しく世を過ごされよ。

 夜、はがくれ隊と云って○名、特配のすき焼きをもって会食。民は今頃、こんなことは恐らく出来ないであらう。

  
惜しからじ 君と民とを御前に
       名は武蔵野の華と散りなん
  愚作


11月16日 雨

 何となくぼんやりとして一日を過す。尺八を吹いても見、またギターを引いて感傷的な気持ちになって見たり、やはり我々は雨であったら何をすることもない。然も状況ゆるやかな日であったので、これには地方民に対しても実際、申訳ない次第だ。

 朝、四宮中尉殿より注意あり。幾分、我らしょげた形。八紘隊も今日は出発出来ないであらう。
 黒石川と同期
注=少飛12期の福元伍長が、黒石川のマフラーをもって来た。署名してもらいたいと云ふ。もうだいぶ先に書いた人もあったが、なかなか俺よりもうまい。「必死轟沈」とか「東亜礎石」と、名文句がある。俺も思ひ切って「機身一如」と書いた。

 我らが斯うして書いたマフラーも、やがては黒石川の身と共に敵の○○○○○○して形もなくなってしまふであろう。何とも、只成功を祈るのみだ。
 早くも攻撃隊は肉声をレコードに吹込まれたと云ふ。死後、両親が聞いたら、何と感ずるであらう。我が子の声が耳元で聞える。


吉田氏がスケッチした八紘第4隊の出発



11月17日 快晴

 「八紘隊」出発の日はきた。
 晴れの壮途を祝すか、空は澄み霊峰富士はさえざえと、手に取る如く見える。
 退屈のあまり、ギターを爪弾きて時うつり9時近く、八紘隊見送りに飛行場に出る。

 嵐の如き旗の波。過
(ママ)に発動機は好調に回転している。「カメラマン」はプロペラの回転するを撮り、或いは見送る者を撮っている。閣下注=防衛総司令官東久邇宮大将も見送っている。
 黒石川も我等の寄書をしたマフラーを鉢巻にして引いている。我等に敬礼して飛行機も滑走し始めた。嗚呼、黒石川よ頼むぞ。成功を祈る。きっとやってくれ。

 一番編隊は早くも離陸。うち振る帽子、手、日の丸の旗。あゝ何たる壮観。カメラマンの忙しさ。
 我乍ら、帽子を振りつゝも熱いものが咽につかへていた。つばくろ隊の方では、国旗を竹ざほに6枚もつけて振っている。

 他部隊の空中勤務者も大分きている。やはり、同じ隊から出た者が居るのであらう。
 「しっかり頼むぞ!」
 「元気でな」
 戦友は涙ぐみつゝも、はげましている。両親も此の出発だけは、おそらく知るまい。八紘隊の人隊員も、上官や戦友等に斯して送られた方が、どんなによいか。もう斯うなっては父も母もあるまい。
 只「米英撃滅」のみ。にっこり笑った彼ら、再び生きて還らず。
 何時此の戦果も発表となるや、一億国民にも、此の壮烈なる決意の勇士の顔を、また、この出発を見せてやりたい。

 本部前では、机の上に御酒がある。恐らく、皆出発に先立ち、頂いた酒であらう。
 皆、歓呼に送られて荒鷲は飛立つ。中には○○○○○○○ ○○○○○○○○
注=3機が故障で出発できなかったことを指すと推測
 閣下も観送を済まされて還らる。

 黒石川らに引換へ、我らが不運よ。どうせやるならあのように、きれいに世の中を精算してしまいたい。我らの如き、死すやら生きるやら。死には到然近けれど、果たせるやら。
 観送者もなくなり、場内の静けさ。隼は遙か彼方に雄飛。

 今出発した阿部伍長なる人に、我が戦友の阿部伍長に間違って面会との電話があったが、気の毒に既に出発した後であった。

 午後、同期生の立木
注=23F→18振武が偶然にも俺を訪れた。同期生は懐しいもの。いろいろの話に花が咲く。望月曹長も殉職されたとのこときく。かつては俺と共に加古川の開隊記念に演芸を主演したのに。惜しいかな。
 学校の助教殿の話も聞く。立木も我らが師団に来たといふ。

 夜、慰問映画あり。題目、過日の続きで「続 愛染かつら」竝
(ならび)に完結編。すべからく我等のためには大分毒になる。修養の身には。


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