↑ 愛機 3015号ノ 前ニテ(鈴木伍長の直筆) 本機はあくまで、みかづき隊時代の乗機であり、 本部小隊に移ってからの乗機は異なる。 | |
↑ 3015号機と鈴木正一伍長。彼の締めている鉢巻は、20年 1月3日の戦果記録者に授与された、「神風」と書かれたもの。 | ■ 20年1月3日の鈴木伍長日記へ |
「此ノ 撃墜マークを見よ」 「白井大尉殿撮ル」 とある。が、白井氏自身のアルバムには、 この写真を含めて小林時代のものは何故か見あたらなかった。 |
20年1月3日夜、調布戦隊本部事務室で浜松での大戦果に祝杯を挙げる、左から 岡田准尉、板垣伍長、小林戦隊長、高山少尉、丹下少尉、佐藤准尉ら。戦隊長は この日、所用で調布に戻っていた。 |
昭和18年正月、調布飛行場戦闘司令所屋上から富士を望む。まだ飛行場大拡張の前で、 飛田給北方の農園の施設(画面左遠方)が見えている。 |
長らく、みかづき隊長、先任飛行隊長を務めた村岡英夫大尉。 彼の訓練はハードなことで知られていたが、部下からの信頼は 厚かった。 |
村岡大尉の前任者、航士52期 野崎清二大尉。昭和18年3月 8日、夜間演習中、田無付近にて殉職。 後方の壁のない建物は、発動機試運転場。大量のドラム缶が 転がっている。 |
常陸教導飛行師団時代の航士57期 高見盛二少尉。 13戦隊に配属。19年12月7日、オルモック湾にて戦死。 |
特操2期 第162振武隊の飯田幸八郎少尉。ここは戦隊本部の 中庭で、建物の向こう側にエプロンがある。昭和20年5月。 |
昭和20年7月、第161振武隊長 渋田一信少尉(左)と 特操2期 羽石 泓少尉。本機にも電光が描かれている。 |
昭和19年秋、特操1期 つばくろ隊の小川 清少尉(20.4.30 戦死)。 本機も、ジャイロ照準器用と思われるベンチュリー管を装備している。 |
菊池氏撮影と思われる第19振武隊長、四宮 徹中尉。これは、中尉自身の アルバムに貼られていた写真。 一連の19振武写真の操縦席アップは皆、同一機(7475号)で撮られており、 本機を四宮中尉機とする説は、疑問。照準器は、機密保持のために取り 外されている。 |