有蓋掩体


 飛行場内エプロンの土手状掩体は早い時期から構築されていたが、場外の分散秘匿用掩体が構築されたのは昭和19年6〜9月にかけてのことで、飛行場用地の拡張(外周水路・排水溝延伸)に合わせて有蓋・無蓋各30基と誘導路他を僅か2ヶ月ほどで完成させる超突貫工事だった。
 これら有蓋掩体は、東部軍特設作業隊が指揮・監督のもとで、清水組、大倉土木、都市土木3社が施工を請け負ったものだという。




日本郵船飛田給錬成場東側の畑中にあった有蓋掩体。
中は湿っぽく亡霊が出そうで不気味だったが、ここに憧れの飛燕が
翼を休めていたのかと思うと、胸が熱くなった。(昭和37年)




昭和40年頃、雑木林の中に顔を覗かせる有蓋掩体。




一番上の写真と同じ掩体の昭和50年頃の状態。現在はマンションと化している。




甲州街道と西武線が交差する付近の掩体。この頃は、まだ10基以上残存していた。




上の写真に近い畑中にひっそりと残っていた掩体。何の邪魔にもならない場所だったのだが、
今はない。
09.10.24追加




雑木林の中に残る、上掲写真の何れとも違う掩体。09.11.2追加




現存しないことは確かだが、撮影者本人も記憶がなく、場所は不明。09.11.2追加



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