昭和20年1月 浜松三方原飛行場 2019.1.5

1月1日
 戦隊長、朝5時より哨戒。8時より拝賀式。戦隊長の訓示、厳たる中に温かさあり。
 夕方より竹田屋旅館へ。泊る。
 戦隊長、調布へ。敵機来たらず。街ではよい正月が出来た。

1月3日

 昼過ぎ、敵機来襲。約90機。戦隊長不在、竹田隊22機のみ出撃。初の大戦果。撃墜6撃破7、計13。
 何よりも未帰還機なし。意気軒昂。

1月4日
 曇後晴
 悪気象の中、戦隊長帰還。
 8時より、勅諭奉読式。続いて恩賜の御酒、神風の手拭いを撃墜者に授与。

1月5日

 午後、経理部長殿と軍医部長森田少佐殿(小生同窓の先輩)の来隊を知り、午前中かかって衛生概況書を作る。
 兵隊の三角兵舎、其処には窓なく炭なく、火を焚けば煙が充満し、機の始動が始まると天井のすき間から黄塵が降ってくる。
 陣営具なく、食器さえない。水がなくて食器洗浄どころか、食後に水を飲んだり飲まなかったりという実情である。
 夜、森田少佐到着。状況報告をする。その後旅館まで御送りして帰る。

1月6日

 午前中、営内巡視。森田少佐殿と医務科、浜松陸軍病院に挨拶に行く。帰って昼食。駅まで御送りする。
 夜は戦隊長と酒。意気と熱!

1月7日

 昼過ぎ、竹田大尉に師団長より、1月3日の戦果に対して表彰状授与式あり。

1月8日

 朝7時、側車にて浜松駅へ。汽車延着の為、竹田屋で待つ。
 駅に行くとまた延着。再び駅に行くと汽車は既に出ている。あとは駅にて待つ。11時発に乗るが、超満員。19時東京着。荻窪の兄の家に泊る。

1月9日

 朝9時前に東京第一陸軍病院へ。伊藤少尉はこの朝、箱根へ。行き違いとなる。
 新宿へ出る途中、森下曹長に出会う。一緒に軍医学校へ。
 調布への電車の中で警報。烏山にて体当り敵機撃墜、更に友軍機落下を見る。涙がこぼれる。
 帰隊。丹下少尉体当り戦死! 
 調布の家に帰るが、かあさん留守。

1月10日
 晴
 朝、久々で調布の部隊で診断を行う。書類を整理。
 夜は映画(独仏もの)「青春乱舞」。面白そうと思ったら警報!とりやめ。
 帰って寝る。

1月11日
 晴
 午後、柴崎の分院(井伊伯爵別邸)へ。
 夕食をすませて帰宅。夜警報! 雪降る。

1月12日
 晴
 9時過ぎ出勤。柴崎分院へ。
 夜は戦隊長室で川田中尉と三人、酒をくみ交わす。

1月13日
(土) 晴
 朝より森田少佐、東大生化学児玉教授、労研、北大の教授等、部隊を来訪。何れも戦時研究員。
 夜、高々度研究演習。

1月14日
 晴
 昼、会食。夜は映画「青春乱舞」を見る。

1月15日
(月) 晴
 慰問演芸…松竹移動演劇隊。全く面白くない。
 飛行機で浜松へ出発の予定が、浜松の天候不良の為、日延べ。

1月16日
(火) 晴
 寒いが天気は上々。お昼前に調布を出発。浜松飛行場着。12時30分。

1月17日
(水) 晴
 兵隊さん達と一緒に寒風の街道をつっぱしる。

1月18日
(木) 晴
 午前、医務科へ。午後は浜松陸病へ。手術を見学。

1月19日
(金) 快晴
 敵来襲。慰問団来訪。渡辺はま子、横山隆一、玉川一郎。
 真心の こもりて今日のはなむけを ほゝえみ誓う明日の戦を  戦隊長

1月20日
(土) 晴風強し
 急に帰還を命ぜられ、出発。汽車はこれまで不通だったのが初めて通じた汽車の為、大変混んで立ち通しで、23時東京駅着。東京は暗闇。
荻窪の兄の家へ泊る。

1月21日

 朝10時、調布飛行場着。午後、保護兵身体検査。
 夜は調布渡辺家こたつで鹿島専務渡辺氏と話す。世界の現況について。

1月22日
(月)
 戦隊長宅を見舞い、出勤。
 午前、月例身体検査。午後、診断。
 夜、副官上村中尉送別会。新副官は川田中尉。
 8時頃警報。その後に帰宅。ピアノを弾き、レコードを聴く。

1月23日
(火) 曇
 午後、軍偵にて2時頃、浜松飛行場着。
 状況下令中。本戦斗中、敵一機火をふき、脱去するを見る。大戦果!
 夜は戦隊長と祝杯! B29、63キ撃墜破、撃墜13キ、サイパン帰還32キ。

1月24日
 曇時々雪
 大映芸能報国隊、慰問。
 航空総軍医務部長安倍中将、来隊。(小生は旧知)
 救護演習あり。指揮所に待機、慰問は見ず。

1月25日
(木) 曇一時雪
 午前、安倍閣下の教育あり。小官に声を掛けて下さり、帰京さる。
 午後、医務科。

1月26日
(金)
 午前、月例身体検査。
 安藤伍長、軍偵にて迎えに来る。調布に帰還せよと。直ちに調布へ!

1月27日
(土) 晴
 朝、戦隊長子息入院の為、千川に行くが入院出来ず。
 敵70キ来襲。戦隊長体当り生還。劇的生還!
 中野、板垣両軍曹も体当たりし、再生還。
 服部少尉、高山少尉、安藤伍長も帰らず
 夜おそく、戦隊長宅を見舞い、帰る。

1月28日
(日)
 安藤、終に帰らず。松戸に於て体当り自爆。
 午前中かかり東京の小児科の病院をあさる。午後、戦隊長の子息を島病院(飯田橋)に入院。
 夜、安藤伍長納棺式! 戦隊長、中野何れも泣き、安藤を悼む。滅敵を誓う。
 夜おそく、田中准尉を入院させる為出発。空襲に遭い、師団に泊る。

1月29日
(月)
 松本大尉も共に15号埋立地の高射砲部隊に田中准尉を収容。東一入院せしむ。
 帰隊13時。戦隊長の会食あり。初めて出席。
 夜、再び田中准尉の見舞いに戦隊長と。飯田橋病院にも寄って帰宅。11.30

1月30日
(火)
 夜、帰宅。

1月31日
(水) 晴
 午前、診断治療。夜帰宅。
 独、東部戦線危機。ベルリンに180Km。




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