昭和20年2月
2019.3.27 2月1日(木) 曇 午後、渡辺中尉(調布飛行場大隊所属)と調布分院兼務の申告に行く。 そこで、蛯谷大尉から戦局の苛烈なる事を聞く。フィリッピン決戦はない。3月には敵本土上陸に来ると。米軍はマニラに80Kmに迫る。 2月2日(金) 朝みぞれ 朝から東一に岡田候補生を連れて行かうと思っていたら、戦隊長が二等級になられた申告に師団司令部に行かれる車に便乗する事となり、待っていると昼過ぎとなる。東一に無事岡田を入院させ、田中准尉を見舞って帰隊。 夜は渡辺家へ帰る。渡辺氏も戦局の危急なことを云う。 2月3日(土) 朝快晴、夜風強し。寒し。 夜、映画「格子なき牢獄」(仏)をみる。 2月4日 晴 中部軍に敵100キ。我等は遭遇せず。 夜、渡辺家へ帰る。法事で御馳走あり。 2月6日(火) 晴 お昼より出張。渡辺家に寄れば土岐さん(運転手)が出るところ。便乗して東二に厳さんを見舞い、師団に行く。 帰りに戦隊長子息を見舞う。俺は家のことなど考えておられぬからな! と云う戦隊長。 2月7日 曇後雪 午前、診断。 午後、四宮中尉に面会に17司偵隊に行くが留守。飛行場をまわり、日本郵船(飛行機乗りの保養所になっている)も行くが、来ていず。一回りして隊に帰る。 夜は渡辺家で矢野少尉とレコードを聴く。夜、雪降りつむ。 2月8日(木) 曇後晴 飛行場は白一色。雪の誘導路に大詔奉戴式。隊長の訓示。 夜、帰宅。朝4時まで、渡辺夫人、松村参謀夫人と人生の??、人情の機微 2月9日(金) 晴 朝8時出勤。日本郵船の假泊所に行くが、四宮中尉に会えず。 渡辺家に帰れば、渡辺夫人は自室で三味線の爪弾き。 1130出発。小田急にて箱根へ。3時30分、環翠楼に伊藤少尉を見舞う。食事を共にし、温泉につかりながら同室に寝る。 2月10日(土) 6時起床。温泉につかり、小田原まで送ってもらう。 駅は警戒警報発令中。漸く隊に帰着すれば皆東京へ。 この日、未帰還田口少尉(戦傷)、梅原伍長。 夜、富永少尉と竹田屋へ泊る。 2月11日(日) 晴 本日は皆留守。戦斗指揮所も閑散。 夜は北中尉、佐藤少尉、河野少尉、古波津少尉と竹田屋へ。カフェーに出ていって僕の誕生日を祝ってもらう。 2月12日(月) 晴 医務科へ。 2月13日(火) 曇 今日は当直。 2月14日(水) 曇後晴 昼過ぎに慰問演芸。三原順子、楠木繁夫等。 夜は指揮所で富永、佐藤両少尉と話す。 2月16日(金) 晴 朝5時、警戒戦備甲。敵機動部隊来襲! 飛行機は全機調布へ。見送る。30機、調布! 8時30分、コルセア来襲、機銃掃射。昼過ぎにはグラマン。 爆撃される! 至近に着弾。夕方再び艦載機。 夜は指揮所を飛行場外に移す。当戦隊は被害はなかったが、浜松飛行学校は全部疎開と聞く。 2月17日 晴 浜松陸軍病院、16、17日の空襲に依り、入院42、死亡3、重傷3。 2月18日(月) 晴時々曇 朝、武田大尉の出発を送る。帰隊。 昼前に荷造り。竹田屋で会食。病院に入院中の者を見舞い、帰隊。 夜、月光の道を歩いて浜松駅へ。夜半の列車に乗る。 2月19日 晴 6.30東京駅着。武蔵境より調布飛行場着、8.30 午後、敵来襲。未帰還機あり。師団まで行く。 硫黄島に敵上陸開始。 夜は渡辺家へ帰って寝る。 2月20日 晴 昼から渡辺家へ帰り、茶室にてうす茶を点てる。 昨日までの生活とあまりに違いすぎて、天と地か。 夜は遅くまで指揮所で本部将校と話する。呑みながら。 2月21日(水) 晴れ お昼、調布分院にて会食あり。 夜は富永少尉をつれて帰宅。一緒にレコードを聴き、泊める。 2月22日(木) 雪降り、一日雪降り続く。 整備兵は雪が止むまで飛行場の除雪作業。敵襲よりもこわいのは雪。 夜は遺書を書いて家に送る。 2月23日(金) 曇 午前、診断。午後小手術。 夜、渡辺家へ帰る。 2月24日(土) 晴 午前、気象教育あり。午後、第二陸病に研究会へ。 夜、帰宅。伊藤少尉箱根より来訪。 2月25日 敵機動部隊来襲! 午前、飛行場防空壕に救護所開設。但、敵は調布には来ず。 2月27日 夜、柴崎分院にて当直。 2月28日 午前、病院にて。午後帰隊。 |