昭和20年5月初め、244戦隊が執行した最後の部隊葬。祭壇の遺骨は、左から 松枝、井出、前田、服部、丹下、河野、高山、小川、梅原、首藤と並んでいる。 従来、部隊葬は大格を会場としたが、これは飛行場東側の兵站宿舎と思われる。 |
昭和19年秋、調布飛行場を離陸する4式重爆。調布にはキ−109特殊防空戦闘機 (たぶん107F)もいたが、本機は通常の4式重。尾翼マークは描かれていないようだ。 |
99式高練の計器板。左にシフトしているのがユニーク。 |
昭和19年12月5日、振武隊第2飛行隊へ転出する隊員と別れの杯を交わす。 左から伊藤、井上、四宮、右端は竹田大尉、その向こう小松大尉。 |
↑20年1月27日、体当り戦死した安藤喜良伍長。 今も「安藤はいいヤツだったなー」との声をよく聞く。 | ↑ 20年2月頃の板垣政雄軍曹。2度の体当り生還という 偉業によって、戦隊のスター的存在だった。 |
↑ 子供好きの白井中尉と下宿先の男の子。 | ↑ 19年夏の炎天下、B17の模型を的にした照準練習。 |
↑ 19年夏の244戦隊本部。左端の2階建部分は増築 されたばかり。ここに飛行場大隊長室があった。 | ↑ 早春の陽を浴びながら、ピスト前で縁台将棋。 右端に立つのは小原中尉のよう。 |
昭和20年1月27日の体当りで失われた小林戦隊長機 3295号と機付長土屋伍長。 通常、機付は定期的に異動したが、彼は小林戦隊長に気に入られていたため、 終戦まで一貫して戦隊長機を担当した。このような例は稀。 |
体当り直後、1月29日の小林戦隊長。体当り時に鼻を強打して 大量に出血したそうだが、もう元気な様子。 |