『狂界線』 四/失われたモノ、 埋め込まれたモノ。 夜になって。雪那はテーブルに肘をつきながらぼーっとしている。落ち着こうと本を読んでいたのだが途中から上の空だ。 「おーい。雪那―。生きてる?」 ロイも何か変な事には気付いていた。部屋に帰れば雪那がぼーっとしている。本を持ってきて読んでしばらくするとまた。上の空、というか思い出している感じだ。 「ん? ああ、生きてる」 返事はするもののやはりぼやけた状態から立ち直らない。 「どうかした?」 「ああ、かなりどうかした」 ……最早言葉もおかしい。こんな雪那は始めて見る。 雪那の頭の中はもう一人の人物のことで一杯だった。ああ、俺告白しちゃったな。抱きしめた。キスした。もうここまで来ると頭からテュッティのことが離れない。もっと、一緒にいたい。 「おーい。また飛んでるぞー」 親友の声で引き戻される。 「あ、ああ。すまんすまん」 まずい。これ以降この調子ではどうなるか分かったものではない。とりあえず頭を切り替えて、ロイとの話に専念しよう。 「それで、何だっけ?」 ロイは怪訝な表情で話す。 「いやさ、ぼーっとしすぎ。その本か? 原因は」 「え? 違うぞ。これは『ガーデニングの始め方』。全然関係なし」 「……ほんと、おかしいぞ? 俺が部屋出てからなにがあった?」 このままでは任務にも支障をきたすと思ったのか、本気で心配して顔を覗き込まれる。本気で心配してくれる親友を前にますます雪那は困ってしまう。ここは、話した方がいいのか? いやでもなあ。 「あのさ、本気で悩み事あるなら相談に乗るぜ? いくらなんでもそこまでふざけないから」 白状、しましょう。このままではロイに変な心配をかけてしまう。それにこの男なら本気でつき合うことをからかったりはしない。……多分。 「実は、その……お前が部屋にいなくなってからテュッティが来てな。その、それで、告白、した……。で、その両想いで、抱きしめて、キスしてから、その頭から離れなくなって。現在そうゆう状態」 恥ずかしい。あらいざらい白状するとなんか告白の時とは別の緊張がある。なんとか話し終えてロイを見た。あ。固まってる。 「あー……その、ロイ? あのさ、まあそういうわけで」 なんとかリアクションが欲しい。この状態で一人は辛すぎる。しばらくすると確認の意味も含めてロイが訊ねる。 「本気、なんだな?」 否定する事はなにもない。だから、真剣な顔で頷く。 「ああ。本気だ」 その言葉を聞いたロイは表情を和らげる。まるで自分の事かのように喜んでいる表情だ。 「そっか。よかったな、雪那。二人とも、ちゃんと幸せにな?」 もっと質問攻めにあうかと思っていたが、ロイはそんなこともなく、ちゃんと祝福してくれた。ああ、そういえば。この男は親友としては百点満点だったな。本気の事をからかうような真似は、絶対にしない。 「うん。その、まあこれからも頼む」 こんな言葉でしか返せないが。精一杯答えたつもりだ。 「ああ。ま、恋愛経験はあまりないからな。そっちの相談にはあまり答えれないかもしれんが」 「む。お前だって好きな相手、いるのだろう? 誰かは知らんが五分五分だろ」 ロイがまたしても固まる。どうやらその事には弱いようだ。ほほう。ならば。 「次はお前の番だな。ちゃんと白状しな?」 「う。い、いや、その」 ここまでうろたえるロイは珍しい。しばらくからかいながら、ゆっくりと過ごすとしよう。 テュッティは部屋に帰ってからもぼーっとしていた。淹れたコーヒーが冷めてしまってもそのまま。読みかけの本もそのままで目の焦点があっていない。 「おーい。生きてる?」 瀬里奈が話しかけるとビクッ、と跳ね上がった。 「あ、うん。生きてる。全開」 ……いや、なんだろう。こんなテュッティは始めてみる。 こちらも雪那の事で頭が一杯。抱きしめられて、ちゃんと互いに告白して、キスして。あ。キス、しちゃったのか。その時の感触を、思い出す。 ボンッ! 「え!? ちょ、ちょっと!」 いきなり真っ赤に爆発した親友を見て瀬里奈は慌てる。 「大丈夫? 部屋の中はともかく明日、日中もその調子だと困るよ?」 「え? あ、うん、そうだね。さすがに日中は切り替えないと」 ごもっともである。任務に支障が出るようではさすがにまずい。あ、でも雪那と一緒ならそっちの方がいいかも。そんな事を考えてると正面から両頬を瀬里奈に引っ張られる。 「ふぇ? い、いひゃいよ、ふぇりなあ」 「あんたが飛びすぎなのよ! いつもよりぼやけすぎだっての。気合入れなさい!」 「ふぇえええええええ」 しばらくして瀬里奈が手を離す。心当たりがないわけでもないが、直接それを聞くのはどうだろう。ロイの時とは状況が違う。女の子の気持ちはよく分かるから。 「……本、落ち着くために持ってきたんでしょ? 読みなよ」 「これ? ああでもいいや。『畑の耕し方』なんて今は使わないし」 ……さすがにここは親友として突っ込むべきだろうか。いやそれよりも。やはり聞いておこう。このままではこっちも何か落ち着かない。 「告白、したの?」 ピタッ。 硬直。しばらくして、ものすごい小声で話し始める。 「う……ん。その、ちゃんと言って、あっちも、好きって。その、抱きしめてもらって、キスもした」 恥ずかしい。告白の時とはまた別の恥ずかしさだ。こっちが俯いていると瀬里奈は優しく微笑みながら祝福してくれた。 「よかったじゃない。前々からの気持ち、ちゃんと伝えて実ったんでしょ? あーあ、ロイも好きなヒトできたし。あたしだけ残されちゃったな」 なにか悔しいものを感じて、瀬里奈は背を伸ばした。 「うーんっ……二人とも幸せにね?」 そうだ。幼い頃から一緒に訓練を受けてきた彼女が、本気の事をからかうはずがない。一番最初に応援してくれたのも間違いなく彼女だった。忘れていた。誰よりも優しい親友の事を。 「う、うん! 瀬里奈、ありがとう。あ、じゃあ次に瀬里奈が好きなヒトできたら、最初に相談相手になるね」 「お。もう先輩風ふかす? ふふっ、そうだね。私達親友だもんね。その時は遠慮なく相談するよ」 冷めたコーヒーも今だけはおいしいと感じながら。ゆっくりと夜が更けていった。 |