くまの日記 3月
3月×△日
毎朝 通り抜けている 資生堂アートハウスの桜がほぼ満開です。


桜の木の下ではスミレが咲いてます。


3月△日
小笠山探訪その2
小笠神社の下にある小笠池は 水位が下がってしまって 浮き橋も無残な姿を晒しています。
奥には つり橋もあります。
 恐竜?

ツツジが咲き始めています。色が鮮やかです



3月×日 つづき
日本平の椿の里にて
  

  



3月×日
今日は 去年の11月ごろに一度訪ねた 宇津谷方面を また訪ねてみました。
 静かなたたずまいの宇津谷集落です。

前回見られなかった 秀吉から拝領の羽織を見ました。
秀吉が 1590年 北条攻めのため 峠を越えて この地を通った時(3月19日) すりへった馬の草鞋を替えようと 立ち寄った家が 石川忠左衛門さんの家で この人は 秀吉に草鞋を三足しか渡さず 残りの一足は 戦に勝って西に帰るときに あげましょう と何か訳のわからぬことを言って 秀吉を喜ばせ 羽織を頂戴したそうです。
以来 御羽織屋という屋号でよばれているそうですが、確かに 表札には「石川」とありました。
このお陰で 宇津谷村は課税も免除となったそうで 秀吉がかなり 躁状態だったことがうかがわれますね。
その後 家康をはじめ 歴史上の有名人が 大勢この羽織を見にやって来たそうです。  サイン帖も保存されています。 家康や慶喜からもらったという茶碗などもありました。
羽織は 綿入れのような感じで 鎧の上から防寒のためはおっるため LLサイズで出来ているようです。
表面は和紙で出来ていて 白いところは真っ白だったそうですが 見に来た人が縁起ものとして 触わったり ちぎって持っていったりりしてしまい このように汚れてしまったらしい。
襟と袖には 細かい刺繍がほどこされていますが 赤い部分は 近年補修されたものだそうです。
 今はガラスケースに入っています。

家々の軒下には 十団子が下がっています。 室町時代からの風習で、厄除けのおまじないだそうです。
むかしむかし 宇津谷峠にすむ鬼が 旅人を悩ましているのを ひとりの僧侶が 鬼を団子になるように仕向けて  呑み込んだ という 言い伝えがあるそうです。
 十個の団子を紐に通したのを 九連。

鶏を放し飼いにしている養鶏場があります。自然卵ということで テレビでも紹介されていました。
早速生みたての卵を分けてもらっている人がいました。きっとテレビを見た人でしょう。
 このオジサンが今朝のテレビに出てました。

切り株で作った 面白い置物がありました。
 亀?


3月○日
今日は 昨夜の大荒れ模様から一転 快晴。 姫街道方面を散策しました。
姫街道とは またなんともロマンチックな名前ですが 東海道 見付宿(磐田市)から  浜名湖北岸を迂回して 三河の御油宿(豊川市)で 東海道に合流する 東海道の脇街道です。
主に奥方や姫君の行列が利用した ということで この名がついているようです。
東海道は 浜名湖のところで 船旅になるので いやだとか 新居の関が厳しいのでいやだ とかいうことらしいです。
ただ 歴史的には こちらの街道の方が古くから栄えていたようです。 万葉のころは 二見の道といわれていたようで 街道沿いに 万葉集にいくつも歌がよまれています。
姫街道の本坂峠(静岡と愛知の県境)付近は 椿の原生林があります。 昔の街道の石畳も残っていて なかなか風情があります。
椿の巨木に覆われています。名前に反して 結構険しい坂道です。

ちょっと 時期が早かった。まだ つぼみが多いようです。

石畳一面に椿の赤い花で 覆われるらしい。

道の脇には 清水が流れてます。

姫街道からちょっと離れた奥浜名湖の入江 猪鼻湖のほとりには 乎那(おな)の峯というのがあります。 ここは マンサクの群生地です。南限だそうです。マンサクは冬に咲く花で 「まず咲く」が訛ったらしい。
全山まっ黄色を期待してましたが、全然。 今年は 全国的にマンサクの花が咲かないらしい。 原因不明とテレビでも言ってました。 今年の まんさく は ふさく。
咲いているのは1〜2本だけ。

山の頂上からは 浜名湖が一望できます。
この乎那の峯も 万葉集に歌われています。頂上に歌碑が建っていました。
 「花散らふ この向つ峯の 乎那の峯の 洲に付くまで 君が齢もがも」
なんか 地盤沈下という感じですが・・・。ちょっと難しいですね。
右下のホテルのあるあたりが 「洲」ということらしい。


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