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きゅう/アナザーサイド
〜さよならの家族・お帰りの家族〜
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「っ」

 すでに日は昇り始めていた。雲一つ無い空から差し込む光が眩しくて、目を細める。視界が開けて、光に慣れてからいつもと変わらぬその光景を目に焼き付けた。

ここにはもう戻ることは無い。どれだけ求められても戻ってはいけない。それが、ここで過ごしてきた自分から決別して、更なる先へと足を進めていくためのけじめと覚悟だ。

 中央に突き刺さった十字架の前まで移動する。十字架に捧げられた花束は後を絶たない。誰もそなえない日が来るとすれば、この場所をヒトが完全に忘れ去った時だろう。

「これで、お前ともお別れだな。本当に、お別れだ」

 地面の下に眠る愛しいヒトに声を掛ける。骸と化した彼女はこの声を聞いてはいない。一人で意味も無く、ただ自分への戒めも含めて語りかける。

「俺さ、今はここに花は捧げない。今は何も持ち合わせない。まだ必要ないと思うから」

 聞こえているだろうか。仮に魂がこの場に留まっていてくれてたら、彼女は声を聞いてくれているだろうか

「――行くぜ。世界中周って、飽きるまで歩き続ける。途中でなんとなく飽きて、ここにまだ十字架が残ってたら、その時は」

 一回だけ目を閉じて、息を噴き出して語りかける。

「酒持ってくるよ。お前も飲めるワインと、俺が世界中回ってうまいと思った酒。一緒に飲もうな」

 優しく微笑んで、彼女に語り掛ける。何年先かはわからない。飽きるにはそれこそ腐るほどの年月が必要とされるだろう。

その時を迎えた、何百年先の世界でも、この十字架は大地に突き刺さっているだろうか。遙かなる彼方への約束。

 そして、また一人。

 後ろから、無言の抱擁を受ける。自分の腰に手を回して、遠慮することなく体を預けてくる。柔らかく暖かい感触。下手をすれば、この先二度と味わうことの無いかもしれない、優しい温もり。

「……」

「……行くよ」

「うん……」

 彼女は何も言わずに顔を背中にうずめた。覚えておきたいから。彼の愛しい愛情を一身に受けた親友と、自分も愛している彼の全てを、覚えておきたいから。

 腰に回されていた腕に、力が篭る。

「もし」

「……うん?」

「もしもう一度、妹と顔を会わせる機会があったらさ」

「うん」

「今度はお前が手を差し出してやってくれ」

「――うん」

 彼女は返事しかしない。見なくてもわかる。それだけで充分に伝わる。彼女が飽きるまで、数分の間はずっとそうしていた。

 静かに、体に預けられていた温もりが離れていく。これで、彼女ともお別れだ。

「……行ってらっしゃい」

「帰ってこないぞ」

「……うん。……行ってらっしゃい」

「……。行って来ます」


 それだけの会話を残して、さらに足を進める。後ろで、本当に、小さな小さな声で彼女が「さようなら」と口にした気がするが、それは聴かなかった事にした。


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