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昭和20年1月、震天隊の食事風景。手前 高山少尉、左から佐藤准尉、 板垣伍長、安藤伍長、中野伍長。 安藤は震天隊ではないが、親友の板垣といつも行動を共にしており、 食事も震天隊の居室でとっていた。 |
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大戦果ニ対シ 一都民からのパン。果して12月3日 B29来襲ニ対シ 何機落したか? 必ズ B29を! 「B29」と「パン」 都民の期待を裏切るべからず(原写真のコメント) 特操教育班ピストで差し入れのパンを頬張る左から齋藤、新垣、 頼田少尉。 |
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↑ 部下の石岡伍長に散髪してもらう白井中尉。 このように隊員同士で散髪し合うのが普通だった。 | ↑ 飛行場で捕まえたウサギを洗う、遠藤伍長。 このウサギが中野伍長のペットになったのかも。 |
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飛行場大隊長が防火用水で飼っていたアヒルを焼いて喰おうと企む 板垣と安藤。だが、アヒルたちに騒がれて大隊長の知るところとなり、 未遂に終わった。調布の11期は、とにかく威勢がよかった。 |
![]() ↑ 南方土産の果物を前に、うたた寝…という雰囲気の 玉懸軍曹。 → ピストの前に転がっていた土管を利用した、夏場の即席 風呂で悦にいる玉懸軍曹。終戦前日、生駒山上空で撃墜 され、戦隊最後の戦死者となった。サインは本人の直筆。 | ![]() |
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↑ 無二の親友だった坂木伍長と鈴木伍長。 坂木は間もなく、鈴木はこの半年後、愛機と 運命を共にした。 | ↑ 昭和19年春、台湾の第106教育飛行連隊から 244戦隊に転属した板垣政雄伍長。後に震天隊員 として勇名を馳せることになる。 |
![]() 操縦者には定期的に休暇が出て、熱海か船橋「三田浜 楽園」の何れかに行くことができた。 → みかづき隊の小林 龍軍曹。彼は特攻を熱望志願し、 沖縄に散った。 | ![]() |
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↑ 新司偵と共に。17Fcsの陸士55期 肥後盛大 中尉と思われる。20年2月16日、戦死。 | ↑ 恰幅がよいことから「森下戦隊長」と 渾名された森下栄一曹長。 |