勇士のアルバムから…その6
02.6.23

20年5月初旬、4424号と小林戦隊長、板垣軍曹ら

昭和20年5月初旬、159振武隊長高島少尉に譲られる4424号機と戦隊長らの、いわば送別記念写真。
右から小林戦隊長、土屋伍長、板垣軍曹、1人おいて整備班長 牧井曹長。5月28日、知覧へと旅発つ高島少尉を見送った戦友は、風防下の多数の撃墜マークを記憶している。
本機の落下タンク架には
5276の製造番号が刻印されているが、これは他機の部品が流用されたことを示している。




4424号の前で56振武隊

昭和20年4月15日頃、調布で編成完結したばかりの第56振武隊。ブレて見にくいが、
後方には4424号機が写っている。主翼前縁は、3月19日出撃時の赤から本来の黄に、
既に戻されているようである。


小松隊長に申告する、つばくろ隊の面々

昭和19年11月、隊長 小松豊久大尉に申告する、つばくろ隊の面々。左2番目から
関中尉、浅野曹長、中野伍長、安藤伍長。
小松大尉は皇族(小松宮)で、遙拝式などの際には最初に拝礼し、次が華族出身の
黒田軍曹、そして藤田戦隊長の順だった。

他の戦隊も経験した操縦者にいわせれば、244Fほど紳士的な戦隊はないそうだが、
これには、小松氏の存在も影響していたのではなかろうか。


少飛9期、脇伍長

少飛9期、脇 秀利伍長。9期の操縦は昭和17年4月、25名が、
10期は17年12月、ほぼ同数が244戦隊に配属されて戦技教育を
受けている。
両期とも藤田時代にほとんどが転出し、その多くが戦没した。


少飛11期、鈴木伍長
鈴木伍長機の墜落現場
昭和20年2月16日、鈴木伍長機が撃墜された
足利の現場。水田に穴が開いて池になっている。

当時の状況については、3式戦の可働率低下のため、
戦隊長編隊の3機のみが出撃して、このような結果を
招いたかのように従来書かれてきているが、これは
事実に反する。
少飛11期 鈴木正一伍長。B29 5機撃墜、
3機撃破。


少飛13期、松枝伍長

少飛13期 松枝友信伍長。B29 2機撃墜、3機撃破。


特操1期、齋藤少尉

特操1期 斎藤昌武少尉。特攻へ転出した同期生が多い中で、最後まで戦闘隊
に残留した、数少ない一人。週番士官のたすきを掛けている。


予備下士9期、藤井伍長

松枝伍長と共に小原中尉の僚機として活躍した、藤井 正伍長。
B29 1機撃墜、1機撃破。


平沼少尉の乗機と推察される21号

特操1期 平沼康彦少尉(B29 2機撃破)の乗機と推察される21号機。胴体
後部帯が3本(紺、赤、紺?)巻かれている。
本機は終戦まで生き残り、調布に進駐した占領軍によって撮影されている。



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