『狂界線』
六/壊れた獣は餓えるが故に
何よりも眼前の血肉を求める




眼を開いてよく見てみろ。広がる空は――に染まり飛ぶべき雲は一つもない。草木は全て――に染まり散り逝く瞬間まで美しい。異常だと思うか? 違うな、それこそがおまえが行き着いた理想郷だ。真実はこれしかない。飲むべきモノも――であり喰らうべきモノですら――である。何が不服だ? 今更文句など言うまい。理由などいらない。歩いてここに来たことがこの結果だ。出れはしまい。出ようとも思うまい。季節などは関係なく――の雪が降り日など沈まず終わること無く時を刻む。
     ――あはは。もうここから逃がしはしないよ――


「くそっ!」
 ドン。
 拳が壁に刺さる。
「畜生っ!」
 ドン。
 また、壁に。
「ロイ、やめて……」
「俺が、俺が一緒についていたら……!」
「お願い、あなたのせいじゃないのよ」
 何度も千鶴がロイをなだめる。医務室の一室。そこにロイ、千鶴、瀬里奈、そして物言わなくなったテュッティと放心状態の雪那がいる。あの後、戻ってきた五人は予想だにしなかった姿で戻ってきた。テュッティを抱きかかえてフェイミンが、雪那を背負ってダンデオンが、そして瀬里奈は今にも死にそうな顔で歩いて。状況を詳しく聞いた者達はその場で全員が泣き崩れた。
「あの時決めたのに……」
 ロイの目から涙が零れる。あの時、自分の全てを投げ打ってでもこの二人を守ると決めたのに。直接守れなかっただけではなく、その現場にさえ居ることができなかった自分が何よりも腹立たしい。
「畜生……」
 崩れ落ちたロイを見て千鶴はもう何も言えなくなってしまった。眼を移動させると瀬里奈が映り込む。瀬里奈はここに着いてからずっとテュッティの側にいる。何度も何度も御免、と言葉を吐きながら泣き続けていた。そして現在も、止まってはいない。
「う、あああああ」
「……瀬里奈」
 理由など分からない。なんとかダンデオンから話は聞いたものの、瀬里奈が何故あの時後悔だけでは済まない表情をして助ける事すら忘れていたのか誰も知りはしなかった。そして、これからも。

「――」

 もう見たくもない状態になっていた。眼はすでに焦点が合わず虚空をただひたすら見続けている。口は半開きの状態で、顔色は生きていないのかと思わせるほど白い。完全に、心が塗り潰されてしまっている。雪那はこの世の全てを拒絶しきっていた。帰ってきてから一度も口を利いてくれない。答えないだけではなく、自分からも話そうとはしなかった、
「なんで、こんなことに」
 千鶴の目からも涙が。決戦前だからということではない。家族を、失ってしまった。だから悲しい。もう叫びたいくらいに。
 コンコン。
「……は、い」
 カチャ。
「葬儀は明日の明朝にやる。その後は予定を変えることなく出立だ」
 いつもの口調でそう告げる。チカラの襟を掴んで千鶴は感情をぶつけた。
「あなたは……! よくいつもと同じようにそんな冷静に!」
 ぶつけられてもチカラは眉一つ動かさない。だが口から出た言葉は何よりも感情を含んで千鶴にぶつけられた。
「俺は……!」
 珍しく感情を含んだ声に千鶴が掴んでいた襟を離す。
「どうでもいいなどとは思っていない……! だがここで一人は冷静でいなければ誰が他の連中を守る! どうでもいいなどと思ったことは、一回も……!」
 そうだ。全員が悲しみに暮れることが悪いなどとは絶対に言わない。だがそれでも、命を天秤に賭ける真似はしたくない以上冷静でいなければならなかった。他人の全ての恨みを買ってでも。
「あ……御免なさい……」
 いつもそうだったろう。この男は何でもないような顔をしていて一番心の奥に感情を押し殺してまで秘めているのだ。弟と妹のように可愛がっていた雪那とテュッティがあんな状態になって何も感じていないなどありえない。そしてそれはサングラスの奥に見えた瞳からも嫌というほど理解できた。
「いや。……感情的になりすぎたか」
「そうなってもいいと思いますよ、今くらいは」
「そうかもしれない。だがそれでも俺は」
 最後まで言い終わる事もなくチカラは部屋を出た。責任を感じているのだろうか。
「……これから、どうすれば」
 人生でこれほどまでに感じたことのない悲しみを心に刻み込み、千鶴は再び涙を流した。

 バン。バン。バン。バン。
 バン! バン! バン! バン!
 何度も何度も。憤る感情をそのまま弾丸に乗せて、目標を砕く。練習用の台を破壊しただけでは飽き足らず、それでも奥の土の壁に向かって撃ち続ける。もう何時間こうしているだろう。魔力がほぼ尽きる事がない故に、弾数制限など無く撃ちつづける。
「……ちっ!」
 ドゴオン!
 「センターヘッド」が咆哮を上げた。撃ち続けた土の壁も崩れ去り、もう何がなんだか分からない状態になる。
「っ!」
 感情が抑えきれない。再び銃を放とうと構えた瞬間、他の誰かに腕を捕まれた。
「それくらいにしたらどうだ、チカラ」
「ヴェル」
「その気持ちは全員同じだ。だがここは我々二人は」
「分かっている! だから今くらいは、この時くらいは感情のままにやらせてくれ……!」
「……」
 バン。
 また撃ち始める。ヴェルにはもう止める事ができなかった。この部隊ができてから実に十年以上の付き合いになる。だが過去にここまで感情を剥き出しにしたチカラは見たことなどがない。理由はヴェルのみが知っていた。過去の事を少しだけ聞いたことがある。そして、チカラの恩師に当たる人物の息子が雪那だということも。過去にあれほど影響を受けた人物は他にはいないとチカラは言っていた。だから何かの運命だとしても、雪那は守りきって生かすことが自分のあの人への恩返しになるとも言っていた。それを目の前で粉々に砕かれたのだ。
「っつ!!」
 バゴオン!
「……チカラ」
 一人の死と一人の精神崩壊がここまで全てに影響を与えている。今になってようやく理解したのだ。あの二人がなによりもみんなの中心にいたことに。
 ズバッ!
 同じく感情を抑えれなくなったヴェルは、練習用の鉱物を片っ端から切り始めた。


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