昭和17年頃、おそらく福岡雁ノ巣飛行場で出発を急ぐ、大日本航空のDC−3 櫻号。操縦士と乗客が雑談しながら 点検整備作業を見守っている様子。 |
同じく大日本航空の三菱式双発輸送機 (96式陸攻民間型)。 |
昭和19年秋、美保海軍航空基地で撮影された100式司偵3型。 |
同じく飛行第22戦隊の4式戦。大陸方面へ空輸の途中、補給に立ち寄ったものと思われる。 |
昭和20年3月、そよかぜ隊15号機と後方は71号機。 |
上に同じく15号機と整備隊第1小隊 小島軍曹。 |
昭和19年12月5日、振武隊第2飛行隊へ転出する四宮中尉以下の隊員たちと小林戦隊長。 左隅は震天隊機の尾翼だが、操縦者の頭文字は書かれていない。 |
244戦隊が編成した第161振武隊。左後から草間、森少尉、渋田隊長。 左前から捧、玉置、羽石少尉。 |
同じく第162振武隊。左後から太田少尉、二宮隊長、飯田少尉、清住伍長。 左前から島田、橋本少尉。 |
仮泊所の庭(畑)で第164振武隊。左から増田軍曹、田中少尉、芝山隊長、 大西少尉、前は井野少尉。この時点では欠員1名だったが、この後、小島 軍曹が補充配属された。左手遠方に東京天文台の望遠鏡ドームが見える。 |
244戦隊整備隊本部前で、部下と三谷整備隊長(後ろ)。 三谷隊長は3式戦の可動率向上に心血を注いだが、20年春頃には ハ40のTBO 300時間を達成し、航空本部長から表彰されたという。 |