昭和20年3月下旬、そよかぜ隊の藤井 正軍曹。彼の乗機というわけではないが、注目は空中線支柱とスピナー。 空中線支柱が、たぶん赤白に塗り分けられているのは、本機が教育用機であることを示す(または、その名残り) と推察され、明野で撮影されたとする244戦隊機「87号」の空中線支柱とも共通性がある。空中線も、通常の右でなく 左水平安定板に向けて張られている。 また本機のスピナーは、先端が故意に凹まされている。この理由について、整備隊幹部をはじめ、幾人かの方々に お尋ねしたが、一様に、「こんなことは有り得ない。考えられない…」との返答で、真相は全く不明。 |
写真1 昭和20年4月22日、戦隊本部前ロータリーにて、松竹慰問団と244戦隊操縦者。 写真1と2には、計38名の操縦者が写っているが、このうち、実に21名が戦没している。 |
写真2 人物を確定するため、私はこれらの写真を数十人の関係者に進呈して情報を 求めたが、前列左から4人目の操縦者だけは、ついに判明しなかった(拡大画像参照)。 階級は軍曹で、下士学または予備下士と思われるが、心当たりの方は是非ご一報を。 |
写真3 これには、戦隊の地上勤務者幹部と高射砲隊幹部が写っている。 |
20年7月25日の殊勲に対し、陛下から御下賜の日本酒で祝杯を挙げる 左から中野軍曹、中央 竹田大尉、右端 藤沢大尉。8月2日、八日市にて。 |
昭和17年末、借り物の飛行服で記念撮影。陸士56期 水越見習士官。 彼はこの後、操縦教育を受けるが、地上勤務者が飛行服を借りて 写した写真も多く、飛行服だから、即、操縦者とは決めつけられない。 |
菊池氏撮影と思われる写真。雪で飛べない日の訓練風景…という構図。 東京地方は20年2月25日、40センチ近い大雪に見舞われ、翌26日には 調布の滑走路も閉鎖された。この写真は、その時のものと推察される。 |
上写真と同じ頃の雪の朝、そよかぜ隊 機側控所(テント)。 |
20年3月19日、出撃時の小林戦隊長機4424号と板倉少尉。 落下タンクに必勝の「必」の文字が見える。 |
写真の状態が悪く鮮明さを欠くが、3295号前の小林戦隊長と、その右が川崎航空機の 南郷茂宏氏。彼は戦隊歌の作詞者(作曲は古関裕而)でもあった。 |