『狂界線』
四/失われたモノ、
埋め込まれたモノ。




目の前には扉が一つ。まるで自分がここに来るまで待ち続けていたかのような雰囲気を醸し出している。何故か疑問を抱く事もなくその扉を開ける。
 ギギイィィィィィ……
 軋みながらも開いた扉の中へと足を踏み入れる。するとそこに広がる光景は教会の中の様な場所だった。綺麗に彩られたステンドグラスからは光が差し込み、中を蝋燭とともに明るく照らす。日中かどうかも分からないが、確かに隅々まで見れる程明るい。
(懐かしい? どこかで……)
 考えても思いつく場所はない。このような教会にさえ入った事は一度もないのだ。そして一番奥の祭壇上から、一人の女性が姿を現す。黒い長髪に、どこか本人に似たつりあがった目つきの悪い顔。それでいて表情は誰よりも嬉しそうにしている。紅いロングコートを纏ったその人物を、知らないはずがない。だって。
「やっとここまで来たわね。まずは久しぶりとでもぶほっ!」
 バキィィッ!
 女性は思いっきり真正面からぶん殴られて祭壇上を破壊して吹き飛ばされた。殴ったのは勿論、この男。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! いきなり再開した母親殴ることないでしょうが、雪那!」
 本気で殴ったはずだが本人は血すら流さずにピンピンしている。む。浅かったか。
「黙れ。どいつか知らんが母の姿を騙るな。死んだヒトを侮辱するなら次は容赦しねえぞ」
 本気で怒っている。それを見た母親はさらに表情を和らげて満足そうな顔をした。自分のことをこれ程までに慕ってくれている息子に誰よりも愛しい眼差しを向ける。するとその表情を見た雪那は怒りを少しずつ静めた。この表情は、知っている。いつも母が自分の頭を撫でながら笑っていた時の表情と同じだ。
「え……? 本当に、母さん?」
 未だ疑問に思う雪那を見て、母はさらに言葉を続ける。
「そうよ。だってここは特別な場所だもの。今だけは、ちゃんと私とあなたが話をして触れ合う事ができるわ」
 その言葉に雪那も少しずつ構えを解き、驚きながらも嬉しさを隠せない表情になる。
「本当に久しぶりね、雪那。よくここまで大きくなったわね」
 両手を広げて迎え入れるポーズをとる。
「……母さん!」
 それに向かって走り出す雪那。その腕の中に飛び込もうとしたが、次の瞬間。
「……え?」
 なんか世界が逆さまに見える。あれ? もしかしなくても、投げられてる?
「うらぁ!」
 バゴォン!
「がはっ!」
 決まった。いきなりDDTだ。モーションは完璧だった。
「さっきの分のお返しよ。やられたらやり返すのが流儀でね、例え息子が相手でも容赦しないの、当然」
 ……なんということ。これが何年ぶりかにあった息子に対する仕打ちとは。こっちが息ができない状態でも構わず話を進める。
「モーションは完璧だったわね。まあ、もうちょっと思い切ってもよかったけど手加減したから感謝なさい。それと甘いわねー。これくらいは対処できるように訓練してないの? 全く、母を安心させられる息子になりなさいよ、あんた」
 口が止まらない。雪那の中の母親はこんな人物ではなく、静かに子供を愛し、落ち着いた雰囲気の女性だったはずだ。だが今の母はなにかリミッターが外れたかのように喋りまくる。恐らく本来はこの様に遠慮なく話す人物なのだろうが、子供の頃に焼きついていたイメージと更には調べて人々から聞いていたイメージとは明らかに食い違っているため、雪那の中の母親はガラガラと音を立てて崩れ去った。イメージ崩壊。
「違あう。こんなの俺が知ってる母さんじゃないやい」
 ふてくされた顔で地面に倒れながら雪那はぼやく。しかし同時に薄々感じていた。あの戦闘の真っ最中から、ここへ。場所がどこか、ではなくここそのものが。
「なあにぼやいてんのよ。親子なんだからこれくらい遠慮無しの方がいいの。あんたは私に甘えられなかった分があるし、私はあんたの成長を見てこれなかったんだから。ここにいてもあんたの人生全部見れてるわけじゃないしね。ま、直接託したあたしもどうかと思うけど」
 まあ母の言い分も最もだ。時間は無限ではないがここで触れ合う事ができるのは何よりも大切な事だ。そして最終的にはここから出なくてはならない。再び、あの場所へ。起き上がって椅子へと座っている母の隣に腰を下ろす。
「なあ母さん。ここはさ、俺の心の中なわけ?」
 実際気になっている事をそのまま言葉としてぶつける。
「うーん、厳密に言えば違うのよね。ここはあなたの体の中に埋め込まれた失聖櫃(ロストアーク)の中、というのが正解。ま、中に意識体として私が入り込んだ形かな」
「は? いまいち状況が理解できないんだけど」
 頭に「?」マークを浮かべる。今の話でいくと雪那の体の中に失聖櫃(ロストアーク)が存在するということになるが。そういえば廃屋になった家にはもう存在していないとか言ってたな。
「簡単に説明すれば私が死ぬ直前にあんたの体の中に移植したのよ、失聖櫃(ロストアーク)を。あれ自体はただの聖櫃の破片だからね、魔力を込めて体の中に埋め込ませるのは容易だったの。あとはあんたがこちらに来るまで潜伏。現在は覚醒直前の状態よ。ここから出ればまた元の世界に戻る。時間の流れは別物だから、あんたの親友にあれが迫る直前からになるわ」
「うーん。そう言われてもピンとこないな。この風景は?」
「私があんたと雪華を産んだ後に初めて連れてきた場所よ。覚えてないしょう? ここで二人にあること教えたんだけどね」
 記憶の中を探すが該当する風景は見つからない。余程幼い頃か、それとも自身が封印した記憶か。
「……覚えてない」
「無理もないわよ。雪華もかなり小さい頃だから記憶には残ってないでしょうし。私にとってはとても大事な事教えたけどね」
 頭の後ろで手を組みながら答える。気楽というか緊張感がないというか。雪那本人は気付いていないだろうが、このいかなる状況でも気楽にいられる精神と土壇場での度胸は間違いなく母親譲りだ。いつからか忘れたが、母の存在はやはり大きいものだと再認識させられた。
「もう一つ聞いてもいいか? 俺の左眼の魔眼は、やっぱり」
「ええ。不完全な状態にも関わらず効果を発揮しているのはあなたがハーフだから。副作用としては出来過ぎね。雪華は右眼に宿しているから兄妹で半々」
 やはりそうか。本来存在してはいけない生き物の一つなのだ、自分は。だがそれにも関わらずエルゴがあれによって粛清を行わない理由は失聖櫃(ロストアーク)の存在が大きいのだろう。あれが扱える体であれば少なからずとも世には必要とされる。それが、極であろうと、外であろうと。母はさらに話を続ける。
「そうそう。雪那、あんたさ、限界突破(オーヴァードライヴ)扱えるでしょ? あれも異常の一つなの。あれ、元々は私 が両眼の魔眼を完全に開放した時に 使えるやつでね、背中に紅の羽が生えてとんでもない力を扱える術式なのよ」
「ん? あれは俺が不完全な魔眼だから扱える術式じゃないの?」
「そ。多分雪華もできると思うけどこれもハーフ故の芸当ね。でも不完全な魔眼っつていうのは少なからずとも体に影響を与えているわ。ドライヴしなければ問題ないでしょうが完全に開放する時は注意しなさい。制御方法を誤ればその瞬間、体が吹き飛ぶから」
 神妙な顔で語りかける。眼が教えてくれた。あなたはここに来るには早すぎる、と。
「うん。でも万が一の時は躊躇わずに使うぜ? まだ死にたくないし、何よりも守りたいものがある以上、やれることはしておきたいから」
 その回答に母は満足して頷く。この子を引き取ったのが誰かまでは分からないが、いい男に成長していた。その人物の事も含めて本人が歩いてきた人生を改めて聞くことにする。中にいたとはいえ、外が全て見れるわけではなかったから。こういうところはやっぱり親なのだ。
「ねえ雪那。あなたが歩いてきた人生、話してくれないかしら。私もやっぱり親だからさ、気になる」
 これくらいの事は許されるだろうと考えていたが、雪那本人は意外な回答を出す。
「いいや。話すことはないよ。確かにあの後、いろいろあって今は国連の特務機関にいる。それが全部の答えだ。先のことはわからないけど今確かに、自分の道を歩いている。まだガキだけどさ、これからもちゃんと歩いていける」
 その言葉に母親は口をあんぐりあけて固まった。
「あれ? 母さん、俺なんか変なこと言ったか?」
 いいや、全然。ただあなたがたった十四歳にしかなっていないのにそこまでしっかりとした人生観を持っていると思わなかっただけ。あの日のまま、時間が止まっていたのは私も同じだ――
「……ごめんね。まだまだ子供だと思っていたけどしっかりと一人前じゃない。この分だと雪華もいい女になっているわね」
 正直に嬉しさが感じられる声で話す。それを見て雪那も心が安らぐが、聞きたいことはまだある。先程から幾度となく話に出てくる、妹の事。
「あのさ、雪華は生きているって確実に言い切れるの?」
「大丈夫よ、あの子も私の娘であんたの妹なんだし。それに、まあ保険がないわけじゃあないの」
「?」
「これはちょっと教えられないな。ま、気にしなくても大丈夫よ。生きていればそのうち会えるだろうし。そしてね、雪那。約束して。雪華がもしあなたを怨んで殺そうとしてもちゃんと説得して。自分の子供達が殺し合いしているところなんて、見たくないし想像したくもないから」
 顔に一瞬だけ横切る暗い表情。そんな母は、見たくないから。
「ああ、約束する。大丈夫、今度は俺のほうが母さんを安心させないといけないからさ、うん」
 息子の答えにこちらも満足し、少し休憩。時間の流れがないとはいえ、この瞬間は何よりも暖かい。時間が経ち、再び口を開く。
「そういえば私が使い手だってわかってもあまり驚かないのね。失聖櫃(ロストアーク)は特別なんてレベルではないから反応には期待したのだけれど」
「ああ、それは事前にある人に聞いたんだ。母さんと同じ『規格外者(ノンスタンダー)』のチカラ・アシュラムって奴。今は俺のいる機関で同じように隊長勤めているんだ。知り合いでしょ?」
 その言葉を聞いた母はさらにあんぐり。
「あー……なるほど、あいつがね。うん、納得。にしても知り合いになってたのか。雪那のことは確かにあいつなら任せられるかな」
 妙に納得した表情でうんうんと頷いている。雪那はなにか噛み合わない感じがして訊ねた。
「あれ? 知り合いじゃないの?」
「何言ってんのよ。チカラは私が最後に教えた最もできのいい最高の弟子よ。知り合いなんてもんじゃないわ」
「……へ?」
 今度は雪那が口を開きっぱなしにする番。母親の弟子!? あの男が!?
「あはは。なに間抜けな面してんのよー。ほんとに知らなかったわけ?」
「あ……う……うん」
 もう頭の中がごちゃ混ぜだ。世の中は意外と狭い。
「あいつはできがいいから大丈夫よ。まあ雪那のことは話していないから知った時はチカラも驚いたんじゃない?」
 言われてみれば話した瞬間はあちらも驚いた表情だった。こんな表情できるのかというくらい。あの表情はこういうことだったのか。
「あ、もしかしてチカラの正体知ってる?いつ頃から『規格外者(ノンスタンダー)』になったか知ってるやつがいないんだけど」
 これはチャンスだ。あの男は謎が多すぎる事で部隊でも有名なため、好奇心が抑えきれない。
「そうなの? ……まあいいけど。じゃあ教えてあげる。実はね、チカラは外宇宙から来た宇宙人なの」
 ……はあ!?
「うそ!? まじ!?」
「そんなわけないでしょ。何信じてるのよ、ばっかじゃないのあんた」
「うわ、ぶん殴りてえ」
「あのねえ、親に向かってその言葉はないでしょ。ちょっとからかっただけだっての。正体についてはヒミツ。まあちょっとした約束でね、それについては黙秘権発動」
「……ちっ。正体探る絶好のチャンスだったのになー」
 本気で残念な顔をする雪那。こういう何気ないやりとりも、あと僅かしかできないと気付いているだろうか。そして。
「雪那」
「ん?」
 いつだってそうだ。選択権なんてものは、いつも。だから。
「ここにいたい?」
 少し間を空けてから、
「いや。そろそろだろ? 俺はこっち、母さんはあっち。今回ばかりは選ぶ必要もない」
 本当に、いい息子だ。この子の親でいられることに誰よりも誇りを持てる。
「そうね。また会える日があるなら次はいつかしら。まあいいか、あんたほどいい息子もいないと思うし。……歩きなさい。誰よりも強く、誰よりも、確かに」
 本当に、いい母親だ。何だかんだ言っても最後には背中を押してくれる。見守ってくれる。この人の息子でいられる事を誰よりも誇りに思う。周りの風景が砂のように塵となって消え去ってゆく。まるでこの空間そのものが存在していなかった蜃気楼のように。全ての風景が消え去り、母の体も徐々に塵となり崩れていく。それでも微笑みを絶やさない母は言葉を告げる。
「あの日の約束、守りなさい。紡ぐべき言葉は『殺』。あなたが斬るべきものは『源』。そして見つけるべきなのは――」
ああ。この言葉の続きは知っているとも。母が母であるために最も必要なものであり、何千年も探し続けて得た答えだから。
「……」
 一度だけ、頷いてみせる。今度は何よりも強い瞳で。母は、微笑みながら虚空へと消えた。


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