ダイアル・オン
 よん
両断珈琲苦味風味
〜こんな弟子に誰がした〜



師匠は構えを解き、雪那は苦しそうに呼吸をしようと必死だった。
「がはっ! は、ごっ、がはっ!」
「ふー、危ない。ったく雪那、あんたいつのまにそんなアクロバットができるようになったのよ。もう少しで串刺しにされるとこだった」
『……』
 口を開けたままなにも話せなくなっているのは雪華とリズだ。瀬里奈はなんとか視界に入れて見る事ができたため、2人のように唖然とまではしていない。だが、それでも今の戦いはとてつもないものだった。自分であれば開始5秒としないうちに殺されていただろう。
「ふー。ああ、御免ね。2人とも、何があったのかわからなかったでしょ」
 首をカクカクと動かして答える雪華とリズ。目で追えない光景だ。見ていなくて当然。しかし音は聞こえたから、戦闘行動をあのスピードで行ったことだけは判断できる。レベルの違いを見せ付けられて口が利けなくなった。唯一見えていたのは瀬里奈だけである。
「あなたは見えてたみたいね。ふふん、いい素質持ってるじゃない」
「ええっと……。でも、見えているのと動くのはまた別物ですよ。あたし、リズにはかないませんでしたから」
「そう。そうね、あなたの言うことは正しいわ。でも最終的に動体視力は戦闘において差をつける要因の1つになるもの。だから素質はいい。うーん、勿体ないな。修行させてあげたいくらい」
「は、はあ、どうも……」
 瀬里奈が恐縮していると、ようやく息を整えた雪那が立ち上がる。少しよろけていたが、目を見る限りではまだまだ大丈夫そうだ。
「くっ、はあ」
「きつかったー? ぬふふ、でも腕は確実に上がってるじゃない。前なんてかすりもしなかったのに、触れるなんてすごい進歩よ。部隊に送ったのは無駄にならなかったみたいねー」
「鳩尾、きつすぎ」
「あらら、離れたら忘れたの? こんなの優しいほうじゃない」
「――」
 言われて雪那は思い出す。過酷な修行、いや、イジメにも近い師匠の修行を。確かに、あれらに比べれば鳩尾に1発など生ぬるいものだ。8歳の頃に修行と称して山奥に2週間もほったらかしにされた時や、9歳の頃にいきなり今日は組み手しよういわれて最初から真剣で襲われて泣きそうになった時などに比べれば随分ましだ。そういえばいたずらとして笑い続ける毒キノコを食わされて(その際、師匠が食べたキノコは普通の)、一晩中笑い続けて腹がよじれるかと思ったこともあった。しかもそんな時ですら師匠は笑って助け出そうともしない。
(仕舞いにゃ奥義伝授のあれだ。確かにぬるい)
「俺、絶対昔のことを忘れれそうにありません」
「わたしのこと忘れないのね。嬉しいわー♪」
「……そうしたのは誰だ」
 師匠は手に持っていた雪那の刀を投げて返す。
「鞘の色、変わっているみたいだけど?」
 雪那の腰に付けられた鞘の色は、昔授けた色とは違っていた。が、一瞬目を通した限りではあれは間違いなく「霧消(むしょう)」である。打った彼女本人がわからないはずはない。
「聖宝具と融合しました。ですが中身は間違いなく『霧消』です」
「そうみたい。まあ、わたしが打った刀だら、簡単に変えられても困るんだけど」
 師匠はあっさりと納得し、今度は何も無い虚空に手をかざす。すると、雪那の表情が一瞬にして変わった。目つきが鋭くなり、刀を鞘に納めて抜刀術の構えを取る。師匠は、手をかざしたままでそれを呼んだ。
「繚乱」
 言葉に反応して、虚空から刀が引き出される。引き出された刀の鞘は青色である。そして、鞘には桃色で桜の花と花びらが描かれている。先程の言葉をあてはめれば、あの刀は繚乱という名前になるのだが。3人は壁際によって観客になることを決めたが、雪那はまだ警戒を解かない。目付きにだけではなく、段々と気が篭っていくのが確認できた。瀬里奈にはわかる。彼は本気でやるつもりだ。
「……それを抜きますか」
「そうじゃないと負ける。弟子に負けるのってプライドがねえ」
「無敗なのに今更ですね」
「抜かせただけ誇っていいわよ。ただし――」
 一呼吸置いて。師匠の目付きが一変した。
「死にたくなければ足掻いて見せなさい」
 鋭い目付きは殺気を放つ。あまりに強烈過ぎて、見ているだけの3人ですら喉元に刃を突きつけられたような感覚に陥る。実際に向けられている雪那はもっと大きなプレッシャーを感じているはずだ。それでも、雪那は眉一つ動かさない。
(一撃、か)
 決めるためにはそれしかない。狭い部屋の中だ、抜刀して一撃で決める以外はない。外せば、その瞬間に自分の首が飛ぶ。雪那は目線は師匠に向けているものの、実際に集中して意識をおいているのは刀のほうだ。いざというときに抜けなければそれこそ意味がない。集中力が勝負となる。
「……」
「……」
 師匠は構えもしていない。鞘に収まったままの刀を左手で持ち、右手はそのまま垂直に下げているだけだ。雪那は構えているが、師匠は対照的に構えすら取っていなかった。ぴりぴりした空気すら流れない、本当の殺気のみが充満した部屋。普通のヒトであれば状況に耐えかねず失神してもおかしくはない。現に、3人は精神的にかなり疲れていた。それでも、対峙する2人は動こうとはしなかった。
(あちゃ。ホントに強くなったのね)
 我が弟子の成長を見て嬉しい気持ちが抑えきれない。ここまで成長してくれているとは思ってもいなかった。あのまま自分といるより。彼自身に道を選ばせたのが正解だった。
(んふふ、なら試してあげる)
 師匠は行動に出た。
「!」
 雪那が気付いたときには「もう遅い」。誰がこれを予想したか。これは最早瞬間移動の領域に達している。雪那ほどの実力者でも、捕らえることすらできなかったのだ。師匠はすでに抜刀して、雪那に刃を振り下ろす「直前だった」。
「――」
 すかさず雪那も抜刀しようとした。それが無駄だとわかっていても。師匠の刃は、肩から切り裂くように強烈な一撃を喰らわせる。そして、文字通りの目にも止まらぬ早業で雪那の体を真横に薙ぎ払った。
 バゴオオオン!
「――」
 鈍い音を立てて、息することすら許されずに雪那は吹っ飛ぶ。峰打ちで打たれたとはいえ、雪那は壁を破って玄関まで吹き飛ばされる。
「刹(せつ)において撃(げき)にて伏(ふく)す。無明閃月流(むみょうせんげつりゅう)・巌月(がんげつ)」
 一足で雪那の場所まで踏み込み、一撃で反撃の余裕すら与えず雪那を吹き飛ばした師匠。汗の一つすら掻く事もなく、ただ静かに刃を鞘に収める。強い。生物としての桁が違いすぎた。雪那ですら峰打ちされる瞬間しか見えてなかったのである。2人は全然見えておらず、瀬里奈に至ってはなんとか見えたものの、それは師匠の2度目の薙ぎ払いが雪那に決まった瞬間だった。いつ移動したのかは誰にも見えていなかった。
「ぐ、あっ」
 壁を崩してまで吹き飛ばされたというのに、雪那は気を失わずにいた。が、衝撃が強すぎたらしく、辛うじて息をしている状態である。その場から立ち上がることはできず、瓦礫の中にそのまま埋もれている。師匠は刀を虚空に戻し、雪那に向って声を掛けた。
「成長したね。当たる寸前にまさか上半身をずらすとは思いもしなかった。峰打ちだけど腕くらいはもぎ取ろうと思ってたのに」
 とんでもないことを平気な顔で言ってのける師匠である。只者ではないのは重々承知だが、ここまで来るとなんか悪魔とか怪物とか妖怪とかそういう次元だ。
「が、はっ」
「一技(いちぎ)で全てを切り崩せ。そう教えたはず。結果がこれなだけよ」
「ぐっ」
「それができないならまだまだ実力不足。わたしのこと、越えて見せるくらいにはなってよね?」
 返事ができない雪那に次々と話していく、が、雪那は聞こえているのかどうか危うい。すると師匠は3人のほうを向き、治療するように話す。
「治療してあげて。リズ、物質復元の魔法使えるわね? 一緒に手伝って」
「あ、う、その、うん」
「あ、う、雪華ちゃん、回復」
「え、あ、はい」
 唖然として口が塞がらない3人ではあったが、促されて各自に行動を始める。部屋の修理(復元)は師匠とリズが共同で行い、すぐに終了した。雪那はソファーに寝かされ、雪華が治癒結界をはって安静することになる。
「うーん」
「骨折れてるねー。おほほ、さすがはわたしの一撃」
「あ、あの。兄さんにあまり無理させないで欲しいんですけど」
 今までの経緯からして、雪華はおどおどしながら師匠に話しかける。と、師匠は雪華の顔をまじまじと見つめてきた。顔の全てのつくりを入念にチェックされている。
「え? そ、その」
「妹さん? 本当に?」
「は、はい!」
「うっわー。無事だったんだー! よかったじゃない、こうやって兄と仲良く過ごせて!」
 まるで自分のことのように師匠は喜んでくれた。そのまま雪華を抱き寄せ、胸に抱きしめていい子いい子してくる。
「あ、その恥ずかしいんですけど……」
「いいのいいの! あいつの妹ならわたしにとっても娘のようなものよ!」
 非常に喜んでいる。幼少の頃から雪那を育ててきた師匠にとって、雪那は息子同然でった。その妹の話しは聞いている。だから、無事にこうしていることを雪那のように喜んであげれるし、また雪華も生き別れの娘のようなものだった。
「――がとう、ございます」
 雪華は素直に感謝の言葉を述べ、師匠の胸に顔を埋めた。いてくれるのだ。自分を娘としてみてくれているヒトが。これでさらに雪華は確信する。1人じゃない。ただ、それだけを。
「いいの。声は小さくても思いは伝わってるから。雪那のこと、大変だったでしょ」
「えっと、色々と。大変でした」
「いいってことよ。これで雪那は当初の目的は1つは果たしたわけね」
「1つ?」
 師匠のセリフに疑問を持ったのは瀬里奈だった。そういえば、外部からいきなりやってきて、推薦されて雪那は隊長になったが、何故、どのようにしてなど、肝心な部分は何も知らない。師匠はそのことを知っているような口ぶりだった。気になって、瀬里奈は質問してみる。
「あの、雪那って」
 すると、師匠は先手を打つ。
「ごめーん。師匠として全部聞いてはいるけど、本人に止められてるから」
「あ、そうですか……」
 過去には触れないほうがいいこともある。雪那の場合はそういうことなのだろう。瀬里奈が沈黙してしまうと、それを合図にしたかのように雪那が目を覚ました。
「くっ、師匠」
「お目覚めー。気分はどう?」
「最悪だ……」
 呻きながら雪那は体を起こす。怪我は治癒結界によってほとんど完治されており、痛みが引けばあとはそれほど問題はなさそうだった。忌々しい視線を師匠に向ける。
「しばらく付き合ってもらうけど?」
「ちっ、これで俺が勝った試しなんてないでしょうが」
「いやー、負けるとなると師匠としてのプライドがねえ。でも勝ちは勝ち」
「……わかりました。で、何をすれば?」
「今夜、予定を空けておいて。場所はそうねえ、ここから1番近い山にしましょうか。そこに滝が流れてる場所があるの。街からかなり近い位置にあるからすぐにわかると思うけど。そこに来て。時間は日付が変更になるときで」
 その言葉が意外すぎたのか、雪那はぽかんとした表情で師匠を見ている。
「今までだと」
「うん?」
「もっと無茶なことが……」
「兄さん、そんなに無茶だったのですか」
 雪那は再び過去に思いを巡らせた。負けてから断れずに注文された内容のなんと無理矢理なものが多いものか。それでも、一泡吹かせてやるとやる気満々なのは今も昔も変わらない。熊を倒して肉持って帰ってこいだ、酔いに酔ってから全裸になれだ、女性用の――つけろだ、11歳の時に一緒に風呂入って全身くまなく洗えだ、そういえばその時(これ以上は雪那の男のプライドに関わるため削除)
「――」
「に、兄さん?」
「どうにも思い出したくないことばかりだった見たいね……。裟璃奈(さりな)、あんたそこまでひどいことしたの?」
「お遊びよ、お・あ・そ・び。雪那も引きずりすぎ」
「――誰のせいだ……」
 本日2度目となる師匠への批判を浴びせながら、雪那は思いっきり睨んで見せた。するとその表情に満足したのか、師匠はにやりと笑いながら話を続ける。
「挨拶はこれくらいでいいでしょ。家のヒト、あまり遅いと心配するんじゃない?」
 時刻はここに来てから1時間は経とうとしている。雪那と師匠が対峙していた時間が余程長かったせいか、随分と時計の針は進んでいた。
「そう、ですね。今日はこれくらいで」
「あ、の。お名前は――」
「え?」
 自己紹介がまだだったことを今になってようやく思い出す。師匠は照れながら頭を掻いて答えた。
「如月(きさらぎ)裟璃奈(さりな)。漢字で書くとごついけど、女の子」
「なにが女の子だ」
「せーつーなー?」
「すいません」
「えっと、じゃあ裟璃奈さん。また今度」
「雪華ちゃんもね」
「はい」
 各々に挨拶をして、家から出ることになる。リズはせっかくきてくれたのにごちゃごちゃしたことになって御免と謝っていたが、3人ともそんなことはないと手を振った。リズも安心したのか、笑顔で別れることにする。明日また、学校で会えばいいだけの話しだ。


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