11月8日 

 今日、飛行隊に移転。特別攻撃隊一同、寝食を共にするに決せり。
 一歩歩めば皆我らが顔を見る。どんな気持ちで見ているか判らないが、全くはづかしいのか、また光栄としてよいのか。

 午前には愛機の試験飛行。爆音、無線共に好調。此の分なら心に安心を持つ。また、別れと思へば故郷懐かしく、空より拝す。兄か父か、手を振りて答へり。
 午後、我らの命名式、否、編成完結式と云っても僅か○名。戦隊長殿より多大なる戦果の挙げんこと訓示され、我らが隊は「はがくれ隊」と命名さる。

 光栄ぞ、さきに神風特別攻撃隊ありしも、我ら「はがくれ」と葉隠武士道にある如く、「武士とは死ぬことを見つけたり」。成る程、簡にして明。もとより生還期せずの心あり、我らが心、また満足なり。然しながら面白いもの。世の中に何ら希望のなくなった我らは、死のみを心に思えり。
 夜に、隊長四宮中尉殿と共に戦隊長殿より戴いたウヰスキーにて、慎やかな会食をせり。


11月9日 晴

 昨日、御厨中尉殿注=航士56期、そよかぜ隊不時着、重傷とのこと聞く。あの愉快なる人が、と思へば全く気の毒だ。再び我らの操縦道には入れないだらう。
 昨夜降った雨も晴れて、からりとしたよい天気で、また敵さん来襲する模様なり。

 とっぷう隊に顔ぶれを見んものと、綱谷軍曹と雑談中、非常ベルはけたたましく、我らの耳朶を打つ。とっぷう隊は出動。大島軍曹は鉄帽に身をかためつゝ去りながら、我に静かに敬礼。「お願いします」と云ふ。何だか「死んで下さい」と聞こえるようだ。

 高度の試験的に機上の人となる。漸くにして1万500の高度を獲得。残念だがあまり速度が出ない。酸素は順調なり。敵さん来たらず。
 午後に入って敵機到来の時刻を予想して上昇。1万米、またしても来たらず。
 身体も相当疲れて来た。もう休めると思ひきや、またしても情報「北進する大型2機」索破と出動下る。然し待てども敵来たらず。遂に日も暮れたり。

 熱海に行った泰子より可愛い手紙がきた。たまにくる便りも嬉しいもの。入隊以来の戦友からも激励の手紙が来た。


11月10日 曇

 朝からどんよりとしている。尺八を吹いては、その音を楽しんでみる。
 10時頃より情報ありて、早くも出動下命せられたる戦隊あり。

 午後に入りて1式戦の諸元等を覚えて3式なき場合に備へよとのことにて、飛行機に付いて書類と共に研究せり。
 そのうち四宮中尉殿来たりて未習飛行するとのこと。早速我より離着陸。全く突然であったために自信は持てなかったが、案外出来るもの。乗って見たいと思った隼に漸く今日は操縦桿を取って天翔ることが出来た。

 昨日外泊した板垣伍長、もう帰へってきている。不時着した御厨中尉殿再び帰らず。生前のことが思い出される。惜しいことをした。尺八も教えてやったが!

 夜は配給のビール1本をもって少飛兵らと会食。阿部伍長、安藤伍長、板垣伍長、石岡伍長、藤井伍長、新藤伍長、皆んな若い張切ボーイ。また来ない者のビールを俺らのためにくれた。それでもビールは11本に達して朗らかにくらした。前後の苦労も忘れて。


11月12日 曇

 3日もどんよりとした日が続いている。しかし、感心に雨が降らない。それでなくても今迄のよく降った雨のために飛行場が田圃の様になっていて、着陸等に危険を感じる位だ。
 もう敵さん来る頃だが、さっぱりやってこない。飛行機に乗らないで、こうしているのも退屈なるもの。敵さん来らば我らの運命は決するのだ。しかし万が一、他の者にやられてしまったら、未だ望みはあるわけだ。

 午後は故御厨中尉殿の部隊葬。厳粛なるうち部隊長殿の弔辞。続いて小隊長、同期生、遺族の方々の焼香ありて、心の中ただ生前の生活、挙手言動を回顧してみるに過ぎず。懐かしき人生のはかなきを知る。我らもやがては、否、明日あのような立場になり得るのである。

 俺が死んで誰が泣いてくれるか。恐らく泣くものはないだらう。未練で云うのじゃないが。地方生活
注=世間一般を思へば涙さえ出ない。母が居っても駄目だらう。俺はそれでよいのだ。それが親不孝をした罪滅ぼしになるのだ。
 坊主の経を読むような、どうやらこんな愚痴みたいなことが頭の中に浮かんで来た。情けない奴よ。
 国のために死んだらそれでよいのだ。だが殉職はしたくない。たとえ何人とも操縦に入り戦闘操縦者となったからは、1機たりとも落して戦死がしたい。

 15時半、遺骨は自動車に揺られて粛々と進む。我ら一同、挙手の敬礼、見送れり。遂に白木の人となって故郷に帰る姿、全く哀れなり。



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