昭和20年6月 知覧 2019.7.24

6月1日 小雨
 一日かかって山上で火葬。お骨を持って9時過ぎ、飛行場に帰着。

6月2日 

 空襲…機銃で二人死者が出る。
 宮本二等兵…腹部貫通、小倉上等兵…頭部貫通
 午後、衛生岩間曹長、東京へ出発。

6月5日 

 
午前10時、生野大尉海上に不時着の報に、直ちに北中尉、佐藤少尉とトラックに乗り枕崎に行き、舟を雇い、海上を捜索するも見当たらず。あきらめて帰る。
 生野大尉は海上に落下、泳いでいたところを漁船に救助されていた。

6月6日
 
衛生指導に軍医部長石川大佐来隊。夜会食。
 午後、発進。

6月7日
 
午前、午後共、空襲あり。午前、予定の行動とれず。昼食後軍医部長は帰られる。

6月8日
 
早朝、特攻機発進。但、3機のみ。
 夜、戦隊長と本部将校と呑む。

6月9日 

 
午後、知覧分院へ連絡に。空襲警報に会うも、敵来たらず。暑い日差しの中、歩いて帰る。

6月11日
 
戦隊長、少佐に進級。夜はお祝い。知覧に出て呑む。

6月12日
 
夕方医務室に行くと、澄川中尉、堀見習士官、既に御機嫌。よばれて一緒に呑む。隊に帰ると、戦隊長のところで又呑む。

6月13日 

 
診断。夜は戦隊長のお供をして知覧分院に。夜は、又酒。

6月14日 

 
夜は酒。

6月15日 

 戦隊長は伊作の保険所に静養に。出かけられて数分後、佐藤少尉より電話。東京より知覧駅に戦隊長夫人を伴って来た由。戦隊長のお惚気がおもいやられる。
 佐藤少尉は渡辺家より手紙だのいろいろのものをことづかって来ていて、散々罰金をとられる。久々に酒なしで寝る。戦隊長不在の為。

6月16日 

 三角兵舎の中でマージャン。にぎやかな事。予防接種を行う。

6月17日 
曇夕方一時晴
 午後診断。文野さんより手紙。夜は手紙を書く。

6月18日
 夜は医務室で酒。三老人と。

6月19日 


6月20日 
夕方より晴
 午前診断。午後より慰問演芸あり。万歳で数え歌八番になったとき、突然グラマン1機撃ってくる。兵一人死亡。
 夜、医務室で飲酒。何のこともなく一日を過ごして、これでよいのか?

6月21日 

 久々で朝日を見る。飛行場勤務の日で、朝より飛行場横穴の救護所を出たり入ったり。
 お昼に富山学校の軍楽隊を聞く。久々で生の音楽に感激し、涙する。夕方、又慰問団来る。

6月22日 
曇時々晴
 午前空襲警報。午後になってグラマン急襲あり。昼頃、特攻隊掩護のとっぷう隊、浅野、五百森軍曹帰らず
 暗くなってから捜索に出る。伊作温泉湖畔「みどり」に泊る。

6月23日 
一日雨

6月26日
 予防接種。飛行場をまわり、嫌がる者も全員に行う。

6月27日 

 急に上京を決意す。夜、大雨の中を出発。内山旅館に泊る。

6月28日
 朝5時知覧を出発。兵二人を連れて東京へ。夜、門司にてのりかえ。

6月29日
 岡山空襲の中を、尾道、夕方京都に一時下車。

6月30日
 朝、東京着。調布の家へ。別世界。
 早速、渡辺夫人にスープを作っていただく。夜、文野さん来る。



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