昭和20年8月 八日市 2019.12.29


8月1日 晴暑し
 とうとう8月になった。今朝鶏が卵を二ヶ産んだ。宿のおばさんがナスと卵を煮て朝飯を御馳走になる。どういうわけか私だけ特別にして下さり、有り難くいただく。
 午前は土蔵の中で診断。午後、教育査閲(91師団長)。防空壕掘りをする。佐藤少尉大阪出張の為、独り。

8月2日 晴
 赤痢患者発生(牟田兵長)。午後、三谷大尉と臨入を送る。人事さわぎで一日を過ごす。

8月3日 晴
 午前診断。午後、1414陣陸病(久居町)に生野大尉の為連絡に行く。病室の生野大尉は立派な帝国軍人だった。
 宿なく、大分さがしてきたない旅館に泊る。警報も出ず、よく眠る。

8月4日
 午前病院へ。院長、外科主任浜口少佐(東大助教授)に連絡。生野大尉と昼過ぎまで話す。大層喜んで下さる。
 午後は付添勤務交替。大村上等兵と中川山奥の宮村病院裏を彷う。夜汽車なく、亀山二人泊まる。警戒警報。早くねる。

8月5日 晴酷暑
 敵来たらず。AM10.飛行場着。午後は雑用。
 夜、佐藤少尉と二人、おばさんの家で静に、12時過ぎまで手紙。

8月6日 晴暑し
 午前診断。午後、繃帯所で「己が罪」を読む。
 夕方、調布に連絡に行かれた戦隊長帰隊。

8月8日
 広島に原子爆弾。死傷13万とか。

8月9日
 ソ連参戦。国境に於て戦斗。

8月10日
 長崎にも原爆。

8月14日
 午前、激戦。玉懸曹長戦死。
 午後は北中尉と山上まで歩く。帰りバスなく、歩いて暗くなり22時帰宅。おばさんの家でお冷をよばれる。

8月15日
 12時、陛下詔書放送。帝国はポツダム会談を受諾。敵来たらず。

8月16日 晴暑し
 夕方早く帰り、おばさん心尽くしの御馳走をよばれる。夜、敵1キ侵入。

8月19日
 召集解除。岩間曹長を帰す。

8月20日 暑し
 外村のおばさんの家を引き揚げて帰隊。師団長来隊、訓示あり。

8月21日
 召集解除。池谷軍曹を帰す。

8月22日 晴
 大野、斎藤少尉(何れも本部)召集解除。

8月23日 曇小雨
 召集解除。残りは加藤衛生兵のみとなる。
 罹災1000万、死亡30万(但軍人を除く)発表あり。

8月24日
 何ということのない日が続き、朝、八日市の町に机を返納に出る。町の有様は何という事ない。
 夜、中野中尉と散歩がてら映画館へ行くが、面白くなく途中で出て帰る。

8月25日
 朝、御園陸病分院へ。6時子供の時間、初めてラジオの音楽を聞く。
 夜は隊長と彦根城の楽々亭へ。最後の会合。酒のめど酔わず。

8月30日
 朝、復員式。君が代合唱に涙を流す。

8月31日 雨
 10時、飛行場監視隊結成式。



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