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昭和20年5月初旬、159振武隊長高島少尉に譲られる4424号機と戦隊長らの、いわば送別記念写真。 右から小林戦隊長、土屋伍長、板垣軍曹、1人おいて整備班長 牧井曹長。5月28日、知覧へと旅発つ高島少尉を見送った戦友は、風防下の多数の撃墜マークを記憶している。 本機の落下タンク架には5276の製造番号が刻印されているが、これは他機の部品が流用されたことを示している。 |
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昭和20年4月15日頃、調布で編成完結したばかりの第56振武隊。ブレて見にくいが、 後方には4424号機が写っている。主翼前縁は、3月19日出撃時の赤から本来の黄に、 既に戻されているようである。 |
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昭和19年11月、隊長 小松豊久大尉に申告する、つばくろ隊の面々。左2番目から 関中尉、浅野曹長、中野伍長、安藤伍長。 小松大尉は皇族(小松宮)で、遙拝式などの際には最初に拝礼し、次が華族出身の 黒田軍曹、そして藤田戦隊長の順だった。 他の戦隊も経験した操縦者にいわせれば、244Fほど紳士的な戦隊はないそうだが、 これには、小松氏の存在も影響していたのではなかろうか。 |
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少飛9期、脇 秀利伍長。9期の操縦は昭和17年4月、25名が、 10期は17年12月、ほぼ同数が244戦隊に配属されて戦技教育を 受けている。 両期とも藤田時代にほとんどが転出し、その多くが戦没した。 |
![]() | ![]() 足利の現場。水田に穴が開いて池になっている。 当時の状況については、3式戦の可働率低下のため、 戦隊長編隊の3機のみが出撃して、このような結果を 招いたかのように従来書かれてきているが、これは 事実に反する。 |
↑ 少飛11期 鈴木正一伍長。B29 5機撃墜、 3機撃破。 |
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少飛13期 松枝友信伍長。B29 2機撃墜、3機撃破。 |
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特操1期 斎藤昌武少尉。特攻へ転出した同期生が多い中で、最後まで戦闘隊 に残留した、数少ない一人。週番士官のたすきを掛けている。 |
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松枝伍長と共に小原中尉の僚機として活躍した、藤井 正伍長。 B29 1機撃墜、1機撃破。 |
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特操1期 平沼康彦少尉(B29 2機撃破)の乗機と推察される21号機。胴体 後部帯が3本(紺、赤、紺?)巻かれている。 本機は終戦まで生き残り、調布に進駐した占領軍によって撮影されている。 |