勇士のアルバムから…その10
03.3.23

20年3月下旬 そよかぜ隊 藤井正軍曹

昭和20年3月下旬、そよかぜ隊の藤井 正軍曹。彼の乗機というわけではないが、注目は空中線支柱とスピナー。
空中線支柱が、たぶん赤白に塗り分けられているのは、本機が
教育用機であることを示す(または、その名残り)
と推察され、明野で撮影されたとする244戦隊機「87号」の空中線支柱とも共通性がある。空中線も、通常の右でなく
左水平安定板に向けて張られている。

また本機のスピナーは、先端が故意に
凹まされている。この理由について、整備隊幹部をはじめ、幾人かの方々に
お尋ねしたが、一様に、「こんなことは有り得ない。考えられない…」との返答で、真相は全く不明。


20年4月 松竹慰問団と244戦隊操縦者

写真1 昭和20年4月22日、戦隊本部前ロータリーにて、松竹慰問団と244戦隊操縦者。
写真1と2には、計38名の操縦者が写っているが、このうち、実に21名が戦没している。



20年4月 松竹慰問団と244戦隊操縦者

写真2 人物を確定するため、私はこれらの写真を数十人の関係者に進呈して情報を
求めたが、前列左から4人目の操縦者だけは、ついに判明しなかった(拡大画像参照)。
階級は軍曹で、下士学または予備下士と思われるが、心当たりの方は是非ご一報を。



20年4月 松竹慰問団と地上勤務者幹部

写真3 これには、戦隊の地上勤務者幹部と高射砲隊幹部が写っている。


八日市飛行場で祝杯を挙げる

20年7月25日の殊勲に対し、陛下から御下賜の日本酒で祝杯を挙げる
左から中野軍曹、中央 竹田大尉、右端 藤沢大尉。8月2日、八日市にて。


野崎隊前で水越見習士官

昭和17年末、借り物の飛行服で記念撮影。陸士56期 水越見習士官。
彼はこの後、操縦教育を受けるが、地上勤務者が飛行服を借りて
写した写真も多く、飛行服だから、即、操縦者とは決めつけられない。


菊池氏撮影の演出写真

菊池氏撮影と思われる写真。雪で飛べない日の訓練風景…という構図。

東京地方は20年2月25日、40センチ近い大雪に見舞われ、翌26日には
調布の滑走路も閉鎖された。この写真は、その時のものと推察される。


大雪の朝、機側控え所

上写真と同じ頃の雪の朝、そよかぜ隊 機側控所(テント)。


20年3月19日 4424号

20年3月19日、出撃時の小林戦隊長機4424号と板倉少尉。
落下タンクに必勝の「必」の文字が見える。



3295号と小林戦隊長ら

写真の状態が悪く鮮明さを欠くが、3295号前の小林戦隊長と、その右が川崎航空機の
南郷茂宏氏。彼は戦隊歌の作詞者(作曲は古関裕而)でもあった。



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