『狂界線』 八/癒される心、繋がれる想い。 「ここは」
覚えていた。ここは、一度だけ訪れたあの場所。そして、ここで初めて実感したのだ。世界が美しいと。 「あれ?」 母の姿がない。ここからは自分一人で行くしかないようだ。 行こう。あの場所へ。 周りには綺麗な桜が咲き誇っている。道の両脇にこれでもかというくらいに、長く、そして綺麗に。美しい光景だ。そしてここを二人で歩いたのだ。任務の途中に少し寄り道して。 「ここだ」 街灯の三つ目の脇に入る。何故かここからだと一直線に行けるのだ、あの場所に。しばらく歩く。 さあ。 開けた場所に出た。周囲には桜の木がぐるりと取り囲み、そして真ん中にはさらに巨大な桜の木が一本生えている。 また、あの時のように。 その巨大な木の下に誰かが立っている。自分と同じ黒いコートに、優しい瞳。そして、忘れるはずなどない、あの声。 「雪那」 「う、あああ」 涙で視界が歪む。それでも一歩、また一歩。 ニッコリと微笑む彼女。 もう会えないと思っていた最愛のヒトの名を、呼んだ。 「テュッティ」 「うん」 「なんで」 「雪那のお母さんと同じ。まだガイアの穴に還元されていないから、こうして割り込んでいるの」 「なら」 頬に触れる。感触を確かめて。雪那は、テュッティを抱きしめた。 「ん……」 テュッティも体を預ける。ずっと、こうしていたかった。いつまでも。 「雪那」 泣いていた雪那に話しかける。 「なに」 「やっぱり、辛かったよね」 「ん」 「だって心が壊れるくらいだもの」 「ああ」 「でも、大丈夫だよね」 本音は。 「……本当は、ずっとこうしていたい」 でも、そんなことは無理なのだ。それがわかるから、なおさら。 「私も。でも行かなきゃ。今度はあなたが、過去に関係なく自分の道を作るために」 「自分の?」 「そう。雪那は今までお母さんの歩いた道をどうにかして歩こうとしたでしょ? それは自分の道じゃないよ。本当の道は、歩いた後にしかできない」 そう、なのだろうか。自分が歩いていけていたと感じていたのは。 「……そうかもな」 亡き母の後をどうにかして追うことばかり考えていただけ。それは自分自身の道ではない。 「だから今度は、そしてその道を雪華ちゃんと一緒に歩いて。だって、家族でしょ?」 微笑む。ああ、そうだ。それを最初に示してやらないと誰がやるというのだ。 「そうだ、な。雪華は家族だから」 だからここまで互いに固執する。本気でこちらが心を開かなければ、相手が開いてくれるはずがない。そして、テュッティが口を開く。 「そろそろ時間だよ」 「……早いな」 「だって無理矢理介入している状態だもの。それに」 テュッティの視線が雪那の後ろに行く。それを追うとそこには母の姿が。 「ま、私も無理しすぎたからね。テュッティちゃんをこっちに引っ張った時点でもう限界。ここからはどっちも消えなきゃいけないの」 「そんな」 「そんな顔しないで、雪那」 「男なんだからみっともない顔してんじゃないの」 女性陣から檄が飛ぶ。情けないのは俺か。目元をこすって表情を締める。 「そう、そうじゃなきゃ」 またテュッティが笑った。大好きなヒトの笑顔を心に刻み込んで、雪那は。しかし母が雰囲気を壊してくれる。 「にしてもこーんな可愛い子捕まえておくなんて隅に置けないわねー」 母がテュッティを後ろから抱きしめて話す。 「え……、そのありがとうございます」 顔が既に赤い。相変わらずおだてられるのには弱いようだ。 「当然だろ。俺が本気で惚れた女だぞ」 雪那も会話にのる事にした。最後の一瞬まで、こういう関係でありたいから。 「や、雪那まで。もう」 「にひひ、こんな可愛い子が私の娘になるのねー」 「……母さん、直球すぎて笑えん」 よく見ると雪那まで顔を真っ赤にしている。 「若すぎ。なに、キスもしてないわけ?」 「あーいや、その」 「あの、その。できるところまでは」 爆弾発言。テュッティ、これは正直に話すことではないよ? 「え? あっちゃあ、もうやるとこまでやってるのか。あーあ、若いっていいなー」 さらに皮肉っぽく話す。 「……あのさ、きついって」 耐えかねた雪那が口を開く。もうここまできたらどうしようもない。 「あっははは。そんな表情してんじゃないの。こっちは正直に嬉しいんだから。それで? 雪那は今後彼女を作る予定はあるのかな」 「考えたくもねえな」 「……別にいいよ? 雪那も一人でずっとは、ね?」 「いやテュッティ。お前から言われるとなあ」 「まあまあまあ。先は長いからゆっくり決めなさいな」 「あんたが原因だろう」 「そうですよ、お母さん」 「あら!? お母さん!? 嬉しいわー、ホント」 そのままテュッティに頬ずりする。 「……なんか」 「母親相手に嫉妬するな」 「あの、そろそろ」 テュッティの言葉を合図に風景が塵となって崩れ始める。 「そうか」 雪那が残念そうな表情を見せた。やはり、寂しさを隠しきれない。 「雪那、最後に」 「ん、母さん」 「約束ってのは――」 その言葉を続ける前に雪那が答えた。 「知ってる。他人のために約束はするもんじゃない。その言葉を吐いた、自分の心に嘘をつかないようにするためだ」 二人が満足そうに頷いた。 「じゃあね、雪那! 頑張って!」 「馬鹿息子、もう失敗しても駄目だからな! 腹くくって全員まとめて助けてやれ!」 「ああ! じゃあな、二人とも!」 最後の言葉を交わした雪那は現実に戻る。 何度助けられたか。何度『次は』と言ってきたか。何度約束したことか。もう終りにしなければならない。全力で走ればいい。疲れたら信頼できるやつの元で休めばいい。ここからだ。長い長い過去を終えて、ここから未来に向かって走り出す。さあ、行くとしようか。 |